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社会主義が生み出した嘘

・曲解された自由

 自由主義における自由は権力からの解放だ。これはあらゆる強制力から解放され、自らの選択肢を拡大し個人の影響力を強めることにつながる。ゆえに個人主義と結びつき西洋において重視された思想だった。

権力の影響力を排し、それによって各個人が自由闊達に行動できるようになる。自由主義はまさに自由な経済から自由な政治、自由な個人へと広がっていくとうたわれ多くの人に富と希望を与えた。「アメリカン・ドリーム」という言葉があるが、これはまさしく自由主義が重視された国だからこそありえる話なのだ。

自由なき社会は選択肢が少なく、多くの人が闊達な発想を持つことができない大変閉鎖的な空間になってしまう。これは停滞と衰退を招き、社会の流動性を奪い、人々の個性が失われていくことにつながる。しかし、今日において「リベラル=liberal」は自由を掲げながら、強制力を行使して自由を奪うという奇怪なことをしている。これはまさしく、「liberal」という言葉が曲解されてしまったため起きた事象なのだ。

 自由という言葉の意味合いが大きく変わったのは社会主義が勃興してきたころだ。自由を意識し、多くのしがらみの排除を行なってきた自由主義のもとで多くの人々が豊かになっていった。しかし、格差がなくなることはなく、人々はこの格差をどのように埋めるかということについて考えるようになる。強制的に格差を是正するか、自然に任せるか。

一見、自然に任せるというと冷たく見えるが、一概にそうとも言えない。助けたい人は助ければいい。ただそれだけだ。やりたくもない人に圧力をかけて行わせるのは、結果だけみればいいことかもしれないが、禍根が残るかもしれない。人々は正義や道徳を掲げて、時に圧力をかけるものだ。

格差を強制力で持って是正しようともくろむ社会主義者は「欠乏からの自由」を掲げた。だが、これは結果を見れば社会主義だ。政府の力をもって一部財産を没収し、貧困層に与える。「欠乏からの自由」はそのまま再分配を重視する「社会主義」へと繋がっていた。

「自由」という言葉だけを見て、その中身を詳しく見なかったがために人々は大きな誤解を抱いたまま、時代を経ることになった。その結果、弱者救済を政府の力を利用して実現しとうとする「liberal」が生まれ「権力からの解放」を意味する「自由」の意味が捻じ曲げられてしまったのだ。

「自由」が逆向きに走り出したことで人々は現在に至るまで続く長い洗脳のただなかにある。弱者を救うのは政府の力を借りて行うべきではない。権力による救済は依存を生む。あらゆる依存症は自分への甘さが生み出す。その甘さを政府自らが税金を通して作り出すのは芳しくないこと明白だ。

だからこそ、真の自由主義に回帰し、もはや夢想の産物となった社会主義の悪夢から醒めなければいけない。


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