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映画感想文_モリコーネ 映画が恋した音楽家

高明な音楽家であるエンニオ・モリコーネさんという方に迫ったドキュメンタリー作品。
映画音楽界の巨匠だそうな。
私は恥ずかしながらモリコーネさんを知らなかったのだが、
ドキュメンタリーは結構好きで、気になって鑑賞。

以下の感想は映画感想文として正解でないかもしれないが、
私の目線で作品を通して感じたことを二点ほど。


① いやいやでも結局ちゃんとやる、ということ

モリコーネさんは結構憎まれ口を叩く。
映画監督からのオーダーやリクエストに対して自身の中で「そうじゃない」と感じたことについても、「ゴミを作ってやる」とか言いながらめちゃくちゃ良い作品を提供する。
録音スタジオでプロデューサーに何度も書き直しを言い渡された時も、なんだかんだ言いながら最後は相手を納得させる作品を作る。
そんなシーンが何度か出てきて、「ああ、この人は所謂ド天才ではないんだな」と感じた。いや天才には違いないのだが。決して悪い意味ではなく。
(私が思う)天才のイメージとは、提供した作品に対して相手になにも言わせないような、センスで黙らせるような人。
でも彼はそうでない。人にモノを言わせる「余白」があるんだなと。
そしてそれに対し実直にやり遂げる精神を持った人なんだなと。
当たり前だけど、やり遂げる、やり抜くって大事だ。
時間をかけること=良いモノができること、とは思わないが、やはり時間がかかったとしてもやり抜く胆力は何事にも通じて大事で、成果もさることながら信用信頼に関わるよなと。
その信用信頼と余白が積み重なって、大勢に評価されるような人間になっていくのかな。


②評価するのは自分でなく他人

映画の中で、モリコーネさん自身が駄作だと感じている作品が映画に使用されたり選ばれたり、というシーンがいくつかあった。
数種類のデモを送った上で、「○番のデモだけは選ばないでくれ」と伝えたにも関わらずそのデモが採用される、みたいな。
その真意は分からないが、言葉のまま受け取るのであれば、
「自分が良いと思っていない成果だったとしても、相手にとっては良い成果である、ということが往々にしてある」ということだと感じた。
自分の中でピンとこなくても、しっくりこなくても、
その良し悪しを決めるのは他人だったり定量的な指標だったりするのである。
自分の感覚だけで自分の成果を評価するのは早計なのだろう。
これは多くの人の仕事に関わる考え方なのかもしれない。
私もひとつひとつの業務やプロジェクトで短期で仕事を回す際に、
いちいちKPI設定がなんだとかあるべき姿はどうだとか、そんなのを目線合わせした上で取り掛かるのだが、
いくらKPIを達成しても自分のなかでしっくりこない仕事っていくらでもある。
なんとなく不完全燃焼…みたいな。
でも、その自分の中の感覚だけで、うまくいかなかったとしてしまうのは間違いなのだろう。
逆もしかり。自分の中で良くても周囲から見たらダメダメに映ることもあるかもしれない。
そう考えると、ある意味自分に対してストイック過ぎなくてもいいのかも。
後は神のみぞ知る、くらいに構えてれば。


私が映画好きになったのは本当にここ数年の話で、
過去の普及の名作と言われるようなものを全然知らないのだが、
そんな私でも「あ!聞いたことある」となる音楽がちょっとあった。
自分の作り上げたモノが後世に残るってなんかステキ。
そんなことを思った次第です。


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