実生活での指導(4)人材の城(1)「現代人物論 池田大作」小林正巳著(昭和44年9月25日)第29回
昭和の生まれ
創価学会のすさまじいエネルギーの秘密の一つを、私は若さにあると思っている。組織自体青年部が中心だし、会長の池田は昭和三年生まれの若さ。
中枢部の要職は、生まれでいえば昭和の一桁組。ほとんどが三十代の中ごろ。教学部長の要職も、一挙に二、三十年若返って昭和の二桁組から抜擢されている。
公明党にしても、上の方の幹部クラスは大正の後半が一人だけ、あとはすべて昭和の一桁組。そこに 送り出される議員も青年中心だ。
これというのも、一般社会に先んじて世代の交代を考える池田の意図であったことは、四十三年正月の全国大幹部会における指導をみればはっきりする。
「創 価学会の運命を決する青年諸君に申し上げたい。政党にしても、そして社会全体からみても、私どもの世界は若い世代の考えを代表している。すなわち、若い世代の縮図が創価学会であり、公明党であることを確信していただきたいのであります。
老人を最高に大事にし、いたわりながら、若い人逹が、一切の王仏冥合の中枢に立って思う存分に力を発揮し、動かしているのが創価学会の実相であり、実休であります。
明治百年とは、まさに明治の古い世代によって支配されてきた日本から、昭和生まれの若い世代によって動かされる日本へのい躍進であることを認識して、その先駆を切っておるのがわが創価学会であると、誇りをもって堂々と前進していこうではありませんか」
現代指導者層
池田の指摘する通り、現在の日本の社会では各分野を通じて明治生まれが指導層を占めている。そして社会全般に 年功序列の体系がガッチリ根をおろしている。この点では、次の枇代のために、新しい時代を目粽にする革新政党すら、御多分にもれない。むしろ、保守党より指尊部の年齢水準が高いくらいだから年功序列体系の根の深さがわかろうというものだ。
ところが、この明治生まれの指導層は、日本の人口のわずか 一割程度。それに比べ,七割を占める昭和の世代が政治、経済、社会の面で力を持たない。その一方、敗戦を境とする社会の激変が,古い世代と新しい世代との間にイデオロギーを超えて、時代感党の面に大きなミゾを作っている。
しかも、次の時代の国民に負わされる問題の方向づけが、次の時代まで残らない一握り の明治生まれの決定権にゆだねられ、その運命を負わされる世代は一方的に決定を押しつけられている現実。ここにしばしば日本の社会に摩擦を引きおこす要因がひそんでいるといえないだろうか。大学問題などはその典型的なものといえよう。
学会の人材構造
そこを洞察し、いち早く世代の交代に手をつけたのも勇断なら、それほど根強い年功序列を打ち破り得たのは、や はり 池田のずば抜けたリーダーシップというほかはない。
こうして池田は、男女青年の創造性、行動力を組織のなかに百パーセント生かし切る体制を備えた。だが、息もつかず、年代別に二軍、三軍、四軍と次から次へ育成を続けている。
池田は私に「いま二十八歳ぐらいまで、タイマツを渡してあります」また「一瞬にして数十人の総務全員(最高指導部)を失うとしても、組織はビクともしないようになっています」ともいった。年代別に、何重かの構造をつくることに最も苦心があるようだが、そこに見せる池田の手並みは、いわば芸術的な領域といえるだろう。
青春論語録
池田は青年の無限の可能性に期待し、その純粋性を愛する。青年について書いたものは池田のそうした心情を映して、なかなかの美文である。
「青春とは人生の華である。若さの躍動であり、清純さの結晶である。激流のごとき熱情、未来をかける夢、絶対に妥協を許さぬ潔癖性――青春とは何と魅力にあふれていることか、またなんと光輝に満ちていることか。
限りなき未来を包む青春、一生は青春の中にその花を開き、また生涯を飾りゆく基盤ができあがる 。
何にもまして大切な青春である。そして、またたく間に過ぎ去る青春である。諸君はこの大事な青春を、無為に過してはならぬ 。」( 文集「鳳雛」第一号 巻頭言)
「青春とは、絶えざる建設と革新の息吹きの象徴である。すなわち、強く、そして清浄であり、かつ限りなき未来性をはらんだ、若き生命の躍動である」
「いかなる時も、何処にあろうとも、燦爛たる太陽のごとく明朗に、大空を翔る若鷲のごとく闊達に,大海のごとく包容力豊かに、然して時来たらば、決然として起ち、疾風怒涛のごとく邪悪と戦う青年であれ 」(同)
「青年とは革新の息吹の象徴であり、はちきれんばかりの生命力の持ち主だ。これほど偉大なものはなかろう。いかなる青年の生命力にも、激流のごとき、若き血潮が秘められていることを私は熟知している。それに確固たる理念、指針を与えるならば、社会に貢献する偉大な実践と、有意義な人生を生きてゆくことも絶対である。現在の指導者は、青年に対し、批判こそするが、何ら自己の無気力を反省しない。自己の名聞名利に酔い、栄誉栄達のみを追い求め、青年の心を、あまりにも知らなすぎまいか」( 勇気と確信と希望( 抜枠))