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白ご飯のような人間になりなさい

はじめに


3月2日。

ありがたいことに、近愛塾にて吉岡先生と対談をさせていただきました。

内容は「親を立てる」「時代とおたすけ」について。

吉岡先生は、こちらが「1」言ったら、「10」悟られる先生。

経験も知識も、もの凄く豊富で、たくさんの人から慕われる、そんな先生なんだなぁと感じました。


先生との対談で、改めて2つのことを再確認させられましたので、

今日は、その話をさせていただきます。


この話は、もしかすると異論もあると思います。

しかし、人間の在り方についてもの凄く考えさせられる、とても良い話です。

特に最後が、一番おもしろいです。📝

ぜひご覧ください👁️👁️
             👃
                         🫦


親を立て切る

近愛塾の対談にて、改めて2つのことを再確認させられました。

一つ目。

理の親を立てることは、

人間思案をなくすこと。


二つ目。

人間思案がなくなったところに、

親の理(ご守護、働き)が流れ込む

ということ。


理の親を立てることは、人間思案をなくすこと

一つ目について。

高田先生は、

おたすけの相談は、全て理の親に伺いを立てる。

とにかく、親一条に通ることを教えていただきました。

自分の「我」思いや考えを立てるのではなく、

理の親の言葉を立てる。

それが一番ご守護をいただきやすいし、

結果も出やすいと教えていただきました。

全て理の親に伺う。

これ、頭では理解したものの、心が追いつきません😫


内心、

親に聞きたくない。

正直、自分の方針、やり方でやりたい。

親に聞いたら、なに言われるか分からない。

そんな葛藤がありました。

しかし、おたすけの先生。

用木とは、いわば道具である。

道具に、自分の「我」思い、考えは要らない。

親の思いにそのまま溶け込む。

親の道具衆に成り切ることが肝心。

人間は、心の自由を許されています。

その自由な心を、親の思いに合わせていく。

それが親の道具衆になる、と言うことです。

親の道具衆になり切る。

そのためには、湧いてくる人間思案を捨てないといけません。

人間思案を抑え、理の親を立てていく。

そうすることで、だんだん自分の我が、親の理によって、「ガリガリ」と、削れていくのです。

理を受けるパイプが綺麗になってゆくのです。


人間思案がなくなったところに、理が流れ込む


二つ目。

人間思案思案がなくなったところに、理(働き、ご守護、恵み)が流れ込みます。

神の恵みは、常に一定だと教えられます。

例えていうと、

あなたの頭上には、神の恵みが、雨のようにたくさん降っている🌧️

でも、いまいちご守護をいただけないのは、

恵みを受ける「管」パイプのようなものに、埃が詰まっているから。

埃とは、自分の思いや考えという「我」です。


たいてい、自分の考えなど大したことありません。

「おやさま」が

「その通り、世界の人が皆、真っ直ぐやと思うている事でも、天の定規にあてたら、皆、狂いがありますのやで。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』三十一「天の定規」

と教えられた通りです。


自分の「人間思案」「我」が、ひたすら邪魔なんです。

その管を綺麗にすれば、神の働きをいただける。

管を綺麗にするには、

自分の人間思案や我を捨てること。

すると、神の恵みが「スーッ」と流れ込みます。


自分の人間思案や我を立てるのではなく、

親の理を立てる。

そうすることによって、自分我が取れ、神の恵みが流れ込んでくるのです。


「おやさま」ひながたとは?


高田先生は、私たちに質問されました。

「おやさま」のひながたとは何ですか?

いろいろな意見が飛び交う中、1人の寮生が答えます。

凭れることではないでしょうか?

すかさず先生、

それ正解!私もそう思う!

先生は、仰られました。

天理教で、一番大切なのは、何か?

それは、『天理教教典』第一章、最初のページに全て書いてあるとのこと。


すなわち、

あらゆる人間思案を断ち、一家の都合を捨てて、仰せのままに順う旨を対えた。

 時に、天保九年十月二十六日、天理教は、ここに始まる。

『天理教教典』

ここが分からないと、天理教は何も分からない、とのこと。

私たちに置き換えると、

あらゆる人間思案を断つ。

一家の都合を捨てる。

そして、理の親のおっしゃる通りにさせてもらう。

何でも親に伺う。

親に喜んでもらう。

親の言うことは、何でも「ハイ!」と言って受ける。

そうすることで、今度は理の子が自分の力になってくれる、と教えられます。

用木というのは、道具衆。

道具衆に、思いや我は要らない。

自由に与えられた心。

その心を自分の人間思案を立てるのではなく、

親の思いに合わせていく。

親の思いに溶け込んでいく。

神一条と親一条は同じ。

とにかく、親だいじ。

親立てることが、

天理教で一番大切だと学ばせていただきました。



おまけタイム


これは、違う先生のお話。

内容は、愛されるための条件。

みんなから愛されるには、

白ご飯のような人間になりなさい。

白ご飯はみんなに愛されます🍚💓

いわば、日本の主食です。


ところで、主食と呼ばれるもの。

世界には様々な主食がありますが、その共通点を考えたことありますか?

世界の主食をザッと挙げると、

ご飯🍚

パン🍞

パスタ🍝

ナン🫓

じゃがいも🥔

奇跡的に全部絵文字ありました😄

さすがは愛される主食🙌

さて、主食の共通点。

もうお分かりですね。

そうです。

主食の共通点は、

味がない!

ことです。

味がないからこそ、毎日食べ続けられる。

ご飯に味がないからこそ、

デミグラスソースハンバーグや

照り焼きチキンが付いてくる。

もともと味がないからこそ、いろんなアレンジができる。

白ごはんのような人間になりなさい。

とは、、自分の我のない人間ということ。

そう言う人ほど愛される。

このように教えていただきました。

私はどちらかと言うと、

デミグラスソースハンバーグ。

すっごくクセの強い人間です😓

自分の我を減らし、親の思いに溶け込む。

人間思案を捨てたところに、神の働きがある。

クセのない白ご飯のような人間になりたい今日この頃です。

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