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文明の進歩が無為自然な生き方を生み出す、という話。

大雨の状況が気になって、防災ポータルをちょこちょこ見ています。
先程の地震も1~2分以内で内容を把握できますし、情報がきちんと届くというのは安心ですね。

50万年前、人類は火を使うことで内臓への負荷を軽減できたから脳が進化して文明を興すことができた、という説があるそうです。

現在は、コンピューターを使うようになり、ありとあらゆるものが自動化されて認知的/身体的負荷を下げることで、便利・快適な生活を実現できています。これはもっともっと進歩して面白い世の中になっていくはずです。


と、ここまで書いた時点で、ハラリさんの3部作を復習した方がいいなと思い出し、『サピエンス全史』・『ホモ・デウス』『21lessons』と、落合陽一さんの書評をざざぁーっと読み直しました。

私達は島国で暮らす日本人で、一神教の観点をもって超人を目指すよりも、多神教(あるいは無神論者も含めて)の観点をもって自然体で居られる環境を求めるという文脈の方がしっくりきます。

・学校のテストでNO.1を目指しましょう
・個性を活かしてONLY1を大事にしましょう

どちらも大事、というと中途半端??

物もお金も情報も溢れている時代になって、その中で人口や制度の構造的に、一定の頻度で認められる属性(志向や行動、社会や仕事あるいは家族・自分の暮らしに関する観念など)やギャップというのは否定しても仕方がありませんが、先人からの知恵や文化を受け継ぎながら、どうやったら今の世代の特長を磨いて活かせるのか、そして良いところを次の世代に残せるのか、ということに時間を使っていくことが必要なんじゃないかなあ、と思います。

ニュースで新しい横文字が次々登場して、ネガティブな問題にテンションが下がり、個人情報や閲覧履歴を気にしつつもネットで情報を求め、また、水とかCO2とか環境を気にしつつもおしゃれで便利な生活を求め、「これでいいのか?」ともやもやを感じている人もたくさんいるかもしれません。


そこで冒頭の話に戻るのですが、私達が「快適に暮らしたい」「豊かさを感じたい」と欲する時、単に田舎暮らしをするとかネットから距離を置く、ということではなく、技術や制度が発達し、負荷が軽減され、新しい環境を手に入れる(もしくは捨てる)ことで、今まで解くのが難しかったパズルゲームが、意識しなくてもさくさく解けるようになって、結果的に個人が無為自然な生き方を体現できるようになるのでは、と思います。

こうやってnoteで簡単に思い付きを記録・発信できるというのも文明の進歩ですね。いい世の中です。


ではでは。

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