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#16 シナイ山で死にかけた話⑪

先日、うちの広報チームにnoteの原稿を奉じたところ、私のnoteを「何の広報やねん(怒)」と苦々しく思っている広報チームのリーダー、ウシロからこんなお便りをSlackで頂きました。

なんだそりゃ(笑)
そもそも仕事さっくり終わらせて定時で帰らんかい。ウシロいつも頑張ってくれてありがとう。

心配しなくてもこのシリーズもいよいよ終盤です。とはいえ半年引っ張ってるんだから、そりゃウシロも怒るか。。。

アラビアンナイト

我々のキャラバンは、先頭に松明をもったラクダ屋の親父、前ラクダ、騎乗いやラク乗には一人、後ラクダ、ラク上には一人、ラクダの周りには徒士の二人と、もう一人のラクダ屋のアナザ親父です。

シナイ山の麓、緩やかな稜線をゆったりと進む姿はまさにアラビアンナイト。時代に思いを馳せながらエモい気分に浸れます。

アラビアンナイト、アラジンで思いだしましたが、昨今「お金もないし、力もないし、地位も名誉もないけど、君を守りたい」的な歌が流行っていましたが、この歌詞は「素敵っ!」と思う勢と、「は?ふざけんなし。出直してこい!」と思う勢に分かれるようですね。

飲み屋のお姉さん調べによりますと、後者が圧倒的に多いようです。流石彼女たちはリアリストですね。

ちなみに私も後者派です。守りたいのに努力も結果も出してねえで御託(ごたく)だけを並べるとは何事かと思う勢です。

脱線しました。

シナイ的ラクダの操り方

ラクダ屋の親父たちはラクダをハンズフリーで音だけで操ります。

その音が独特。

歯を噛んだ状態で、片方の口角だけを上げ、片側の奥歯が見える状態にします。そして見えている方の歯の裏側に舌をあてて軽い真空状態をつくり、舌を歯の裏から離すことによって、音を出します。

文字にすると、「チャッ!!チャッ!!」というか、「キュッ!!キュッ!!」というか、「ギュッ!!ギュッ!!」といった音です。

この音や長さやリズムや音程でラクダを操る。立たせたり、座らせたり、進ませたり、止まらせたり、曲がらせたり、自由自在です。

文章で読んでもよく解らないかと思いますが、実は私、この音の出し方を完全にマスターしています。現地のラクダ屋の親父からも褒められた程の完コピぶりですので、もしも気になる方がおられましたら、私と会った時に遠慮なくリクエストしてください。

他のところで試してみた

ここでシナイ式ラクダ操縦音を会得してから、色々な動物と出会う度にこの音を出してみるのが私の習慣になっています。

その結果を記載すると
→ほぼスルー、猟犬系は姿勢正しガチ
→反応しガチだが、警戒モードになる
→小型の鳥はざわつき始める、大型はほぼスルー
→概ね反応するが、耳だけで反応やチラ見で、気になるが何を言っているか言語がわからないといった感じ
ラクダ→めちゃくちゃ見てくる
動物園→猿類が騒ぎ出し、それに釣られて全体的にざわざわする

ドバイでラクダに乗った時にこの音を出していたら、ラクダ屋の親父から「ラクダが謎ムーブするからマジでヤメロ」とまあまあの剣幕で怒られました。

この音は動物の琴線に触れやすい特別な音なのかもしれません。

ゆる登山

一行は緩やかな稜線をゆったりと登り続けます。

傾斜は緩やかで交代でオンザキャメることもあり、あまりキツくは無い。
肌寒いくらいの気温の中、適度に心拍数を上げて歩くので体感温度的にも丁度良い。

ラクダ屋の親父達と談笑しながら登ったはずだが、安定の実の無い会話なので、今一生懸命記憶を辿っても全くなにも何も思いださない。人の良い親父達だった記憶はある。

こういう時はやっぱりタバコは最強のコミュニケーションアイテム。
一緒に一服すればすぐにマイメンになれます。

今私がタバコ(アイコスだけど)を辞めないのもこれが理由。初対面の人でも愛煙家だと喫煙所ですぐに打ち解けれる。喫煙者が肩身の狭い今は尚更です。

やめようと思えばやめれるけど、仕事柄やめないだけ。あえてね、あえて。

ラクダの道クリア

そんなこんなで2時間ほど登ると、ラクダの道も終わりです。

「この先に行ったら岩の階段がある、それを登れば山頂や。手前に小屋があって茶をしばけるから温まっていきな。わしらは下山して次の客を拾うから。今日は二毛作じゃ!」

とラクダ屋の親父達。

「おっと、最後にその質の高い日本製のタバコをくれてもいいんやで。」

そんな会話をしてラクダ屋の親父達との別れ。
松明とラクダは去っていきます。
ヨッシーを失ったマリオの気分です。

松明が去り照明はゼロ

とりあえず、その小屋とやらを目指して進みます。

砂漠地帯真ん中、オレンジがかった茶色をした剥き出しの岩だけで構成された山岳地帯、シナイ山の中腹。

ラクダの道だけは人が多少整備した痕跡はあるものの、それ以外は手つかずの大地。

ラクダ屋の親父の松明がなくなると照明器具は何もない、当然街灯なんかあるはずもない。

何の気なしに道を進んでいきますが、ふと気づく。

暗闇のはずなのに、なんでこんなに目が効くんだ?周りが見えるんだ?

人生で最も記憶に残っている光景のひとつ

ふと空を見上げる。

満天の星空。いや、超満天の星空。

空の隅から隅までが数万の星で埋め尽くされ、星の絨毯の中にひと際濃く天の川がクッキリと見える。

星の数が多すぎて、逆に星座なんか解らないし、更に言うと何とでも星座を作れるレベル。

え?恒星だけでも星ってこんなにあるの?
宇宙の広さと自分の存在の小ささで不安が沸いてくる。

こればっかりは文章では伝えようがない。

マジぱねーんだけど。

もうやめて!私の感受性、共感力はゼロよ!

あんぐりと口を開けて星空を見ていると、いたる所で流れ星もビュンビュン流れ続ける。

お!流れ星!とテンションをあげるのも最初の数秒。

常に大量に流れ続けるので、流れ星のプレミア感は一瞬でゼロになる。

そう。この満天の星空と大量の流れ星を見てしまうと、これ以降、国内国外問わず、〇〇座流星群しかり、そんじょそこらの星空や流れ星では何も感じなくなってしまうのである。

「きゃー!見て~、星(流れ星)やばくない!?」
「本当だね」
「え~?感動してなくない??」
「ソンナコトナイヨ・・・(だって凄くないんだもん)」

と、こうなってしまう。
正直な性格なので、芝居がかった嘘はつけないのである。

星空に限らず、多くの事がこの調子。
40歳にもなると心を動かす程の事はほとんどなく、これはこれで悲しくもある。

最近しばしば感受性、共感力が低いとご指摘を受けますが、感動も苦労話もほとんどが想定の下、共感できんもんはできんし、演技まではしたくないんじゃ。

やっと本題のひとつ

誰も覚えていないと思いますが、「シナイ山で死にかけた話①」の最初に書いたのは、「60ヵ国以上を旅して、どこの国が、どこの場所が良かったか?」でした。

4万字寄り道してやっとその結論です。

砂漠地帯の高地の星空はYAVAI(ヤヴァイ)。

他にも、赤道付近の孤島や、アイスランドでオーロラを見に行ったり、色々なところで星空を見ましたが、このシナイ山で見た星空には全く及びません。

皆さんもガチ系の砂漠地帯&高地で星空を見ることをお薦めします。
絶対損はさせません。

これに勝てるのは、エベレスト的なガチ山の山頂付近か、南極とか宇宙空間くらいだと思います。知らんけど。

私ももっとマッチョになったら、ガチ山の登山に挑戦しようかな。

あ、マッチョは体脂肪率低いから寒さに弱いんだった。

南三局

ついにこのシリーズも本当にオーラスが近いです。あとはもう一つの本題、死にかければ完了です。

そうこう言っているうちに、小さな明かりが見えてきた。休憩ポイントの小屋につきました。

ユウキがチェキで撮った写真が家にあったと、なぜかそのチェキの写真をスマホで撮影したものを献上してきたので、最後にそれをつけます。

ん?ユウキのダウンを私が奪って着ているな。

ボロ絨毯の上でタバコを吸う私

よーわからんけど、とりま休憩でのティーと煙草は最高!

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