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リリカル・スペリオリティ! #2 「若きチェイサーの悩み」

第2話 若きチェイサーの悩み

※前回までのお話はここから


1.

 岸谷華蓮は動かない。いや、動けないが正しい。
 東京都北区の自室のアパートで、かれこれ1時間、机の上のパソコンに向かっている。
 「今月も特に収穫なし」という文言をどうにかこうにかいい感じに語彙を変えて上司に報告できないものかと考えあぐねているが、ないものはない。
 さっき淹れたと思っていたコーヒーはとっくに冷め、網戸には雨粒がついている。報告に気を取られて、雨が降っていることに全然気づかなかった。
「『今月も報告すべき点はなし。引き続き台東区周辺を捜査する』…と。『収穫なし』よりはマシでしょ…えぇい、送信っと」
 このメールの後、怒涛に来るであろうお叱りのメールのことを考えると、今から胃が痛い。

 華蓮が警視庁公安部に登用されたのは、約半年前のことだった。
 美大卒業後、美術予備校の講師として1年働き、「やっぱり安泰の公務員でしょ!」と一念発起して警察官を目指し、谷中警察署地域課の茅場交番で日々市民のために働くこと2年、順当に巡査部長に昇任したばかりだった。
 まさに「ひょんなことから」華蓮は公安部に行くこととなったのだが、その「ひょん」の発端はさらに3ヶ月前に遡る。

 当時、某官公庁のサーバへの不正アクセスが立て続けに起こっていた。ターゲットとなった省庁のシステム担当者の間では、ずいぶん大騒ぎになったらしいが、本件は世間に公表されていない。
 本件が「非公表」となった決定的理由は、ある組織の関与が浮上したからである。

「つまり、その『ある組織』を捕らえるために私はスカウトされたということですか?」
 スカウトとはいえ、登用試験はある。面接の際に、ここぞとばかりに華蓮は面接官に聞いてやった。
 だだっ広い部屋に、お偉いさんっぽい男の面接官3人にあれこれと聞かれた。面接官の口調は丁寧ながらも、そのダダ漏れる気迫から圧迫される候補生もいただろう。公安部ともなれば、尚更だ。
 華蓮の質問に、面接官の1人は何か書いていた手を止め、顔を上げた。管理職らしいその男は、一瞬間をおいて、こう切り出した。
「詳しいことはまだ言えないが、君の交番勤務における実績…何でも、君は遺失物や行方不明者の『女神』と言われていたそうじゃないか。君のいた茅場交番に行けば無くしモノも人も見つかると谷中警察署でも話題になっていたとか」
 そうなのだ。不思議なことに、華蓮の元に遺失届が提出されると、その日中に遺失物が見つかったし、行方不明者に関しては本人から交番に帰ってくることもあった。
「それはたまたまだと思いますけど…」
「それに君、高校美術教師の教員免許を持っているね?」
「まあ、はい…持ってはいますが、それが?」
 面接官がニヤリと笑う。
「君の捜索能力とその免許状を使って、その組織を追ってほしい、と我々は考えている。現段階で言えるのはここまでだ。結果については、また後日」
 美術教員がどう関係してくるのか聞きたかったが、面接官はもう何も答える気はなさそうだった。他2人の面接官も、華蓮のことをもう見てはいなかった。
 後日、試験の合格が通知され、あれよあれよと公安部への配属が決まった。

 まさか、美大に入ったはいいものの自分の才能は平凡だったと気づき、職のために取った高校美術教師の教員免許は狭き門すぎて使い物にならず嘆き、警察官になって意外とこの道向いてたんじゃない!?と思っていた矢先に高校の美術教員になるなんてな〜!
「まあ、潜入中のニセモノ先生ですけどね〜」
 華蓮はぬるくなったコーヒーを一気に飲み干した。


2.

「鈴木先生!おはようございます〜!」
「…?あ、はい、おはよう!」
 半袖シャツに緑のスカートの女の子が去っていく。制服からして、多分うちの学校の生徒だ。

 上野駅の公園口から出て、上野公園に入った。
 朝の上野公園は、ジョギングをする人、博物館や美術館に朝イチで入ろうと意気込む人たちがぽつりぽつりといて、決して静かな公園というわけではない。
 それでも、右を行けば有名建築家が設計した美術館があり、まっすぐ行けば可愛いパンダで有名な動物園がある。緑に生い茂った木々の中を歩いていると、華蓮はつい博物館マニアの血が騒いで、潜入中であるという事実をしばしば忘れてしまう。
…いかんいかん、エンジョイしている場合じゃないんだった!
 鈴木佳奈。それが今の華蓮の名前だ。偽名なんて人生で初めて使うので、潜入から2ヶ月経った今でも慣れない。
「私は鈴木佳奈、私は鈴木、上野桜丘高校の先生」
青や紫に染まった紫陽花の前で唱えると、華蓮は勤め先へと急いだ。

「おはようございます〜」
 職員室のドアを開けると、もうほとんどの先生が出勤していた。クラスを受け持っている先生は朝から忙しそうにしているし、部活動の顧問をしている先生の朝も早い。
「鈴木ちゃんおはよ〜」
「高橋先生、おはようございます」
 隣のデスクでキーボードを叩いている高橋萌加は、華蓮より1つ年上で、情報科の教師である。
「なんかさ〜今日めちゃくちゃ目が痒くて。花粉やばくない?」
「え、スギ花粉終わってますよね?」
「そう、私夏の花粉症なんだよね、カモガヤとか」
 そう言うと、高橋は目薬を上も向かずに指した。ラメやラインストーンが散りばめられた爪がキラリと光る。
「私、今年の春の時も目が痒くなってさ〜、ついに私にもスギ花粉の波が来たっぽくて〜。まじで今度の衆議院議員選挙、花粉症の治療代タダにしてくれる人いたら投票するんだが?」
「はぁ…大変ですね…」
 プリントを束ねる高橋を横目に、自席のパソコンを立ち上げる。たしか、今日は2限に1年B組、4限に1年C組の授業が入っているはずだ。
「ねぇ、そういえばさ、校庭に咲いてる桜、見た?」
「…はい、見ましたよ。珍しいですよね、もう6月なのに…」
 上野桜丘高校の校庭には、1本だけ季節外れの桜が咲いている。他の桜の木は、もう青々とした葉が茂っているのに、その木だけは淡いピンク色の花が咲いている。
「ちょっと前まで学者さんとかが珍しがって見に来てたけど、な〜んにもわからなかったんだよね〜」
 高橋は、じゃ、私ホームルームだから、と言い残して席を立った。彼女が通ると柑橘系のいい匂いがした。

 季節外れの桜ー知らないわけがない。華蓮がここに潜入したのは、この桜が決め手となったからだ。
 華蓮たち公安部が追っているある組織ー通称「デビルズ」(華蓮はダサいネーミングだ、と思っている)がやって来ると、季節外れの花が咲く、と言われている。もちろん、警視庁の公安部の間だけで。
 「デビルズ」が最初に日本にやってきたのは、1980年代後半ー日本がバブル景気に湧いていた頃だ。

 1985年のプラザ合意後、円高が加速して円高不況に陥り、超金利政策が行われた。金融緩和により、企業や金融機関のだぶついた資金が不動産、株式へと投入され、地価や株価は暴騰、消費活動も活発になり、好景気となった。

 …とまあこれが社会の授業で習う「バブル経済」であるが、人々の異常なまでの投資の影には、「デビルズ」の存在があると言われている(もちろん、公安部の間で)。彼らは、人々の「欲」をなんらかの目的で集めるため、人が持つ「今より、他の人より、儲けたい」という欲望を肥大化させた。その結果、不動産や株式の資産価値はどんどん膨らみ、バブル経済へと発展していったーそれが、公安部の見立てである。

「いくらなんでもおとぎ話じゃないですか?」
 公安部に採用が決まった時、今の上司ー小林健夫と面談をした。30代で警部の小林は、華蓮の面接を担当した面接官だった。
 小林は、業務内容や勤務形態などをおおよそ説明し、華蓮に「疑問があったら何でも聞け」とドスの効いた声で言ってきた。応接室の黒くてツヤのあるソファにドカッと座りる姿から、あの面接の圧迫感はこいつのせいか、と嫌な思い出が蘇った。
「常識的に、あり得ないですよ。人間の欲を意図的にコントロールするなんて…」
「それが…今の経済状況が『バブル』だなんて誰も思ってなかった時にな、当時、俺の先輩が見たんだってよ、奴らを」

 小林は、立ち上がり、応接室のブラインドカーテンをドラマの刑事みたいに凹ませた。カーテンの隙間からは、厚い雲が顔をのぞかせている。外では、雷のゴロゴロ…という音が鳴っている。
「その日は、冬の寒い日でなぁ…その人は、別の対象者を追ってたんだが、日本橋のとある証券所の前に、向日葵が咲いていたんだってよ」
「向日葵?冬なのに?」
「そう。それで、向日葵の前に変な男がいたらしくてな。挙動不審つーか…まあ警察官として、先輩は声をかけた。そしたら、男がこう言った。

『人間に、“人より優れていたい“という欲がある限り、我々はまたあなた達の前に現れるでしょう…』

ってな」
 雷が落ちる音がした。小林は、びっくりしてブラインドカーテンを元に戻した。
「え、こわ…それで、どうしたんですか?なんか犯罪の予告みたいですけど…」
「信じられないことによ、その男、消えたんだって、先輩の目の前で。さっきまで咲いてた向日葵も枯れて」
 自分が聞いているのは捜査情報なのか、オカルト番組の怪しいナレーションなのか、華蓮はわからなくなってきた。
「その日、日経平均株価が終値3万8915円、史上最高値を記録してさ。そこからすぐにバブルは崩壊、長ーい不景気の到来よ」
 あーあ、やんなっちゃうぜ、と言わんばかりに困ったポーズをした小林は、茶化すような口調ながらも、遠い目をしていた。
「あれから公安部は密かに奴らを追って来たが、奴らの姿はさっぱり見つからなくてな。諦めていたところに、不正アクセスと上野にある高校に季節外れの桜が咲いてるって情報が入って、お前に白羽の矢が立ったってわけさ」
 矢を立てるにもほどがあると思う。それに、ずっと疑問だったことを上司にぶつけてみた。
「でも…潜入捜査ってアウト寄りのギリギリアウトですよね?たとえ対象を含む集団を捕まえたとして、いざ裁判になったとしても、潜入して掴んだ証拠は証拠能力がない」
 小林の顔が苦々しくゆがんだ。
「あー、奴ら、おそらく人間じゃないから。そもそも法律で裁けないんだよ」
 小林は華蓮から視線を外し、すっかり冷めた煎茶に口をつけた。外では激しい雨が降っている。
「じゃあ私は何のために潜入するんですか?捕まえたって事件化できないってことですよね?そもそも、私警察官なのに、高校の教師になるって何なんですか、公務員は副業禁止ですよね!?」
 勢いで机に手を叩きつけてしまった。湯呑みからお茶が溢れたが、小林は眉ひとつ動かさない。
「『?』が多いぞ、岸谷。警察官たるもの、常に冷静でいないと」
「私は真面目に聞いてるんですよ!」
 机からお茶が滴っている。
「そもそもな、今回のお前の任務は、奴らを捕まえることじゃなくて、奴らの実態を調査することだ。お前が変な動きをして、バブル景気の時みたいな手土産だけ残されてとんずらされたんじゃ、しょうがないわけ。」
 荒れ狂った象を慰めるみたいな口調だった。華蓮は仕方なく、布巾で溢れたお茶を拭いた。
「じゃあ、なんで高校教師に?そこまでして彼らを追う理由って何ですか、国民に何か危害を加えたりするわけでもなさそうだし…」
「高校教師になってもらうのは、今回の対象がその高校の関係者である可能性が高いから。実際、奴らがどんな野郎なのかまだほとんどわかってねぇのに、『協力者』を立てるのも厳しい。それに、学校だと部外者がウロウロすると逆に怪しまれるからな。副業の件は、うちの上層部と、その高校の校長との間で、話はついてるから。残念ながらお前に警察官と教師両方の給料は入らん」
 おいおいおい、それはそれでどうなんだよ!?
 お茶まみれになった布巾を持つ手に、思わず力が入る。手がお茶くさい。
「それと、いいか、俺たちの責務は警察法第二条、『警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ』、うんたらかんたら、『その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする』。バブル経済の崩壊だって、不景気になって、就職氷河期とか言われて、国民に大きな影響与えてるんだよ。奴らの目的はなんだか知らねえが、そいつらは少なくともこの国の経済を捻じ曲げたんだ。秩序を守らずに、自分たちの目的を実力行使で果たそうとする奴等を、俺たちは許すわけにはいかないんだ」
 わかるよ、わかりますけども!
「まぁだからな、怪しい奴がいたらすぐに報告しろ。あと、ちゃんとカリキュラム通りに授業は進めろよな。それが潜入の条件だから」

 ムキー!正論しか言ってなかったけど、思い出しただけでムカつく!
 ホームルームでほとんどの先生が出払った職員室で、華蓮は1人、発狂しそうになった。
 気づけば、生徒に渡す予定だったプリントが手汗でシワシワになっている。
 あー、また印刷し直さなきゃ。先生の仕事って、教えるだけじゃないんだよなぁ。
 1限目の鐘が鳴る音が、職員室に響き渡った。


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(※この物語はフィクションであり、所々作者の想像で補っています。実際の組織、団体とは一切関係ありません。)

参考文献
北芝健(2008).ナツメ社.『図解雑学 警察のしくみ』.
古野まほろ(2018).『警察官白書』.新潮社.
古野まほろ(2020).『警察の階級』.幻冬舎.
古野まほろ(2023).『公安警察』.祥伝社.

警察法については、下記ウェブサイトより引用
e-Gov法令検索(https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=329AC0000000162


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