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こんな風潮が個人的に大嫌いです

私だけかもしれませんが、最近、顕著にこの傾向が見られて非常に不快な思いをしているんです。

以前に「おじさん構文」の記事でも似たようなことを書きましたので、よろしければご覧下さい。

嫌いな風潮

書き表すのが難しいのですが、簡単に言うと

自分が劣位にある事を優位にすげ替えようとすることが大嫌いです。

例えば、おじさん構文の例で言えば、長い文章が読めないというリテラシーの無さを棚に上げて、おじさんとディスる。

長い文は時代遅れと、相手に短文を強要するかのような感じですね。

これなら理解できるだろうと書き手は思っています。それが分からないということは自分が書き手より能力が劣っている。
ここで危機感を感じて読解力をつけようと努力してくれればいいのですが、多くの学生はそうしません。

そこで相手をディスって優位に立ったかのようにする妙義を繰り出す。

根本的な解決にはなってないですよね。

他にも似たような例があります。

高らかに「知らねーよ」

授業でよくあることなのですが、少し専門的なことやマニアックでニッチな話をした際に、「そんなことがあるのか。そんな世界があるのか。」と吸収しようとしてくれればいいんですが、大抵の子どもは、

知らねーよ、そんなの知ってて何の役に立つの?

どーでもいいことよく知ってるね笑

的な事を言ってきます。

これも先の例と同様です。
自分の知識の無いという劣位を、よくそんな無駄な事知ってるねと相手をディスって優位に立とうとする。
理解しよう、知ろうとする努力はしない。

生徒に実際に言ったこと

「努力する人、した人を笑わない。能力がある人をディスらない。君たちよりずっと偉いから、勘違いするなよ」
こんな感じのことを言いました。あまりにこの風潮に腹が立って…。

でもやっぱり知らないことは恥と思わないといけないと思います。知らなかったとしても吸収しょうとしなければいけないと思うんです。

最後に

ちょっと分かりにくいかったかもしれませんが、
この風潮の何が嫌かというと、
努力をせず、しょうともせず相手を下げて優位に立とうとする姿勢が気に食わないということです。

優位に立とうとするなら、努力して自分が上にいきましょう。相手を下げても、自分の位置は変わりません。

少しでも共感して頂けると嬉しいです。文章もっと頑張りまーす。

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