人間・池田大作(2)機微「現代人物論 池田大作」小林正巳著(昭和44年9月25日)第10回

人心をつかむ
世の中には、細かいところに気のつく人もいれば、いわゆる無神経な人もいる。その点で池田のよく気のつくことは、抜群である。来客と話をしていても、部屋が少し寒いと思えば、温度を上げさせる。タバコの煙で空気が悪くなったと感じれば、窓を開けさせる。客のタバコが切れたとみればすぐ取り寄せる。池田と会った客が予定時間より遅れて夜遅く帰宅するような場合、家族にはその旨連絡がいく。同じ贈り物でもタイミングを考える。対人関係のみならず、企画その他、いわば、水ももらさぬ気のくばりようである。
こうした細かい神経は一般的に人間関係のうえで、かなり大きな要素を占めるものだろう。傷つきやすい人間のことだから、ちょっとした言葉づかいや、動作が決定的なヒビ割れを生じることもあれば、潤滑油の効用を発揮することもある。実際問題、相手の神経をさかなでするような無神経な人間は、対人間関係もうまくゆくはずがない。

キメ細かな人
学会が今日これまで発展してきた要素のひとつには,企画面、対外的・対内的人間関係に対する人心の機微を心得た池田の細心な神経があったと思う。学会の幹部の一人から、池田のそうした而についてこんな話をきいたこともある。
かなり以前のことだが、ある地方の学会の事務所に酔っ払いがあばれこんだ。どうやら追い払ったが、その直後連絡をうけた池田は、すぐ隣近所を回り、事情を説明して“お騒がせしました”の挨拶をするように指示した。「騒ぎが収ってやれやれと、だれもそこまで気がつきませんでした」とその幹部は述懐している。一事が万事、このようなキメの細かさがある。そうした池田の特質は、戸田に師事して“使われるのでなく、仕えた”なかで身につけたものかも知れない。いずれにしても,池田の誠実さ、思いやりも、こうしたキメ細かな神経と無縁ではない。
池田は最近の幹部会で「気のつく幹部であってもらいたい。気のつかないようなのは幹部としての資格に欠ける。昔は気がきかないのは大物といわれたが、今ではそうはいわない とユーモアまじりに指導している。一見細かいようだが“気がつく”ことが結局は、対外的対内的人間関係につながって学会の発展、組織の円滑化に意外に重要な要素であることを強調したものといってよい。