その言葉を口にして良い人間とそうでない人間の話

2歳くらいからの付き合いで30年来の親友がいる。名をA君とする。
彼は沖縄が好きで、部屋に沖縄のポスターが貼ってあったり、中高生時代は沖縄料理屋をやりたいと言っていたり、そんな記憶がある。
彼は高校を卒業したのち、地元のホテルの厨房で働き始めた。
生まれつきの皮膚の弱さが水仕事にアンマッチする事などの諸事情により、結果的に今は全く関係のない技術職に就いているものの、職を転々とする事もなく真面目に勤労・納税の義務を履行する立派な社会人である。
しかし俺は、社会人になりたての彼に「料理人を目指しているなら、なんで調理師専門学校などに進まなかったのか?」と問うた事がある。
すると「ウチにはそんな余裕がないから」とAは返した。

俺の質問もこれから述べることも大変お節介であるという意見も、実家の経済状況を憂慮する孝行者であるという意見も、よくわかる。わかりたい。
しかし心のどこかで、「それを君が言うことに関して心の底から賛同はできない」という思いが芽生えていた。
そして今、親になった俺はさらに強くそう思っている。
誰が悪いという話ではない、という前提を据えた上で話を進めたい。

これも俺が中高生時代、少々トラウマになっていた話がある。
父が家族に隠して借金をした事が原因で親が離婚寸前までいった事だ。
今となっては笑い話として消化できるようにはなったが、当時はえげつないほど心を抉った出来事だった。
どう親と接していいのかもわからない状況で、毎晩のように兄の部屋へ避難していた時期もあった。
兄は悲しげな顔で「俺は公立に落ちて私立大学に入って、親に負担かけちゃったけど、お前には俺のようになって欲しくない…」と漏らした。
ある程度自分の進路を固め始めていた当時の俺は高校を出たら働くことも少し考えた。
しかし結局、自分のやりたいことと兄の言葉をどちらも叶えられる大学へと進学した。
これは俺の人生で最も成功した選択だったと考えている。

今の妻と出会えたのもこの大学だった訳だが、もし親の経済状況を理由に自分の夢を諦めていたとして、いずれその事実を知った俺の両親はどう思っただろうか。
もし我が子が進路に悩み始める歳を迎えたときに、我が家の経済状況を原因に自分の夢や可能性を諦めようとしていると知った俺は、次に何を考えるだろうか。
おそらく、悲しさと申し訳なさを感じるだろう。
妻との共通教育方針として既に行っている事が、本人がやりたいことをとにかくやらせて静かに見守る事だ。
現在は安価なおもちゃでの遊びに終始していることも、成長していくにつれて習い事や塾などに発展し、いずれは進学や独立を望むようになるだろう。
子の好奇心や向上心を、俺の経済力で諦めさせる事は絶対にしたくない。
子に経済力を否定されたくないという沽券も子が悲しむ顔を見たくないという自分の欲ももちろんあるが、その前に産まれるのは間違いなく子を悲しませたくないという感情だ。
不自由なく子がやりたいことをやる、そして満ちた笑顔を見るためだったらなんだってしてあげたい。
そんな親心は概ね多くの親が抱く想いだろう。
そんな「豊かさ」のある親になりたいと切に思うし、その親の「豊かさ」を否定するようなことを子に言わせたくない。そう見られたくない。
ま、そうは言っても限度はあるけどね!

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以上が序文である。
真面目臭いくせに馬鹿みたいに長くなったが、本来この記事で言いたいのはもっと軽い内容である。

表題の通り、「お前がそれ言っちゃダメだろ!」と思うケースが日常で割とよくある。
そんな話を、もっと簡潔にちゃっちゃか紹介していきたい。
(随時更新)

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