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四国行ったよ

11月11〜13の期間、TGくんと四国に行ってきた。

私たちは事前の打ち合わせがまるでできないので、大塚国際美術館に現地集合することだけを決め、土曜の朝を迎えた。
10時半、私は和歌山からフェリーに乗り、徳島へと向かった。Twitterを見ると早朝の時点でTgくんが「遠足気分で眠れなかった」などということを言っており、不安を覚えた。

私が船に揺られている頃、TGくんは明石からバスに乗り、大塚国際美術館へ向かおうとして失敗し、立ち往生していた。乗る予定だったバスは事前予約が必要なものだったらしい。なんとか当日のバスに乗り、TGくんは大塚国際美術館へ到着した。

こういう情報に惹かれてしまう。惹かれるだけで、記憶はできない。
最近の船はオタクに媚びている



私が徳島港に着いたのは1230だった。よくよく調べると、そこから大塚国際美術館まで1時間半ほどかかるらしく、予定の変更を余儀なくされた(だるくなったため)。徳島なんて10分もあれば端から端までいけると思っていたが、現実の徳島は広かった(つまり広島だった)
大塚国際美術館に3000円を奪わながらもけなげに私の到着を待つTgくんと連絡を取り、香川の栗林に四時頃集合することに決めた。Tgくんは大塚国際美術館を思う存分堪能でき、私は徳島の町をふらつける。私は町の散策が好きであり、この予定変更は双方に利益をもたらすものに思えた。


町を歩きながら、寒すぎることに気づいた。私の服装はTシャツの上にシャツアウターという薄着であり、当日の気温は13度だった。無印で安い上着でも買おうかと思ったが、徳島という田舎にそんな店があるはずもないのでそうそうに諦め、走るという原始的な方法で暖を取ることにした。
阿波踊り会館からロープウェイに乗った。ロープウェイの中で、200年ほど前、徳島は日本で二番目の町だった、などという解説のナレーションがあり、過去の栄光にすがるしかない田舎町の哀れさに身を浸した。五分ほどして山頂に着き、町を一望した。高いところはいい。位置エネルギーだけが私の心を癒してくれる。

寒かったため五分で再びロープウェイに乗り、なぞのビアガーデンのような催しを横目に駅に戻り、地下のこじんまりとした飲食街のようなところでごはんを食べながら特急を待った。

特急は二両編成で、ほほえましかった。
調べたところ、その電車が栗林への着く予定時刻は4時半だった。
4時半!?
もう一度言うが、Tgくんと待ち合わせの時刻に決めたのは4時だった。
これではTgくんとの待ち合わせに遅れてしまう。またもや予定を変更しなければいけない。果たして会えるのはいつになるのやら。ホテルを予約した松山か……。当初大塚国際美術館で会おうとしていたことを考えると、いくらなんでも変更しすぎだ。ふたりはいつまで経っても会えないのではないか……そんな不安もよぎりはじめる。なんとか香川で会おうと連絡を取っていると、Tgくんが私の隣に座った。本体が電車に乗りこんできたのだ。
種を明かすと徳島駅から栗林へ向かうルートと、大塚国際美術館から栗林へ向かうルートは途中で合流する。Tgくんも栗林4時半着の電車に乗ろうとし、結果電車内で私たちは会うことができた。言葉を介さなくてもふたりの気持ちがひとつだった奇跡を喜び、笑いあい、私は大学時代のことに思いを馳せた。目の前に蘇えってくる、雑な日々……。本が積まれたミス研の部室、部費で買ったソファ、隣のSF研から勝手に持ち出して遊んだボードゲーム、一花(うどん屋)で読んだヤンジャン。あのころ私たちは約束しなくても毎日会えた……。

TgくんはなぜかSFマガジンとパソコンを持っていて、重がっていた。

栗林駅から栗林公園は2キロほどあり、栗林公園は5時で閉まるため、私たちは走った。HOKAのランニングシューズを履いてきたことと、軽装を選んだことに天命を感じながら走り、公園の門をくぐると4時40分になっていた。受付は閉まっていたが人は残っていて、まあ止めはせんけど10分で閉まるからちゃんと出てね、的な警告を受けながら入園料を払った。
またもやダッシュで園内を周り、写真を撮った。観光名所など写真を取れさえすればいいのだ。行きさえすればロケーション経験値が入る。

実績スポット
大量の鯉

Tgくんがうどんを食べたがっていたのでうどん屋を探して、手近な店に入った。店主のおばあさんにおでんを推されたのでアツアツのおでんを取ってひとくち食べると、寒さと長時間の移動でこわばった体をおでんがほぐしてくれた。空腹に染みるおでんとビールは絶品で、うどんがどうでもよくなるほどだった。(うどんまでたべると多かった)


せっかくということで駅前のさぬきうどんも食べた。
きっとこの店はせっかくという気持ちになった観光客を狩ることに特化している。
涙の素うどんオーバーザレインボー


高松駅からまたもや二両編成の特急に乗り、松山に向かった。10時にスーパー銭湯的な「道後さや温泉さらら」に着き、疲れを癒した。個室に温泉がついているスーパーなホテルで、お得だった。スーパー銭湯的な本館と、宿泊施設である別館に別れており、別館に荷物を置いて本館に行くと別館で入浴券をもらってこいと言われ、行ったり来たりさせられたときはキレそうになったが、温泉がすべての怒りを洗い流してくれた。

部屋
部屋についている温泉
本館と別館の間にワンピースがあった



夜はオモコロチャンネルを見るなどしてから眠った。

12日
朝目覚めて五秒で風呂に入った。目覚めて五秒で温泉に入れることはいいことだ。すごい。
当初の予定通り、松山城に行ったあと道後温泉に行き、あとは流れに乗ることにした。

都会めいているのに五分も歩けばビルの影から城が顔を出す


とりあえず二の丸を見た。乳首を模して作ったという乳鋲の説明を見て盛り上がった。

知ってしまうとたくさん乳首が並んでいるように見え、くるものがある。
知らなかった頃には戻れない

二の丸を見た流れで本丸に向かった。道はロープウェイに行く方と、そのまま山を登るルートに別れていた。ロープウェイは遠そうだったので、歩いて城へと向かうことを選んだ。これが間違いだった。30分ほどひたすら階段を登り、頂上に着く頃には膝は死に絶え、腰は真っ二つになっていた。あげくの果てに登山ルートから合流した直後、観光客に「えwロープウェイ使わなかったんすかw」とロープウェイマウントを取られてしまった。最悪である。とはいえ、高いところは気持ちがよく、ビールを飲むとすぐに晴れやかな気持ちになった(寒かったが)

雲行きが怪しい
高い
この高さを登ったんだなあ


松山城の中も高さがあるので、階段のアップダウンを繰り返させられた。こうして私たちの足腰は終わった。(既に書いたがTgくんはパソコンとSFマガジンをずっ持っている。DEATH STRANDING状態だ)
帰りはもちろんロープウェイで帰った。

実態はハイグレードたまごかけごはん



鯛めしを食べ、道後温泉に向かった。雑に路面電車に乗り、雑に降りる地点を間違え、雑に一貫性を名目とした柔軟性のなさを発揮して徒歩で道後温泉まで向かった。山登りでヘロヘロなのに……。

道後温泉のねこ


あちこちに水が飛び出る罠が仕掛けられている

温泉地でダラダラ過ごし、適度に外で寒くなり、湯に入り、を繰り返し(本館と飛鳥の湯に入った)、ねこカフェで休憩し、松山市街に戻ってきた。どちらも狭く、大したことはなかった。スパワールドやサウナイキタイ高評価のサウナのほうがいいな……。工事中の本館はまだ真の姿を見せてないのかもしれないけど。

こいつとは違うが、いっぴきキョロキョロ周りを見回しながら人から逃げ続ける挙動不審なねこがいて、あわれだった。
サイベリアンのイデアを感じる


こいつが中心街の顔をしていた

その後松山駅前で時間を潰して解散かなとバスに乗ったところ、JR松山駅のあまりの過疎っぷりを目の当たりにして引き返して大街道のカラオケ屋に行き、一時間ずんだパーリナイを歌ったあと焼き鳥屋を探した。日曜の夜なのにぜんぜん居酒屋が空いておらず、田舎を感じた。

やっぱりチキン南蛮とモモだね

私は夜行フェリーで帰る予定であり、港までのバスが出る時間になったので解散する運びとなった。

Tgくんは当初バスで帰る予定だったが、だるくなったのか、大街道の快活CLUBへと消えていった。

フェリーはいちばん安い部屋を選んだせいで個室は壁も薄く、ふとんもぺらく、振動と揺れが絶えないこともあって独房の下位互換のように思われたが、船内の風呂に入ってベッドに入るとすぐに眠ることができた。日曜から月曜の便だからか、全体的にあまり人がいなくて、隣室も埋まっていないようだったのが幸いだった。

こうして大阪に戻ってきた。新しい朝だ……。
心残りは、やはり香川のゴールデンサウナに行けなかったことだ。その他の行動には満足している。とてもたのしい旅だった。

Tgくんは結局SFマガジンの、イーガンのページ以外を捨てたらしい。行動が遅い。

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