32歳、サッカー部顧問はじめました。①
はじめまして、オカと申します。
今日からnoteを始めてみようと思います。
題名にもあるように、32歳になった2021年に私はサッカー部の顧問になりました。わかりやすいと思って顧問と書きましたが正確には母校小学校サッカー部の主任指導者です。
何故急にそのような流れになったのか、実際に入ってみてどうなのかの部分を描いていければと思います。
また、スポーツの指導者になりたい方で何からやったらいいかわからない人にとっても少しだけでも参考になれば嬉しいです。
自分でも想像すらしていないことだったので、少しの不安と大きな楽しみでスタートしたわけです。(10月に1か月の研修を受けて実際には11月の頭から指導に入っているので約2ヶ月の時間が経っています。)
年末の休みの期間に少しだけ今までの思考の整理をするのと、実は3年前ぐらいから毎年年末に一年のまとめのnoteを描いてみようと思っては実行できなかったので、やっと毎年残っていたタスクを消化できるなと。
結果1年のまとめでもなんでもなくなってしまったことについてはこの際目を瞑ろうと思います。
【自己紹介】
まず私の簡単な自己紹介をしておきます。
私の名前はオカリョウタと申します。
生まれも育ちも名古屋で、1989年生まれの32歳になります。同い年のサッカー選手はドイツ人だとトーマス・ミュラーで芸能人なら柳楽優弥さんです。
また現在は名古屋の教育系のベンチャー企業に勤めております。
嫁と娘の三人暮らしで、趣味は漫画を読むこととサウナに行くことです。
日々仕事に追われながら毎月1~2回ほど色々な人を集めてはフットサルを開催して2年半ほどが経ちます。
毎回のフットサル後には重度の筋肉痛に苦しめられ、年齢の経過を感じ始めているそんな中年になります。
つい最近までDAZN (サッカーを含むスポーツのコンテンツたくさん観れるサブスク)すら契約していなかったので、そこまでサッカー好きかと言われるとそこまでなのかも知れません。
もちろんスポーツでいったら一番好きなのはサッカーです。
そんな私のサッカー経歴はと言いますと、小学生4年生の部活からサッカーを始めて、小学校~高校3年間をサッカー部で過ごし、大学生の頃は小さな社会人リーグにて高校の先輩らが作った社会人チームに参加したりしなかったりでした。
社会人になった後は参加できないことが続いて、そのままフェードアウトしてしまいました。
仕事が少し落ち着いてきた頃に、運動不足解消もかねて運動をしたいなと思いました。没頭したことがあるスポーツがサッカーしかなかったので、サッカーより手軽に始められそうなフットサルを選んで、周りを集めてフットサルを定期的にやるようになりました。
それが現在まで続いているような感じです。
そんな感じで簡単に自己紹介も終わりましたので何故急に母校のサッカー部の主任指導者をやることになったのかを描いていければと思いますので、もう少しだけ飽きずにお付き合いいただけたら嬉しいです。
【何故母校のサッカー部の顧問をやることになったのか】
上記にて私の人物像が少しだけわかったと思いますので、早速ですが何故母校のサッカー部の顧問をやることになったのかを説明させて頂きます。
こちらよく聞かれることなのですが、すごく単純です。
『GTOになりたかったから。』です。
・・・・は?
そうですよねー、そうなっちゃいますよねー。
わかるー。痛いほどわかるぅー。
ちなみにだけど、AKIRAじゃねーぞ。
年代的には完全に反町だから。反町一択だから。
そう、グレートなティーチャーになりたかったからなのです。
ネタでもなんでもなく。
藤沢とおる先生により週刊少年マガジンで1997年~2002年に連載されていた名作漫画のアレな。
『いやいや、GTOってサッカー漫画じゃねーじゃん。』そんな声が聞こえてきそうです。
職業が教師なやつだけがGTOになれる権利があるのかと言うと私はそうではないと思うのです。
グレートなティーチャーとはもはや生き様だと思うのです。
これだけだと全く意味がわからないと思うので少し補足させていただきます。
30歳を過ぎた頃、結婚をして子供も生まれて、これから私はどんな人生を歩みたいかを以前よりも考えるようになりました。
これからの人生を考える上で職業ではなく、自分自身がどんな人間になりたいかを考えました。・・・おや、どうやら少し真面目な話に戻ってきそうな気配がしますね。
まず一番に考えたのが、娘が物心ついた時に私を見て楽しそうに生きてるような生き方でありたいと思いました。
もっと言えば、娘が物心ついた時に私を見て大人って面白そうだし、早く大人になりたいと思ってくれるような生き方ってなんだろうと。
こういった考えは社会人になる以前から漠然とは思っていましたが、社会を少し知って家族を持つようになって少しずつ明確になってきました。
だからGTOなのです。グレート・ティーチャー・オニヅカなのです。
いや、グレート・ティーチャー・オカなのです。
・・・・は?
まぁ、そうなりますよね。自分でも『は?』って感じなのでわかります。
だからってサッカー部の顧問と繋がらないじゃんって思ったそこのあなた!
ONE PIECE1巻時点でワンピースが何なのかでクレーム言い出すタイプだろ。
わからないから面白いものだってあるんだぞ。
ってことにしといてくれ。
元々は漫画好きの少しオタク気質のあるサッカー少年なので、俗に言う厨二病気質があるのでしょう。
少し話をはしょりましたが大体そんな感じです。
(いつまでも楽しく全力で自分の欲に忠実に不器用でもカッコよく生きていたいなって考えたらロールモデルは鬼塚英吉だったよって感じ。)
そんなことを考えながら日々の業務と、たまにやるフットサル、友人らとの時間を過ごす中で自分でも全く予想外な角度から、今回の話が入ってきて『これだ!!!』と思って今こうしてサッカーを小学生に対して教えているのです。
どんな経緯で話が入ってきて、どうなって母校のサッカー部の主任指導者になったのかのもう少し詳しい話に関してはまた後日、時間ができた時にでも続きを書いて自分の中で整理できたらと思います。
また、スポーツの指導をやりたいけど何からやったらいいかわからないって方の参考に少しでもなればと思うので、その辺の詳細も書きます。
私はクラブチームにも関わって来なかったですし、教員免許もありませんので参考になりやすいかもしれません。
そして実際に入る前に思っていたことと、入ってみて感じることは全然違うことばかりですし、20年ぶりに母校に帰ってきて初めて小学生とちゃんと関わるようになって苦戦しまくりです。
教育系の仕事をしてきたのでもう少し上手いことやれると思ってたんですけどね...
1番思うのは本当に小学生のお子さんを育てているパパさんママさんって本当にすげーなと思う毎日です。エネルギー使いまくり過ぎて。
マジリスペクトっす。
GTOがどうとか書いてると、私が元ヤンみたいな感じがしますが、もちろん少しもそんなことはなくバイクの免許もなければ学生時代に喧嘩もしたことがありません。(同級生に殴られたことはあるけど...)
ですので、以前学生時代にドラマで『ヤンキー母校に帰る』というドラマがあったと思うのですが、ヤンキー経験が無いのでそうもうまくいかず、ただ『32歳妻子持ち、少しオタク気質な男が母校に帰る』なのである。
・・・なんじゃそら。
こんな長くて意味のわからない説明をタイトルにはできないなと思ったのと、学生時代にヤンキーにやっておけばよかったなぁと思う年末なのでした。
また後日続きを書きますのでもし良ければまた見ていただけたら嬉しいです。
それではよいお年を。
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