月イチ宮台 (2020年8月4日 )書き起こし調 自分メモ

◎自粛警察のメカニズム

青木:宮台さんの論考「2020年のパンデミックと倫理のコア」に、いわゆる自粛警察というものに関して「ポンコツが統治権力を前にこうべを垂れて、統治権力からの指示への思考停止的な依存を競う相互監視。これが日本の自警団の歴史的な実態だ」と。


宮台:人々のメンタリティは、昔から社会にあるものではなく、歴史的につくり上げられてきたもの。日本の場合は江戸時代の善政によってつくりあげられたと考えられる。たとえば17世紀、テムズ川やセーヌ川は下の処理が適切になされず汚かったが、日本の場合は農業へのリサイクリングが存在したので江戸の街は極めて清潔。したがって、エピデミック(感染症)が発生していない。普通だったら色街や芝居街(人を眩暈に落とし込んだり反社会の温床になりそうな場所)を封鎖するが、江戸は吉原や人形町などの場所に区分した。素晴らしい統治だった。

それゆえに、明治維新政府がそれらを継ぐ。「お上は間違わない」という観念を継いだということ。江戸時代がお上への信頼をベースつくった「五人組」(チクリの制度)も、明治以降も政府は意識的につかっていく。昭和であれば、隣組、町内会、自警団、PTAなど。ぼくの言葉でいえば、絶えず「上は間違わない」という思考停止で参照する平目厨(上目を見る)とキョロ目厨(横を見て、自分は周りと違うことをやっていないかチェックする)が合体する形で、日本の自粛警察に代表されるような、いわゆる安心厨(不安にさせないでー!)=エゴイスティックなクズが生まれる。


青木:宮台さんは著書でも「近代化を急ぐ明治政府にとっては、以前からあった自然(自生)の村が邪魔だった。たとえば秩父事件では、税負担などのおかしなものに対して市民が反乱を起こしたが、潰された。政府は、地域の共同体を潰す代わりに、仮想の精神共同体(日本、ナショナル、虚構)をつくった」と書かれているが、これはやっぱり、江戸時代のよき地域コミュニティを明治政府がぶっ壊したと?


宮台:そこは明治政府がやった新しいところ。社会学者は「自然村から行政村へ」という。自然村とは、もともとあった村ゆえに多かれ少なかれ自治的で、自分たちのことを自分たちでどう解決するか考えるマインドを常に持つ。そういうのを社会学では中間集団という。中間集団はいつも市民革命の母体。日本でも、秩父事件を始めとする民権運動の母体は中間集団だった。ヨーロッパやアメリカでのあらゆる市民革命は、とにかく中間集団の自治を大切にしてきた。

しかし日本は違う。権力は、安心厨がひたすら思考停止で上に従ってくれる状態が崩れるのを恐れ、「由らしむべし、知らしむべからず」でやってきた。「自分たちで考えるな、上に従え」ってことで、従来の自治体を壊して、五人組に由来する「上の言うことをきいているかお互いチェックし合う仕組み」を各地につくった。それが現在でも続いていて、そういう歴史の流れを知らないトンマはそれでも「国はもつ」と思っている。もつわけないんです。

◎知恵を集められない日本

民主主義社会の唯一の利点は、知識社会化できること。知恵を集めるということです。コロナのような社会的な危機においては、知恵を集めないと、コロナ死と経済死の和をどれだけ減らすかというバランス戦略はとれないんです。でも日本の場合にはそういうことができない。

青木:今の日本ではそのグランドデザインが描かれていないと書かれていますね。


宮台:グランドデザインなんだけど、正確に理解していただくためにはやはり、ヨーロッパの基本的なマインドセットを考えるべきなんですね。まず、政府は、知ってることはすべて表に明らかにする。そこに関しては政府への信頼があるわけです(情報を隠さない、ご都合主義でない)。 なので例えば、ヨーロッパでは、アメリカでもそうだけど、個人IDをベースにして全ての支払いを行うから、日本の100倍くらいの速度でコロナに関する経済的な保障が住むわけです。個人に対しても事業者に対しても。それは統治権力に対する信頼があるから。まあ今は安倍のような犯罪者が政治をやっていますから、当然、そういう信頼はないわけです。


もう一つ。信頼された政府が情報を出す。もちろん時には狂言もあるけど、市民は、出された情報をお互いベースにして、懸命に振る舞う。ただし、市民各人のいろんな状況がある。つまり「お互い信頼し合うけど、みんな同じではない」ということを認識している。だから、同じ情報環境をベースにして、各自治体や家族や個人が違った選択をするのが当たり前。

まとめ。統治権力に対する信頼と、市民相互に対する信頼があるということが、「知識社会をメリットとする民主主義」レジームの基本的な条件。日本にはその条件がないということなんですね。

青木:たとえば「自分が支持してない政権や意に反する決定であっても、それが憲法の規定に基づいて行われたことであり、少なくとも記録が残っており、それが公開されたものであるんだったら、民主主義社会ですから、従わざるをえないと。反対はするけれども」というようなことが一定の統治権力に対する信頼としては成り立ちうる。しかし、憲法も守らない、記録もない、公開もしない、情報も与えられないってなってくると、そもそもの信頼が成り立たないと。


宮台:日本の感染症対策は、クラスター対策班とかいろいろあったけれども、残念だけど、そういった条件を満たしてませんよね。たとえば「クラスター対策をした。日本独自の戦略だった」これは嘘でしたよね。検査体制インフラを整えられなかったからそれ以外の方法がなかったということを、まさに感染症対策チームの人たちから語られるようになってしまった。だったら始めから言えばいいじゃないですか。今のところリソースが足りないのでこれでいきますって。



しかしこれは(もはや)重大なものではありません。それこそ児玉先生が国会やテレビでおっしゃっているけど、クラスター対策はごく初期にしか意味がない。「エピセンター」といって、ある程度数が増えてきたら、感染者が出たらその周りをチェックするのではなくて、どこに感染源が存在するかを、ほぼ全体に関わる疫学調査をすること。できたら全数調査がいいけど、日本そのリソースがなくて無理なら統計的な疫学調査をして、どこに感染源が分布するかを、いわゆる感染の爆発が起こる前からチェックして理解認知して抑えてしまうということ。国際標準ではこれ以外のやり方はないんですよ。児玉先生が説明しておられても、日本の国会議員なんかは知らない人がほとんどなのか、フリーズしてるような状態ですよね。



青木:宮台さん論考でも書かれてますけど、歌舞伎町でクラスターが起きたと。どうもエピセンターが新宿に起きたんじゃないかと言われたりする。新宿のホスト達が検査に協力したから感染者があぶり出されたんだけど、論考によると「行政に協力したのに、"夜の街"が仮想敵みたいに設定されて、"やってる感"演出の犠牲にさせられて、差別されてしまった」と。だからもうまったく、なんていうか、支離滅裂というか。


宮台:だから政府はね、残念ながら国民のことを考えておらず、やってる感によって、自分の人気やなんやかんやを維持することにだけあくせくしてるような輩がたくさんいるんですね。
なので、新宿がエピセンターかどうかは、東京都全体の疫学調査をやらなきゃわからないわけですよ。新宿で調査して、「新宿には無症候含めて感染者いっぱいいる」。当たり前だよ、新宿で調査してんだから。「だから"夜の街"に行かないでください」ってメッセージを出すと、あたかも(政府が国民へ)処方箋を渡しているかのような勘違いをさせられるわけですよ。


こういう姑息なやり方がね、ずーーっとまかり通っているわけ。たとえばさっきの、「クラスター対策をやっていますから安心です」。本当はやるべきことは他にもたくさんあるんだけど、リソースがないっていう情報が隠されているんですよね。ずっと申し上げてきたことだけれども、本当に最近になって、感染症や疫学の専門家がどんどん僕が言ってきたことと同じことをおっしゃってくださるようになっているのは非常に嬉しいですよね。

青木:こんど来月、宮台さんに出ていただくまでに多少でも良くなってくれればいいんですけど、なんか、様子はやっぱり、楽観的にはなれない感じですかね...。わかりました宮台さん、ありがとうございました。また来月!


宮台:ありがとうございました。


以上、書き起こしのようなメモ、おわり

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