『正欲』

ガッキーかわいい

小説も映画も触れたので...

正欲は性的指向の違い,多様性をテーマに人間関係について書いた作品だと感じた。

水に興奮を覚える桐生夏月と佐々木佳道、男性にトラウマがある神戸八重子と水に興奮を覚える諸橋大也、「普通」の寺井啓喜と不登校になった息子とそれを受け入れようとする妻。

この三組の人間関係は三者三様だ。

桐生夏生と佐々木佳道は、共通の価値観を持っている。水に興奮を覚えるというマイノリティな性的指向も、それを隠して「普通」を装う部分も似ている。それゆえに、この二人はお互いを理解し合い、良好な関係を築くことができた。

神戸八重子は諸橋大也に他の男性とは異なる特別な感情を持つが、一方通行で終わる。しかし、自分の過去を打ち明け、コミュニケーションを取ることで関係を築こうとする。

寺井家の3人もそれぞれに異なる価値観を持っているが、神戸,諸橋のようにコミュニケーションで関係を築くことができない。お互いに自分の主張をするだけで、相手のことを理解しようとしない。

いずれの関係性が正解であるかが明確に示されるわけではないが、寺井家が最もマイナスな結末を迎える。「普通」な人が暗く描かれる点で、マジョリティ,マイノリティに依らず、人間関係をいかに築くことができるかに焦点を当てていると感じた。


とは言え、人間関係は難しい。

先日、友人たちと久しぶりに集まり呑んでいたときに「素を出せない」という話題が出た。

そもそも「素」とはなんなのだろうか。「素」は一つしかないのだろうか。
極論「素」なんてものはないと思う。強いて言えば、自分一人でいる瞬間、リアルでもオンラインでも誰とも繋がっていない状況での自分が最も「素」だと考える。

少し話が変わるが、大学1回の授業で「政治学とは何か」という説明がされた。教授の説明は以下のとおりだ。
政治学を考えるには順番が重要である。人間は一人では生きていけない、何らかの共通の利害を持った社会に生きている。学校しかり友人関係しかり家族しかり。複数の人が集まる以上、対立や紛争が生じるのは必然である。この対立や紛争を避けて社会を潤滑していくためには、秩序やルールが必要となる。このように秩序やルールを作り、維持していくことが政治である。そして、それを学ぶのが政治学である。

話を戻そう。
人間は一人では生きていけない。どれだけ一人を好もうが、他者との関係を完全に切って生きることはできない。この他者との関係は、自分と他者の間で形成される。つまり「自分」という形は、自分だけでは作られない。

家族の前にいる「自分」と友人Aの前にいる「自分」、友人Bの前にいる「自分」、彼女といるときの「自分」、バイト先での「自分」、一つとして同じ「自分」はない。
一人でいる瞬間の「自分」という最も「素」の状態に他者と混ざることで、各状況での「素」になると思う。
そのため「素を出せない」という話をよく分からんなぁと思いながら聴いていた。

私には友人が少ない。正確に言えば、何でも話せる気のおけない関係の友人が片手で数えられる程で、そうではない友人がある程度いると言った感じだ。
相手にどう思われるか、何を言えばいいか気にしすぎて、深く知ろうとすることが面倒臭くなる。当たり障りないことを話して終わりだ。新たな関係を築くぐらいならすでに関係性の出来ている友人で、となる。別に悪いとは思わないが。

社会人になると40年以上同じ環境に身を置くことになる。何でも話せる友人を新たに作りたく思う。もちろん、中高の友人たちも変わらず大切にしていくが。

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