桜の木にセミが止まる
おもしろくなることだ、なんてぶち上げておいて、どうすればいいのかわからなくて、おもしろい、って意味を調べたり、僕なりに頑張って(無料だが)生のものを見に行った。
そしたら、気になるあの子が泣き笑いをして、気になったあの人たちは解散して、熱量と、切なさと、いろんなものが入り混じるあの感じを僕はきっと忘れないだろう。
ただむなしいほどに日々は流れていく。
着実に僕は、あの感情を忘れている。いや、忘れてはないが薄れている。
ただひたすらに、消化試合のような毎日を過ごしている。
おもしろくなることは、僕には無理かもしれない。わかっていたことだけど。
一つ変わったことがあったとすれば、気になるあの子が職場をやめたことだ。あの次の日、僕は休みだったのだが、彼女は最終出勤日だったらしい。
僕にとっては気になるあの子であり続けた彼女も、僕の前から姿を消してしまった。
今日も流れる段ボールを見つめたり、あるいは無駄に音を鳴らしてキーボードをたたいて一日が終わる。
お疲れさまが遠くに聞こえ、ああ帰ろうかと一歩踏み出すと、ふいに名前を呼ばれた。気になるあの子と仲が良かった子(ガチ勢というやつだ)が僕の服の裾を持ちながらこちらを見つめている。
そういった類の接触は心臓に悪い。
併せて、カアカア、カラスが鳴き始める。裏口はゴミ置き場が近いから。
ただ愛をささやくようなテンションでも、場所でもない。
「あの子がやめた理由知ってる?結婚だよ。」
それだけ言って彼女は去っていった。
何故それを僕に?ていうか君にも僕は見えていたのか。
その彼女がどうしてそういったのかは帰り道にわかることとなる。
公民館の角を曲がると最寄駅なのだが、そこには大きなスーパーがある。
僕は毎週木曜日にここに立ち寄ると決めているのだ。
理由はないが、なんとなく、木曜日のコロッケがおいしいからだ。
調理担当の人と波長が合うからだと思う。
いつもの通り、買い物を済ませていたら、気になるあの子にそっくりの人を見た。
隣にはお連れ様がいる。
とても幸せそうな素敵な雰囲気。
そういえば結婚したとかいってたよな、と思いつつなんとなくお連れ様を見やると、どこかで見た気がする。
どこだ、と頭をひねるまでもなく、ピンと来てしまった。
あの子の推しだ。つまり僕が失った推しの片割れでもある。
あの子はそういえば、本当の事なんて知りたくないことかもしれない、とか言ってたような…。
結婚するからやめるというのは結構あるあるなのかもしれない。
精進する人もいれば、やめる人もいるだろう。
普通に生きていても不安定な世の中、誰かと手をつなぎながらずっと綱渡りができるのは、下に網がある場合だけだ。
不思議な泣き笑い顔を思い出して納得がいった。
もう見れない悲しさと、これから自分と共に歩むあの人とを考えていたのかもしれない。
あの泣き笑いは、うれし泣き半分だったのかもしれない。
直接の原因ではなくても、僕がすぐに失った推しは、図らずとも僕のアイドルである気になるあの子に取られたことになる。
そのどちらも僕の前からいなくなるなんて滑稽だな。
何故か耳の奥でセミが鳴いているようなざわざわした音がする。
心なのか、ただの耳鳴りなのかはわからないが。
ここまで書くのに、こんなに行が要ったか?
ただ筆が進んだのだからしょうがないだろう。
おもしろいについては、今日も調べる前に疲れ切った。
コロッケがおいしい。
母の作るコロッケと献立がかぶっても、まったくそん色はない。
しゃわしゃわうるさいセミたちよ。夏を増長させないでくれ。
セミを見るといつも、ああ、タンパク質、と思う自分がいる。
コオロギで思え。せめて。
あの子やあの人が幸せでありますように、最後にいいひとぶって今日はおしまい。