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私が「沖縄生まれ」と言い続ける理由 【自己紹介①】

はじめまして! 

書こうと思い続けて早一年、ようやくの初投稿です。

このnoteでは、脳内にあるアイデアや思っていることを感じたままに書いていこうと思います。

さて、最初に何を書こうかと悩み続けましたが、
とりあえず自己紹介をしておきます。

沖縄県に生まれ、東京で育った25歳です。現在は医療系メーカーで働く社会人3年目です。

と、早くもここで今回のキーワードが出てきました。

沖縄生まれ…

母が実家のある沖縄で里帰り出産したため、出生地はたしかに沖縄です。
ただ、生まれてからはすぐ東京に戻っているため、私は沖縄に住んだこともなく、方言も話せません。

「〇〇生まれ」
この言葉を聞くと、誰もが「少なくとも生まれて数年はその土地で過ごした」と思うだろう。そういった点からすると、「東京出身」と名乗る必要があるのかもしれない。

ではなぜ、自己紹介の最初に「沖縄生まれ」というのか。

そこには自分なりの理由と、原体験があります。


ハワイで感じた沖縄アイデンティティ

「沖縄アイデンティティ」を表現したいから
これがひとつ目の理由です。

ここでは「アイデンティティ=自分たらしめる要素のひとつ」と定義します。

ではなぜ沖縄にアイデンティティを強く持つようになったか…

それは幼少期に住んでいたハワイで沖縄系移民コミュニティを見てきたからだと思います。

ハワイでは、本土の日系人と沖縄の人は区別されています。
沖縄にルーツを持つ人々が「Okinawan」という一つの確立したアイデンティティを持ち、コミュニティも盛んです。

ちなみにハワイでは毎年”Okinawan Festival”が開催され、Okinawanだけでなくローカルの人々にも人気のイベントです。

そのような環境で自分が感じたことは
「ハワイで生まれ育った2世以降の人たちも沖縄のアイデンティティを強く持っていることへの衝撃」でした。
日本語は話せず、故郷の沖縄を訪れたこともない人たちが、
「自分はOkinawanだ!」
と堂々と語っている姿を見てかっこいいと思った記憶が強く残っている。

と同時に、自分もこの人たちと同じく沖縄をルーツに持つOkinawanだ!という自覚が小さい頃からあったのだと思う。


「沖縄生まれ」を名乗ることの葛藤

続いて国内、特に沖縄県内の状況に目を移してみると、

「ウチナーンチュ(=沖縄の人)/ナイチャー(県外の人)の構図があります。
沖縄では明治時代の琉球併合以来、沖縄戦や米軍基地問題に至るまで、多くの複雑な歴史や現代に残る課題を持ち続けています。


地方ではよく「地元の人/よそ者」という二項対立の構図が見られるが、
沖縄では歴史的・文化的な差異から、さらに強い二項対立構図が出来上がっているように思えます。

さて、沖縄で生まれてすぐ東京に移り、物心ついてからほとんどを都内で過ごした私は、「ウチナーンチュ」に見られるだろうか?

沖縄県内ではおそらく私も「ナイチャー」に見られるだろう。

現に方言は話せず、沖縄の学校も一切出ていない。経済的な大変さも、基地と隣り合わせで生きる感覚も分からない。
母の実家からも米軍機の音は聞こえてくるが、その土地で長年住んだ経験がないため語ることはできないと思う。

自分の沖縄アイデンティティが強まれば強まるほど、
このような葛藤も付いてまわるのではないだろうか。


【まとめ】 それでも「沖縄生まれ」と言いたい

これまでの話をまとめると、

①生まれただけで育ってはいないが「沖縄生まれ」と自己紹介をする。
②沖縄から遠く離れたハワイのOkinawanの強い想いに影響され、沖縄アイデンティティが醸成された。
③しかし一方で、沖縄県では「沖縄/内地」の構図も強く、県民から見たら私も「ナイチャー」と見られるだろう、という葛藤を抱えている。

それでも「沖縄生まれ」と言い続ける理由…

自分と関わる人に沖縄の素晴らしい文化を知ってほしい、沖縄の歴史を知った上で現代の問題を見てほしい、そう思うからです。

これがふたつ目の理由です。

昨年、大親友2人を連れて沖縄旅行をしました。
リゾートホテルに泊まったり、南国ならではの雰囲気を味わうことも目的だが、
私の中での裏テーマは「2人に沖縄のリアルを感じてもらう」ことだった。

自分の“故郷“をより深く知ってもらいたい!
そういう気持ちで、ローカルな食べ物や歴史を感じられるところ、沖縄の文化とアメリカの文化が入り混じっている場所などを巡りました。

今まではお盆の時期に母と帰省するくらいで、友達を沖縄に連れて行くことはなかったので、すごく不思議な気持ちだった。
が、普段の旅行と違って言葉では表せないくらいの充実感があったように思う。

2人も沖縄にとても深い関心を持ってくれました。
それが何よりも嬉しかった。

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観光客らしくマリンスポーツできたことも最高に楽しい思い出でした!笑

改めて自分のアイデンティティを確認できたこの経験を、文章に残したい!と思って今回筆を取りました。


沖縄の文化や歴史に興味を持ってもらいたい。

沖縄の社会に何かしら貢献したい。

そして、自分を産んでくれた沖縄という土地で人生の最期を遂げたい。

これが私の夢です。

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