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『東京の生活史』感想 3人目

<3人目>2023.09.22読了

 ひどく集中力の欠けた1週間だった。
 「仕事行きたくない」と思っても、いざ会社の自分のデスクに腰掛ければ気合いスイッチが入ったりするが、それもなかった。とにかく「早く帰りたい」の一心で仕事をしていた。

 金曜日、6時くらいの電車に乗る。いつもなら混んでいるはずだが、一本前の電車が遅れ、そのすぐ後に来た電車に乗ったら空いていた。ホームの列の先頭に並んでいたので、空いた席を見つけて座る。あとから乗ってきた人に両サイドを固められ、電車が出発する。

 昨日は何も聴く気にもならず読む気にもならず、Twitterを眺めてぼんやりした。Twitterで平気で1時間とか溶かしてしまう。映画の『花束みたいな恋をした』の中で、漫画や映画が大好きな麦くんが、仕事に疲れて「パズドラしかできない」と言っていた。私の場合「パズドラ」はTwitterだ。

 だが今日は金曜日。金ローでコナンの「純黒の悪夢」もやるし、明日から二日は休みだ。少し電車時間を有意義に使ってみるか。

 hontoのアプリをタップし、買ったばかりの電子版『東京の生活史』を開く。どれを読もうかな。

 縦長の画面で目次を追う。私と同じくらいの年齢の女の子のインタビューとか、ないのかなぁ。

 「きっとこれはそうだ」あたりをつけて、目次のタイトルリンクを押した。

(※引用箇所のページ数は紙媒体のものを記載)

自分の欲に何万もかけて来る人がこんなに世の中いるのに、なんでお金のない人とわざわざ付き合ってるんだろうって思って


 語り手は、東京都町田生まれ。芸術系の一家に生まれる。美術系の都立高校を卒業後、美大の夜間部に通学しながら昼間は出版社で働く。24歳頃から風俗店で勤務を始める。現在は「絵の先生」をしながら、時々風俗店で勤務する。

 読んで最初に思ったのは、語り手は「強い人だ」ということ。自分の人生を信じているというか、生き方に信念を感じる(実際にキックボクササイズを習った経験もあり、物理的にも強い)。

 印象に残ったのは、そのキックボクササイズの先生に関する以下の語り。

で、付き合えないのにずっとこのままなのも自分がつらいだけだなーって思ったので先生ともお別れをして。

『東京の生活史』p.527

 「別れる」という行為は、現状を変える行為の一つだ。「辞める」、「別れる」、は、「入る」、「付き合う」、「結婚する」などと同じくらい大きな決断で、それまで連綿と続いた日々と自分が切り離されることを意味する。

 なぜ辞めるのか、なぜ別れるのか、には様々な事情があるだろうが、語り手の「このままなのも自分がつらいだけだなー」という理由がすごく「素敵だな」と私は思った。語り手は自分の中に何か揺るがない軸があって、それと照らし合わせながら生きているような感じがした。

 自分は何をしていたら幸せで、何をしたら嫌だと思うのか。一見、「そんなの直感でわかるでしょ」と思いきや、これをやるのが就職活動の「自己分析」で、私はそれが大の苦手だ。自分の中に軸をもち、それをわかっている人が羨ましい、と今でも思う。

 性風俗店で働くことについて、印象に残った語りは2つ。

 いつだろう高校生ぐらいかなあ、なんか風俗やる気がするって中学生かなあ・・・・・・思ってました、別になりたいとかじゃなくてするんだと思う・・・・・・って思ってそのタイミングが来たって感じでしたね。

『東京の生活史』p.524

<前略>三大欲求の食事も睡眠もなんですかお金とったり普通にレストランがあったりホテルがあったりするのが普通なのに風俗だけなんかこう陰ひなたっていうか。
 わかるけど、でも、それを仕事にしてるのもあんまりよくないっていやな流れだなっていつも思ってます。

『東京の生活史』p.527

 1つめは現在の風俗店で勤務し始める経緯について。2つめは風俗の仕事は「出たくて出るみたいな?」(p.527)と問われた返し。

 彼女の語りから一貫して感じられたのは「仕事へのプライド」。2つめの語りは、この仕事を数年やってきたからこそ生まれた彼女なりの哲学みたいなもので、私も「なるほどなぁ・・・」と納得する部分があった。

 1つめの語りは、彼女の中の予感が的中した、と捉えられる一方で、「女に生まれた限り、性風俗への道は常にひらけている」と感じる一節であった。

 彼女の場合、恋人との生活が困窮した(タイトルの「お金のない人」がその恋人で、無職のまま働かなくなった)ことをきっかけに性風俗店での勤務を始めたが、入店理由として「お金(特に高額)を稼ぐため」は多いと聞く。

 彼女は「強い」。客向けのサイトで自分の本音を綴った日記も書けるし、嫌なことは嫌と言える。客に危険行為をされそうになった時は、それを交わす技術も心得ている。性産業界以外のコミュニティもあって、仕事を休もうと思えば休める環境にもある。

 彼女の中の軸は太く、大抵のことではぶれない。彼女が「幸せになるため」の通過点として、この仕事はあるのだと思う。


 性風俗の仕事について、特に彼女の語りの部分をどう捉えるか、自分の中でなかなか言葉が出なかった。久々に大学時代のジェンダーの授業で扱った教材も引っ張り出したし、鈴木涼美さんの記事も読んだし、ソープランドで働く東大の女子学生の記事も読んだ。

 語り手は「強い」人で、もし仕事で何かあってもさっさと辞めて窮地を脱することができる人だと思う。だけど、そうでない人、足を洗いたいが性産業界で働くしかないと思っている人、法律の網目を突いたような環境で働く人。女に生まれた限り、性風俗への道が常にひらけた社会の中で、彼女のようにたくましく生き抜いていける人はどれほどいるのか。

 ソープランドで働く東大の女子学生にも、語り手の彼女にも共通しているのは、性産業界がアンダーグラウンドで、「人には言えない」と思っていること。性風俗の仕事が「悪い」とは思っていないけど、「人には言えない」と思っている。

 「人に言えない」は孤独だ。何も性風俗でなくても、「人に言えない」ことによって窮地に陥ることは誰にでもある。そして性風俗の仕事は、「人に言えない」ことによるリスクが大きい。

 語り手の彼女の、風俗店を「仕事にしてるのもあんまりよくないっていやな流れだなっていつも思ってます。」(p.527)という言葉を聞いて、じゃあオープンな空気にすれば良いのかと言われたら、そうでもない気がする。オープンにすることによって解決することもあると思うけれど、できれば私は、今の社会の構造なのであれば、入る手前で、お金を稼ぐ方法として性風俗以外の選択肢が用意されている方が良いと思う。

 ただ、「性風俗で働くことは悪いのか」と聞かれても、今の私はそれに対する答えを持ち合わせていない。


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引用文献

岸政彦 編(2021).『東京の生活史』.筑摩書房.

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