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【短編小説】『リリカル・スペリオリティ! 番外編』#くるみパン


あらすじ

リリスとサタンは、人間の欲を集めに日本にやってきた悪魔。リリスが潜入している高校の美術教師が、彼らの追手「チェイサー」であるという情報を入手し、その調査を進める2人だったが・・・。

# くるみパン



「あんぱんが良いって言ったじゃん」
「あんぱん売り切れてたんですよ、仕方ないじゃないですか!」

 コンビニで買ったくるみパンは、どうやら上司のお眼鏡にかなわなかったらしい。錆びついたブランコがぽつんと佇む静かな公園で、サタンは小さくため息をついた。

 双眼鏡を手に、ここから100mほど離れたアパートを注視している悪魔の上司―例えではない、本当の悪魔である―リリスに頼まれ、サタンはダッシュで朝ご飯を買いに行ったのに、返ってきた答えがこれだ。梅雨のムシムシした空気も相まって、サタンは余計にがっくりきた。

 人間の欲を集めに来た悪魔として、先日どうしても見過ごせない疑惑が浮上した。リリスが女子高生として潜入している上野桜丘高校に、我々悪魔の敵、「チェイサー」が紛れ込んでいるというのだ。

 「チェイサー」。この国では、「警視庁公安部」と言うらしい。リリスはその「チェイサー」と思しき女のアパートを、かれこれ5時間見張り続けている。

「でも、何であんぱんが良かったんですか?」

 サタンは袋の中から「おいしくて美味牛乳」と書かれた青色の牛乳パックを取り出し、アパートを見つめる上司に渡した。パックの側面についた水滴が、少し冷たい。

「何でって・・・。尾行と言えばあんぱんと牛乳って、杉下左京が言ってたぞ」

 リリスはケロッとした顔で牛乳を受け取ると、パックにストローを指してゴクゴク飲み始めた。ポニーテールにまとめた長い髪がふわりと揺れる。

 ・・・絶対別の誰かと勘違いしてる。「杉下左京」はそんなこと言わない。

 サタンが思うに、リリスは最近、所謂「刑事ドラマ」にハマっている。「杉下左京」はテレビドラマ「ナイスバディ」に出てくる刑事で、その明晰な頭脳と鋭い推理力で、難事件を次々と解決する。

 本人は「チェイサーについて学ぶためだ」などと言ってハマっている素振りも見せないが、こっそり録画して何回も見ているのをサタンは知っている。それに、杉下左京は刑事部であって、公安部ではない。

 だが、「杉下左京はあんぱんで尾行なんかしないし、そもそも刑事部と公安部は違いますよ」なんてバカな指摘はしない。

 悪魔業を背負うリリスのお供として日本に派遣され、共同生活を送る中でサタンが学んだこと。それは、「この人に何を言っても無駄」。

「・・・そうですか・・・」
 喉の奥からわき上がる反撃の言葉を飲み込み、あんぱんの代わりに買ってきたくるみパンで喉にフタをしようとした時だった。

「鈴木佳奈が出てきたぞ」

 双眼鏡を持ったまま、リリスが静かに呟いた。双眼鏡を受け取って覗くと、女が部屋の扉に鍵を閉める所だった。後ろで長い金髪を1つに束ね、黒いジャケットに黒いパンツを履いている。スーツのようだ。

「なんか、変な格好ですね・・・」

 鈴木佳奈と呼ばれる女は、リリスの高校の美術教師だと言う。黒いスーツから金髪が浮いて見え、ちぐはぐな印象を受けた。学校のない土曜日に、全身スーツでどこへ行くつもりなのか。

「後を追うぞ」

 リリスはグレーのキャップを深く被ると、飲みきった牛乳パックをさっさと畳み、サタンが持っていたコンビニ袋にぶちこんだ。
 その一連の動作に気付いた時には、悪魔の上司は公園の外。

「あ、ちょっと待って下さいよー!」

 リリスはいつも、後片付けもそこそこに、気づいたら別の場所に行ってしまう。それを綺麗に掃除し、ゴミはゴミ箱に捨てるのがサタンの役目だ。

 サタンは公園の「燃えるゴミ」に空いたパックを捨てると、慌ててリリスの後を追った。

 サタンが走るリズムに合わせて、袋の中で2つのくるみパンが揺れていた。

 東京メトロ南北線王子駅から電車に乗り込み、鈴木佳奈が飯田橋駅で降りたのを見計らって電車を降りた。

 土曜の朝の地下鉄は、どこか混沌としている。
 「今日も仕事だ」、と顔に諦めが浮かぶサラリーマン、子綺麗な格好でこれから親しい人と会いに行くであろう女、缶バッジが数十個詰められた透明な鞄を担ぐ老若女…。平日とはまた違った、独特の空気がある。

 鈴木佳奈は慣れた足取りで有楽町線のホームに辿り着くと、新木場行きの電車に乗り込んだ。

「このまま行けば永田町、警視庁のある桜田門もあるな…」

 小さな声で呟くリリスの視線の先には、1車両奥のドア際で立つ鈴木佳奈がいた。彼女もリリスも、席が空いても座らない。

 もし本当に鈴木佳奈が「チェイサー」だったら、リリスはどうするつもりなのだろう。任務はまだまだ序盤なのに、チェイサーに捕まればそこで終了、かと言って本部に戻れば収穫はゼロ。
 リリスは今、崖っぷちに立たされていると言っても過言ではないのだ。

 頼む、鈴木佳奈。このまま月島まで行って、なぜかスーツでもんじゃを食べてくれ。

 サタンは、鈴木佳奈の後ろ姿に念を送った。


 電車がゆっくりと速度を落とし、停車する。

「桜田門、桜田門」

 プシュゥ・・・という音と共に、ドアが開いた。

「あ・・・」

 鈴木佳奈は電車を降り、一直線に出口へと向かっていく。隣のリリスは、沈黙したままだ。

「・・・」

 ホームからは軽快な発車メロディーが鳴り響いている。早く降りなければ鈴木佳奈はどこかへ行ってしまう。空調は効いているのに、サタンの額からは汗がにじみ出ていた。

 心臓の音が体中に鳴り響く。早く行かなければ、とわかっているのに、サタンは唇を噛み締めたまま動くことができない。

 沈黙を破ったのはリリスだった。大きな目がぐるりとこちらを向いた。

「サタン、ここからは2人で行動すると目立つ。私が先に行くから、距離をとって後からついて来い」

 リリスは早口でそう言い残すと、今にも閉まりそうな電車を降りた。

「え!?あ、はい!」

 閉まりかけたドアに身体が挟まりながら、サタンもなんとかホームに飛び降りた。乗客の視線が背中に刺さっているのがわかったが、上司の言いつけ通り、ゆっくりと後を追った。


「あーぁ、やっぱりクロだったー!」

 桜田門駅で降りてから、サタンはあっさり鈴木佳奈とリリスを見失った。それでも、必死に複雑な地下通路を突破して地上に出ると、腕を組んで悪態をつくリリスが立っていた。

 不機嫌な上司ほど関わりたくないものはいない。しかし、聞かないわけにもいかない。

「ということは、鈴木佳奈はやっぱりチェイサーなんですか・・・?」
「少なくとも、警察関係者だと思う。警視庁に入って行ったきり、戻ってこないし」

 リリスは苦虫をかみつぶしたような顔で、巨大な警視庁本庁舎を見上げた。鈴木佳奈の正体が「ただの美術教師ではない」とわかっただけでも、御の字だろう。全然良くはないけど。

「これからどうしますか?とりあえず本部には、『鈴木佳奈はチェイサーの可能性が非常に高い』と報告して、今後の対策を練るにしても・・・」

 崖っぷちだと思っていた崖が、もう外れるところまで来ているのだ。見習いのサタンにだって、危ない橋を渡ろうとしていることぐらい理解できる。今後の対策も何も、一旦本部に戻るのがベストだ。

「まあ・・・何食わぬ顔で任務を続けるしかないだろうな」

 並木の1つに持たれながら、リリスは目を閉じた。人間界では「かわいい」とされるその大きなまぶたに、木洩れ日が当たっている。

「もしチェイサーにバレたりしたら、リリスさんは消えてしまうんですよね?」

 並木の間から風が通り抜け、サタンの首元をかすめた。車道では、車が次々に行き交っている。

「・・・いや、バレてもシラを切れば捕まることはない。私が集めた欲をうっかりバラしたり人間に返したりしなければ、任務は続行できる。任務が続けられる限り、私たちは消ない」
「でも・・・」

 心配なものは心配なのです。

 消え入りそうな声をするサタンを横目に、リリスはニッと笑った。

「大丈夫だって。私がそんなヘマするわけないじゃん。唯一無二のリリス様だぞ?」

 その自信は一体どこから来るんだか。昨日も制服のスカートを洗濯機で洗おうとして、間一髪でサタンが止めたというのに。

 サタンの心配などつゆ知らず、リリスはさっさと帰り支度を始めた。

「さ、鈴木佳奈がヤバイ奴だとわかったことだし、もう帰るぞ」
「そうですねぇ・・・」

 これからどうするのか。家に帰ったら本部と検討して、もっと鈴木佳奈の調査を進めて・・・。やるべきことはたくさんある。

 サタンが地下鉄へ続く階段を降りようとした時だった。
 前から歩いて来た女の鞄から何かが落ちた。
 拾い上げてみると、1枚の絆創膏だった。

 振り返ると、女は落とし物に気付かずどんどん行ってしまう。

「貸して」

 リリスが絆創膏を持って女の行く方に足を踏み出したので、サタンは慌ててその細い手首を掴んでしまった。

「ダメですよリリスさん!あの格好、鈴木佳奈と同じ、スーツですよ」

 こんなに暑いというのに、ぴっちりとしたジャケットに膝丈のタイトスカート。歩きずらそうなパンプスを履き、A4サイズが入りそうな大きさの洒落気のない鞄を肩に提げている。身につけているものは、全て真っ黒だ。

 鈴木佳奈の格好とやや異なるが、今は「スーツでこの辺をうろつく人間=チェイサー」のような気がしてならなかった。

「大丈夫だって。それに、この落とし物があの女の運命を変えるかもしれないだろ」

 リリスはにっこり笑ってサタンの手を解くと、あっという間に女の元に駆けていった。

「まったく・・・。人が心配してるっていうのに」

 サタンは木陰に佇んでいるベンチに腰掛けると、「はぁ・・・」と本日n回目のため息をついた。ずっと持て余していたくるみパンの袋を開けると、ふんわりと香ばしい匂いがして、お腹から気の抜けた音が鳴った。
 そういえば、朝からずっと空腹だ。時刻はもう13時を回っている。


「あ!なんか勝手に食べてる!」

 落とし物を届けてきたリリスが戻ってきた。いや、僕が買ったんですけど。

「あんぱんじゃないですけど、良かったらどうぞ」

 くるみパンの、きちんとクルミが入っている部分をもぐと、額から汗を垂らしている上司に渡してあげた。

「え、何これうまっ!美味じゃん」

 リリスがくるみパンの袋ごとかっさらう。

「そうですよ、ファミリーマーケットのくるみパンは、『くるみパン・オブ・ザ・イヤー』で殿堂入りするほど美味しいんですよ」
「くるみパンおぶざいやー・・・?何それー」

 悪魔の上司は、口いっぱいにくるみパンを頬張ると、コロコロ笑った。

「・・・さっき絆創膏を届けた彼女は、喜んでいましたか?」
「え?ああ、うん。『落としてた!?これから面接なのに、かかと靴擦れしちゃって、トイレで貼ろうと思ってたところなの!最後の1枚だったから、無くしたら大変だったよ~ありがと!』ってな」

 リリスは少し高い声で女の言い方を真似ると、サタンにどや顔を向けてきた。

「・・・リリスさん」

 もぐもぐとパンを咀嚼する上司の顔を見上げた。

「・・・なに?」

 絶対に消えないで下さいね。

「・・・食べ終わったら、袋はこのコンビニ袋に入れて下さい」
「ほぉ~い」

 上司のその間抜けな返事に、サタンの肩に入っていた力が抜けた。

 この人には、何を言っても無駄。いくら心配しても、この自分勝手で責任感の強い上司を信じるしかない。

 サタンが未開封のくるみパンを開けると、くるみの優しい匂いが広がった。

(了)



***

補足

 「『リリカル・スペリオリティ! 番外編』#くるみパン」は、本編『リリカル・スペリオリティ!』で、制作時間の都合上泣く泣くカットした場面を、番外編としてアレンジしたものです。
 番外編として成立しているかどうかはわかりません。

 時間軸は、本編の「リリカル・スペリオリティ! #17「公安失格」」のあたりです。番外編ではありますが、併せて読むとリリカ(リリス)たちがより好きになると思います。

第1話はこちらから

ファミマのくるみパンはマジで美味い。

おわり

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