見出し画像

#4 出産か?中絶か?揺らぐ決断

2020年8月22日。

昨日、私が投稿した記事に不快感を持った方がいることがわかった。

おそらく、世間の女性なら喜ぶはずであろう妊娠なのに、『産みたくない』とか『中絶一択』とかやや過激な言葉を並べているからだろう......と推測している。

不快感を抱かせているかもしれないけど、悪気とか悪意があってこういう書き方をしているわけではない。

ただ、私は自分の気持ちを整理するために記事を書いている。内容は完全な自己満だし、内容が内容だけに不快に思う方がいることも容易に想像できる。

が、一方で、妊娠が必ずしもめでたいとか嬉しいとか、ポジティブな感情で受け止められているとは限らない......ということも知ってほしいなとも思ってもいる。同じ事柄でも、感じ方は人によって違うのだ。

出産か?中絶か?決断が揺らぐ日々

この数日、中絶が絶対とは思えていない。
むしろ、『本当に中絶してもいいのか?』と自問自答する日々が続いている。

身体の変化を感じて、『確かにここにいる』......その感覚も強くなっているからだ。そもそもで避妊をしっかりしていなかったことが要因、つまり私やパートナーの自己責任に過ぎない。

この子に罪はない。
自分たちの都合で振り回している......私が毒親にされて嫌だと思っていたことをすでに私はしているんじゃないか?そんな気持ちにも駆られるときもある。今の生活の維持を優先するか、子供の命を優先するか、それよりも『将来を見据えた上で自分たちがどうありたいか』を考える必要がある。

だからこそ、どちらかに決めても、その後に『本当にそれでいいの?』って思いが追いかけてきて、結局ふりだしに戻る。人生の中で重要な問題ほど、決断するのは難しい。

決断が揺らぐ理由

......かといって、数年後、数十年後にならないと自分にとっての正解がわからないものだから、決断が揺らぐのは当然と言われてしまえば当然かもしれない。

子供という存在自体を毛嫌いしているわけではない。友人や知人の話を聞いたり、パートナーと色々な話をしている中で、ただただ私が意固地になって、『中絶一択』と思い込んでいるだけなんじゃないか、とも思う。頑固なのは今に始まったわけではないのだ。

見る視点を少し変えてみたら、考え方が少し柔軟になって選択肢を広げられるんじゃないか。だいぶ思考をこじらせていることも認識し始めたのだ。価値観という殻を自分で破る必要があるのだ。今じゃないと、このまま殻を破らずに悶々とした思いをずっと抱えることになる。

そんな思いはしたくないから、今がそのチャンスだとも捉えられている。チャンスは手の届く範囲にあるうちにつかむものだ......と、今年の春先までお世話になった方の言葉を思い出す。

私自身に、あれこれと見つめ直すタイミングを知らせてくれているのかもしれない。

中絶に固執していた理由

私には、結婚にも、妊娠・出産・子育てにも、良い印象を持っていない。これらは女性を家事の奴隷にすると思っているからだ。

なぜなら、家事の負担や子育ての負担をしなければならないのが女性の場合が多くて、男性は生活スタイルがほぼ変わらない......そういう家庭の話をリアルで聞いたり、ネットニュースでも見るからだ。ネットニュースはフェイクとか過剰表現もあるから、ひょっとしたら事実と異なるかもしれないが。

昔は女性の専業主婦世帯が多かったし、結婚も妊娠・出産・子育ては女性の仕事だった。今は仕事を続ける女性も多いから、仕事も家のことも両立しないといけなくて、完全に自分の時間は奪われるのが容易に想像がつく。自分の時間が大事な私にとっては、そんな生活で自分が幸せとは思えない。むしろ不幸なのだ。

おそらく、これは毒親の影響が大きいだろうと思われる。毒親の気に入らないことをしていることが多かったようで、ことあるごとに叱られてたのだが、毒親が自分の境遇を卑下するような言い方もあったように記憶している。

だから、『だったら産まなきゃ良かったじゃん』って思ったときも、実際に言葉に出して言ったこともある。
それでまたふざけるなって叱られるのだが、こうなるのがわかってるのなら産まない選択も当時だってあっただろう。それでも産んだなら、施設に送るのでも良かったのでは?育てるって決めたなら責任持ってよ、って思っていた。子供ながらこういうふうに思うのはおかしいのかもしれないけど、そうだった。

今、自分が同じ立場になって、結論がやや即決ぎみになっているのはこういうのも多少は影響しているのかもしれない。

経済的にも、事情的にも、冷静に考えて育てられる状況ではないと思っている。自分本位ではないあらゆる状況を想定しても、どんなに悩んでも中絶の選択に至る。パートナーのことも考えても、お互いの今の生活を壊しかねない状況に私は耐えられない。

何かのおりに『あんたなんか産まなきゃ良かった』を言ってしまう怖さもある。ある程度の我慢はできるだろうけど、我慢は限界もある。言ってからでは遅い。私は直接言われたことはないけど、匂わされたことはある。

柔軟な考えが持てそうな予感

妊娠・出産についてかなり偏った考えを持っているのは自覚している。けど、今後は柔軟に色々な方向で考えられそうな気がしている。パートナーのおかげだ。

パートナーとたくさん話して、私が中絶に固執していたことに気づけたし、私以上に思考を巡らせて考えていたこともわかった。感謝してもしきれない。

ただ、気持ちだけでどうにかなる話はない。
誰が何を言おうと突然で、私にとってもパートナーにとっても想定外だから、どういう選択をするにしても解決しなければならない問題は多い。解決するまでにかかる時間が、ちゃんと段階を踏んでいるカップルよりも少ない。会う時間も話す時間も限られている中でどう対処していくか、自分たちの行動力が試されている。

こんな状況で言うのもおかしいけど、私は妊娠したのがパートナーの子供で良かったとは思っている。気持ち的には複雑だし順序的には微妙だけど、相手が元夫や元彼だとしたら、今以上に絶望の縁に立たされていたはずだ。

パートナーとなら、どんな結果になったとしても乗り越えられるはず......根拠はないけど自信だけは持っている。ちょうどいいテンポで話して、お互いの気持ちをさらけ出せる相手には滅多に遭遇しないから。コミュニケーションの大切さについてもあらためて気づかされる。

まだもう少しだけ時間の猶予はある。
色々な方向で、検討の余地はある。出産か中絶か、最終的に二者択一を迫られるわけだが、どっちに転んでもいい覚悟はできている。私もパートナーも納得する形にしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?