七百万世帯をつなぐ師弟のきずな(1)「現代人物論 池田大作」小林正巳著(昭和44年9月25日)第3回

人生の師
いわゆる鉄の団結に象徴される創価学会の組織上の特質とは何だろうか。一口にいって、指導者・池田大作と約七百万世帯学会員一人一人を結ぶ“師弟関係にある、というのが、外部から創価学会を見つめてきた私の実感である。
貧富、性別を問わず、老人も青年も、そしてあらゆる階層、あらゆる職業に分布している創価学会員にとって、池田は“人生いかに生きるべきか” “価値ある生活とはなにか”を導く“人生の師”といってよい。それも“慈父”のようなイメージをもつ存在といえよう。そして、すべての学会員たちが、共通の師をもっているという連帯意識、そこに強い同志的結合が生まいれるのである。
人間疎外の深刻化した今日の日本社会の中に、このような人間関係が存在することは、創価学会以外の人たちにとっては信じがたいかも知れない。が、事実なのである。

喜びに泣く人
四十三年、池田が熊本、鹿児島地方の指導をかねて五年ぶりに奄美大島を訪れた時のことである。同地の学会会館で撮影会が行なわれた。同島はもとより,徳之島,沖永良部島,遠くは沖縄に近い与論島からも,はるばる波にゆられて一日がかりで多くの学会員が奄美大島に集まってきた。池田と記念撮影をするためだけにである。
百数十人を一組とする撮影が十回以上続き、あと一組をのこすだけとなった時、三人の女学生が息せききって会場に走り込んできた。三人は「間に合った」「よかった」と顔中に喜びの色をみなぎらしたかと思うと、次の瞬間、三人の瞼から涙があふれた。お互いに肩を抱きあってその場にしゃがみこんだ彼女たちののどから,嗚咽がもれた。
最後の一組の撮影にかかる前、池田は三人に近づいてやさしく声をかけた。「よくきたね」 三人は差し出された池田の手にとりすがり「先生」といったまま、あとは涙で声にならなかった。
むろん、彼女たちが池田に会うのは、これがはじめてのことである。それでも彼女たちにとって、池田は毎日一緒に生活している兄弟や友人たちより、精神的にははるかに身近な存在なのだろう。
私はこうした場面を、池田と同行中いたるところで見た。行く先々どこでも、池田を真剣に求める学会員の姿があった。駅のプラットホームにも、車で通りすがる田舎道にも。私はそれらの現象を記者の目で冷静に観察してきたつもりである。
東京で行なわれる、月一回の本部幹部会では、一万数千人の幹部たちが、池田の話に喜び、笑い、感動に湧く情景。そして下部組織に 池田の指導を伝えるために、懸命にメモをとる姿。地方の会長指導では池田に信心生活上のさまざまな疑問や悩みを訴え、これに対する池田の一言一言にうなずき、勇気づけられる会員の瞳の輝き。撮影会では、池田を中心に記念写真をとれる感動の涙。そうした時、私は池田の動作よりも、むしろ会員の表情、そして目に注意を向けた。そこに真実があるように思われたからである。