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EVERYDAY大原美術館2023 vol.6「ヘタなクリスマス」

息子が生まれてもうすぐ1000日がやってくる。ある人が言うには、1000日ごろをさかいに幼児が急に子どもになるという。幼児と子どもの定義にもよるが、言葉がしっかりするとか、会話が成立するなど大きな変化があるらしい。
まだ1000日を迎えていない我が子だが、もうしっかりした人間である。自己主張をし、私よりよっぽどはっきりした物言いをする。子どもって勝手に線を引いているけど、何が違うのだろう、何が一緒なのだろうと、考えさせられる毎日だ。

カレル・アペル作「母と子」

ナカムラさんの「母と子」

子どもがいなかったら、気にならなかった作品かもしれない。私は、父であり母ではないので、母が見たらまた違う何かを感じるのかもしれないと思いながらの鑑賞。

ヘタな絵

よく名画を前にして「落書きのように見える」絵でも、アートには価値があるなんて、アートの理解の難しさを語る定型句があるが、この絵は本当に落書きのようだ。「うちの子が描いたの〜!」とご近所さんが持ってきたら、もっと上手になってから見せてよ〜と心の中で思いそうなほど。
逆説的に言えば、こんなヘタな絵なのに大原美術館に所蔵されているのであれば、何かあるに違いない。いや、これこそ「下手ウマ」というやつだ。

雰囲気はわるし

題名を見ずにまずは思うがままに見てみよう。赤と緑はガチャピンとムックの色。だけど、この絵にはガチャピンとムックのような楽しい雰囲気がない。緑の人は怒っているようにも見えるし、赤い人は怖がって泣いているようにも見えてくる。

題名は「母と子」

題名が「母と子」だからと言って、画面上に「母と子」が描かれているとは限らない。緑の人は兵士で、逃げる赤い子どもは、画面上には登場しない母の元へ走っているようにも見ることができる。

この二人が「母と子」のどちらかだとする。
緑=母、赤=子だと見れば、いたずらばかりする子どもを叱り立てる母。
緑=子、赤=母だと見れば、自分で何もしない子どもに発狂する母。
とここで、気付く。
子を男児だと思い込んでいることに。それは私が男であることや、私に息子がいることが原因かもしれないが、なぜそう思ったのだろう。

母はマリア、子はキリスト

キリスト教に縁のあまりない私ですら、「母と子」と聞けば、聖母マリアとイエスキリストを思い浮かべざるを得ない。
キリストが生まれた日(厳密には違うらしいが)と言えば、クリスマス。赤と緑、ちょっとクリスマスらしさがないとは言えないが。
キリストは生まれたばかりで、大いに泣いている様子。聖書には描かれないリアルな「母と子」が描かれているとも見える。

置き換えてみれば

母のような存在と比喩的に言われることは多い。
例えば、母は国家、子は民。
母は地球、子は人類。
子はいつも自分勝手で、母は寛容でその分、破滅的でもある。

父は登場しない

ヘタな絵をきどり、本当の意図を見せず、辛辣なメッセージが実は隠されているのではないかと疑ってしまう1枚。
色の使い方、重ね塗られた跡、象徴的な部分など数多くあることから、作者の強い意図があることは感じずにはいられない。
また、そうでありながらも、子を叱る母のように見えた人は、その先入観から抜け出せないという第二弾の罠も仕掛けられているようにも感じた。








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