見出し画像

「お母さん」が終わりかけている

子どもたちが、すっかり大きくなった。
喜ばしいけど、さみしくもある。

もうトイレについていかなくていいし、電車もおりこうに乗れる。3合お願い!と言っておけばご飯を炊いてくれる。外で手をつなごうとするとふりほどかれる。知らないYoutuberの話で盛り上がっている。今時の歌をすらすらと口ずさむ。娘の身長は、あと少しで私を追い越してしまう。

あんなに小さかった子どもたちが、小学生のお姉さんお兄さんになったんだ。私にとって「お母さん」と言えば、2、3歳の子を育てるイメージだけれど、彼らはもうずっと先を行ってしまった。

オムツひとつ入らない小さなバッグを持って出かける生活に戻った。ふとした時、その身軽さに寂しくなる。私の「お母さん」が終わりかけている。

もちろん、子どもが大きくなってから始まる「お母さん」の役割もある。勉強とか、たぶん色々。でも一方的に面倒を見る幼少期とは違っていて、チームメイトに近い気がする。

たとえば退勤後の夕方、「ああ、いやだなぁもう」と呟く。仕事と家庭をパッと切り離すことができなくて、頭の中に数字が溢れていたり、言うべきでなかった一言を思い出しては悔んだりする。そんな時、娘に「どうしたの?ふうん、でも今は関係ないじゃん、忘れたら」と言われる。彼女は子どもというより仲間で、時々コーチみたいな口調になる。

息子は対象年齢を無視して、気になる本を読みふける。そうしてプログラミングで自分の作りたいものを作り、にやにやと見せにくる。学習欲が強くて、眩しい。彼を見ていると、自分はずっと同じ場所で地団駄を踏んでいるように思える。

子どもたちが自分の足で、立派に毎日を歩んでいく。私が手を引いていた小さな子どもたちはもう居ない。手をつないであげていたつもりが、手をつないでもらっている。そうして、いつか必ず離れていく。

「お母さん」が終わったら、私は何になるんだろう。

#2021年 #子育て #39歳の日記



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?