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川と西瓜とカセットテープ

雑多で人がやたらと多く、家と家の間は極端に狭い。周囲の建物は高く、外で遊べる場所と言ったら限られている。
大阪の街
私が大人になるまで住んでいた街だ。

そんなごちゃごちゃした場所から年に一度だけ抜け出すお楽しみがあった。

夏の一番暑い時期。お盆を含む一週間前後。
ギラギラした太陽が顔を出す前に明け方に寝惚け眼で車に乗って街を出発する。
父が運転する車に乗り、眠気覚ましにカセットテープで曲を流して皆で歌いながら。

まだ小さい弟たちは祖母と一緒に良く眠っている。
歌ったり喋ったりで賑やかな二つ年下の妹と私、母と父。
すぐ後ろには大好きな叔母とその家族が乗った車。

途中のサービスエリアで休憩を取る頃には外は眩しくなってくる。
トイレに行って、朝ご飯を食べて、ジュースを買ってもらう。
いつもと違うシチュエーションに何でもない炭酸水が妙に嬉しい。

本州から四国に渡るために瀬戸大橋を渡るのはちょっとした楽しみだった。
これからいつもとは違う場所に行くのだという高揚。
海を渡る途中、風のあおりを受ける車。
橋を抜けて更にそこから二時間ほど。高速を降りると周りが山に囲まれていて、高い建物が一つもない場所に辿り着く。

私にとっての田舎は、愛媛の山に囲まれた小さな町だった。

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ただでさえ建物が少ないのに、目指す場所に近づくに連れて緑はどんどん深くなり、周りも畑だらけになってくる。
太陽が照り付けるアスファルト。道路は狭く、車が少ない。
どんどん山に近づいていき、ゆるやかなカーブが続く道を走り、信号を右に曲がる。
細く、車がなんとか行き来できる生活道路を抜けさらに細い道を抜けた先。

祖母の実家に辿り着く。

車から降りれば太陽はギラギラして眩しく、土を蹴る感触。
鍵を開けっぱなしの引き戸をガラガラ開けて、土間に靴を脱ぎ、部屋へ入る。
「いらっしゃい」
家主である、祖母の弟にあたる爺ちゃんが迎えてくれる。爺ちゃんは野球が好きでこの時期はいつも甲子園の中継を見ている。

部屋の隅っこで扇風機が回っていて、天井が低いけれど空間は広い。
「良ぉ来たな」と麦茶を持って奥から出てくるのは祖母と瓜二つの爺ちゃんと、お客さんが来るのが好きな婆ちゃん。
平ったい日本家屋の窓もドアも開いていて風が抜ける。少し汗ばむけれど今とは違いそれで充分だった。

まずはひいばあちゃんの仏壇に手を合わせたら畳に足を伸ばして座り、冷たい麦茶を飲む。コップは汗を掻いていて手がしっとりする。

飲み干したらすぐ、話をする大人たちを横目に私たちは探検に出掛けた。
家の周りはぐるりと歩けるようになっていて勝手口の方に回ると一面の畑。
夏野菜が生っていて、近づくと青臭い葉っぱと土の匂い。
太陽の熱に晒されて触れると温い野菜。トウモロコシは背が高い。足元にはスイカの蔓
キュウリにトマトにピーマン。それにひまわりも咲いていた。

そうしているうちに車が入ってくる音がする。
母のいとこの家族がやってきたのだ。
車で10分ほどの所に住んでいる5人家族。私たちにとって、はとこにあたる人姉弟が居て。双子の弟は同い年。お姉ちゃんは2つ年上だった。

4人姉弟の一番上で、いとこでも一番の年長だった私が唯一お姉ちゃんと言える存在。愛媛の皆はちいちゃんと呼ぶけれど、私たちはちい姉ちゃんと呼ぶ。
毎年一緒に遊ぶのが楽しみで待ち遠しかった。
でも、久しぶりの再会はいつだってなんだか擽ったい。
最初はぎこちなくなるけど、それもすぐに忘れてしまうのは子供の特権だろう。

昼ごはんは大きな机を引っ付けて並んで一斉に食べる。
並んで手を合わせる。大皿に盛られたおかずは取ったもの勝ちという世界なのであっという間に食事は終わる。
あの家で食べたウインナーと卵焼きが一番美味しかったのは今も変わらない。
素麺の薬味に採れたてのミョウガが出てきた時には辛くて食べられないと思ったけれど今では大好きだ。

お腹が一杯になったら虫篭と虫とり網を持ち、麦わら帽子を被って。
蚊に噛まれないよう、虫よけをスプレーされたら少し歩いて、お宮と呼んでいた神社に向かう。
鳥居をくぐり桜の木にぐるりと囲まれたそこで、煩いくらいに降り注ぐ蝉の鳴き声に迎えられる。

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私たちの目的はやかましく鳴いている、蝉を乱獲することだ。
普段虫とりなんてすることが無い私たちがコツを掴めず蝉に逃げられている間に地元民のちい姉ちゃんたちは器用に捕まえてはひょいっと掴み、虫篭に入れていく。
それを横目に網をぶん回す。中々上手くいかない。
見かねたのか一緒に付いて来てくれた祖母が手本を見せてくれて、やっと一匹。
手で掴むのはおっかなびっくりだがなんとか籠に入れて蓋を締める。
捕まって不満そうなミンミンゼミの鳴き声。汗を拭って次を狙う。

乱獲しつくし、そろそろ飽きてくる頃。捕まえた蝉は最後に逃がしてやる。
籠を開けてとん、とんと軽く叩くと一斉に飛び去って行く。仕返しとばかりにおしっこを引っ掛けられて、まともに被ってしまうのは何故かいつもちい姉ちゃんの下の弟だ。

家に戻るとさっき畑で見た野菜の中から温いキュウリを捥いで、外の水道で冷水に晒す。その間に愛媛の婆ちゃんに声を掛けるともろみ味噌が出てきて、それに付けて齧る。
瑞々しい、しゃくしゃく鳴る音。青っぽい味。直に付けた味噌が甘しょっぱくて美味しい。「トウモロコシも取っておいで」と言われて、人数分採ってくると塩水から茹でてくれた。採りたてで茹で立てのトウモロコシは夏のご馳走の一つで、ぷりぷりした実を熱々のまま頬張る。湯気が薄ら出ていて芯まで甘い。子ども用にとケースで買ってくれるサイダーを飲んで、もうひと遊び。

夕方になるまで遊んで、そろそろお腹が減ってくる頃。
田舎の大きなお風呂とは言え、四家族も居ればパンクしてしまう。
なので大人の男と子ども組は車に乗り、湯谷口の小さな温泉へ行ってひと風呂浴びる。
女湯はちい姉ちゃんと私と上の妹。あとは皆男湯だ。

熱いお湯に浸かってさっぱりしたらすぐに帰る。晩御飯が待っているからだ。
急いだせいで髪の乾かし具合がいまいちだけど夏の夜風に晒しているうちに乾くだろう。

私たちが出て居る間に婆ちゃんたちが晩御飯の支度をしてくれていて、昼間とはまた違った食卓に心が躍る。
一日遊び疲れてお風呂に入った後のご飯はいくらでも食べられる気がした。
祖母の実家の血筋は皆揃って酒が弱く、飲んでもビールをグラスに一杯程。
食べ終わった順に席を立ち食器を下げて。居間とは別の部屋で子供組が集まりテレビを観る。でもその内遊び始めて結局は最後まで観ていなかった。

夜は蚊帳の中で眠る。蚊取り線香の匂いと、少ししっとりした敷き布団が触れる背中。夏用の薄い掛布団。昼間の疲れのせいか、いつだってぐっすり眠れた。

あくる日。朝からひいおばあちゃんのお墓参りに行き、手を合わせる。
それが終わると水着に着替えて。そのまま車に乗り込んで移動し、愛媛の婆ちゃんの地元へ向かう。
今いる場所よりも更に山深く、車がなんとか走れるようになっているものの、行き違いが出来ないような狭さ。
そこをどんどん走っていき、婆ちゃんの実家の近くまで辿りつく。
滑河渓谷と呼ばれるその場所の付近は入り組んでいて車がすれ違えないどころか舗装もされてない。邪魔にならない箇所に車を停めて、それぞれ荷物を持ち、躓かないよう気を付けながらゆっくり下る。
大きな石で出来た川の中の道を、転ばないようそろり、そろりと渡り、流れが激しくない場所を爺ちゃんが選んだら、その場所の傍に陣取って荷物を置き我先にと川へ向かう。
冷たい水にそっと足を浸け、せーのでざぶんと全身で飛び込む。
緑で囲まれた川は涼しくて。塩水で肌がぺとっとする海よりも気持ち良くて、大きな滑り台があったり流れたりする街のプールよりも嬉しいものだった。

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で浮かんで、川の流れに乗ればちょっとした急流すべりも出来た。

綺麗な石を集めて並べて乾かして。つるつるした丸い石のすべすべした手触り。
気が済んだら何故か川に投げて飛距離を競った。
途中の休憩であらかじめ買っておいたお弁当を食べる。子どもは全員まとめてから揚げが乗ったとり弁当だった。
好きな石に腰掛けてお弁当を食べていたら、ちりりと痛む足。川に入っている間は何も思わないのに、水の世界を飛び出すと擦り傷が出来ているは今でも不思議な現象だ。
帰りはバスタオルを巻いてそのまま車に乗って帰った。こんなに暑い夏のはずなのに、バスタオルがふんわり温かく感じる。
家に戻ると心地良い疲労感で座敷に布団を敷いて雑魚寝をした。布団からはみ出してしまうのか、いつも誰かが畳の跡を顔に付けていた。

家の前で、レジャーシートを敷いてのスイカ割り
スイカは勿論畑から取ってきて冷やしておいたやつだ。
目隠ししてわいわい割ったスイカは縁側だったり、向かいの家の壁に沿って座って食べた。
種飛ばしをしたって、怒られない。汁が付いてしまって、咄嗟に拭った時のワンピース型したタオル生地のパジャマの感触を今も覚えている。

こんな風に毎日はあっという間に過ぎていき、愛媛組に大阪の方言が移ってきた頃。
そろそろ終わりがやってくる。

夜の楽しみであり、もうすぐ帰るのだと気が付かせるもの。花火
おもちゃ屋さんで買う花火はボストンバックの大きさの袋にぎっしりと花火が詰まっている。
家から少し歩いたところがこの家の柿とミカン畑になっていて、そこで花火をし、最後に打ち上げ花火をするのが毎年の恒例行事なのだ。

愛媛の爺ちゃんが運転する軽トラの荷台に乗り、畑の間を走った時の、肌に感じたぬるい空気。パジャマのまま出かける非日常感と、落ちるかも、というちょっとしたスリル。
今でこそ考えられないが、地方の田舎の二十年以上前で、私有地なので大目に見て欲しい。

歩いても大した距離じゃなし。大人たちは水が入ったバケツや花火のセットを持って後から歩いてくる。
空を見上げると、遮るものは何もない。あるのは周りをぐるりと囲む山と、足場の悪いでこぼこした砂利道。生い茂った柿とミカンの木。
じっと空を見れば星が多くて、ちらちら光る。思わず溜め息が漏れた。

こんな風に星が近いのも、田舎の生活も、もう終わりなのだ。
手持ちの花火に火を点けて、ぐるぐる回してふざけるのはお決まりだ。
ネズミ花火を投げて逃げ、蛇花火を観察する。
一通り終われば遂に打ち上げ花火の登場だ。

地面に置かれた花火に火が点き、今か今かと息を潜めて打ち上げを待つ。
一瞬の光と音。そのまま勢いよく上がって、パアッっと咲いては空に消えていく花火。
否応なしに上がる気持ちと、もう明日には帰るのだという寂しさ。
寂しさにちい姉ちゃんのパジャマの裾を掴んだら妹も真似して寄ってきた。
手をつないで花火を見上げて、全て打ち終わったら最後には線香花火が出てくる。
ちい姉ちゃんの弟たちは元気の塊みたいでいつも二人で張り合っている。
だから線香花火もどちらが長持ちするかで競争しているらしい。相手側の火種に息を吹きかける不毛な争いをゲラゲラ笑いながら見る。
因みに、一番最後まで花火が光っているのはじっと小さな火を見つめて動かない五つ下の妹だった気がする。

夜が明け、次の日。
帰りは時間が読めないので昼ごはんを食べて少ししたら出発だ。

最終日は出発直前まで缶蹴りをしていた。大人と子どもも手加減無しで家の周りを、畑の中を走り回る。鬼は二人、隙を突き、砂ぼこりを上げて缶を蹴る。夢中になるうちに汗まみれになるけれど構わず走り回る。
帰りたくない。まだ遊んでいたいと思うけれどそろそろ出発するからと母が呼びに来ればさよならの時間。缶蹴りは中断されて「また来年」そう言い合って別れる。

今とは違い、気軽に連絡が取れるわけではない。年賀状と手紙くらいしか手段が無かったあの頃。この別れはずしりと重たいものだった。
帰りたくない、愛媛の子になると泣く姉弟を宥めてはいるけれど私だって寂しかった。
今度こそ「また来年、遊ぼうね」そう言って握手をして車に乗り込む。窓から顔を出して
見送る皆に手を振って、見えなくなるまでそうしたら窓を閉め、ちゃんと座り直す。
来た時と違い、帰る時は歌う元気もなくなっていて、気が付けば眠っていた。

途中の休憩で元気のない孫たちのために婆ちゃんがソフトクリームを買ってくれて車の中では零した時に大変だからと外のベンチで食べる。
まだ暑い時間。バニラ味のソフトクリームが舌で溶ける。ひんやり、冷たい。
車だらけのサービスエリアで、大勢の人を眺める。もうすぐ夏休みが終わる。



祖母が久しぶりに帰りたいと言い出したのは去年の秋のはじめ。
肺炎で入院した愛媛のじいちゃんのお見舞いに行こうという話になったけれど今、私は東京に住んでいるし仕事の都合もある。
母が休みを取れる平日に愛媛まで行く時間を作れないと躊躇する私と、子どもが生まれたばかりの二つ下の妹以外でさっさと訪ねに行ってしまった。
ちい姉ちゃんの実家に泊まって、あの頃はまだ幼稚園に通っていた五歳下の妹がすっかり大人になって皆とお酒を飲む写真が送られてきた時は「いいなあ」と少し嫉妬した。

私も会いに行きたいな、と思って次の年。5月に法事があるから皆で集まろうと話が出て居た矢先。何気ない日常はひっくり返されて、何処へも行けなくなった。
この状況がいつまで続くのかと考えると気が遠くなってくる。
祖母は今年90歳になる。愛媛のじいちゃんたちももう80代後半だ。
悲しい話だが、いつ会えなくなったっておかしくない。
でも、だからこそ今行くわけにはいかない。

今の騒ぎが終息したら、あの頃と全く同じようにとはいかないだろうけれど、また皆で縁側でスイカを食べたい。緑のトンネルを抜けた先にある川に遊びに行きたい。

カセットテープはもう無いけれど、あの頃歌った曲を流して。またあの橋を渡りたい。

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