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#7 シナイ山で死にかけた話②

北九州の高校を出て大学で上京した私は、長期休暇の度に海外(途上国)にバックパッカーで行くようになりました。

まあ、大学1年生の時は1単位しか取れなかったんですが。

エジプトに行ったのは大学2年生か3年生かの冬休みか春休み、40も超えると20年前の記憶は曖昧です。

ユウキをおびき出す

同級生で上京したマナブと一緒に行くことが多く、この経験をもっと幼馴染とシェアしたいという気持ちがあり、協議の結果ユウキが丁度良いという話になりました。
 
6歳からの付き合いのユウキはキツいことは絶対嫌というタイプ。普通に誘っても絶対来ない。でもどうしても連れて行きたい。ということで、マナブと策を練りました。

懸賞に応募したら、韓国旅行2泊3日4人分が当たった。まだ枠が余ってるから来ないか?」という無理筋。

ユウキにオファーすると「まじっすか!いいんすか!?行きます行きます!!速攻パスポート作ります!」と乗り気。彼は何故か同級生にも敬語です。長崎大学に進学していたユウキのおびき出しは簡単に成功しました。

チョ・マテヨ

 私とマナブともう一人は東京でスタンバイ、バックパッカーの装備を整え準備万端。

そこに颯爽と現れたユウキの格好は、ヴィトンのボストンバックに当時キムタクがドラマで着ていたリバーシブルか何かのダウン。

こいつこれでエジプト行くのかと思ったけど仕方ない。だって本人は韓国旅行に行くつもりなんだから。

ユウキからは言われる「え?そんな格好でいくんすか?」「俺らはこんくらいで十分」びっくりするくらい怪しまれていない。

難関 成田空港

出発当日、空港で行く先を見てユウキが駄々をこねだしたらダルいなと思いつつ、成田空港へ移動。

腹が減ったので飯を食いながらだべっていると飛行機の時間がギリになる。放送で呼ばれてバタバタ出国ゲートを抜けるとグラホのお姉さんがスタンバってる。お急ぎくださいと言われて一緒にダッシュ、飛行機に飛び乗る。

奇跡的にバレずに飛行機に乗せることは成功しました。

認めたくない

乗った飛行機は、当時事故率が高くて有名なソ連・ロシアのアエロフロート

死が遠い二十歳そこらの僕らは値段重視でアエロフロート一択。モスクワ経由カイロ往復(帰りはイスタンブールから)で7万円くらい。

後々聞くと、流石のユウキも飛行機に乗った時点で気づいたらしい。日本⇔韓国でCAがみんなロシア人女性はおかしい。

(そーいやこの人らエジプト行きたい言ってたな、、、)

前日結構遅くまで遊んでいたので、それでもユウキは搭乗してすぐに眠りに落ちる。起きたのは3〜5時間後、時計をみたユウキ。

「韓国って意外と遠いんすね、、、」
 
アエロフロートのまずい飯、特に黒いパンがクソ不味い。それを食って当時は飛行機でもバンバン煙草を吸えたので一緒に一服。

窓から外を見ると眼下にはロシアのツンドラの大地。紫煙を燻らしながら遠い目をするユウキ。

「韓国って寒そうっすね、、、」

最終的にエジプトに着くと思っているユウキ。当然外国語もダメなユウキだが、流石に耳と目に入ってくる情報。

「Moscow」

モスコー、モスコー、、、
モスクワ!?
エジプトじゃないの、、、?

ホスピタリティって何かね?

ひとまずモスクワ空港着。

空港ではトランジットを誘導するロシア人グラホがこんなにも愛想がない塩対応ができるのかという態度。

「チケーッツ、チケーッツ!!(日本人こいつら語学能力低すぎだろ)

それでもマゴマゴしている日本人にモスクワ空港グラホは更に激ギレ。

「てめーらモタモタしてイラつくから、もう免税は行かせねーからな!」

きょわい、きょわすぎる、、、

圧倒的順応性

トランジットのゲートには「Cairo(カイロ)」の文字。

(あー良かった、やっぱエジプトだった。)

ユウキ君はもう麻痺していてホッとしたそうです。乗り換えは5時間くらいの待ち。だってアエロフロートだもん。

僕ら4人はモスクワ空港の地べたでトランプで大富豪をしながら時間を潰す。
革命の度にユウキが騒ぐ。

「ペレストロイカ~!!」

そうゆう順応性高いところ好き。

やっとこさ飛行機はモスクワ空港を離陸、一路カイロまで。カイロ着、入国手続きを終えて外にでる。
激熱。

「ユウキ君、エジプトやで。」

「でしょうよ!!」

キムタク仕様のダウンを雑に脱ぐユウキの姿は今も脳裏に焼き付いていま
す。

全然シナイ山にたどり着きませんでした。次回は、エジプトに入ってシナイ山に着くまで。もしかしたらカイロの話で終わるかもしれません。知らんけど。

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