#6 シナイ山で死にかけた話①
きちんと数えたことは無いのですが、これまで60ヵ国以上は行ったことがあります。そのほとんどが10代後半から20代前半にかけてバックパッカーとして。
これを話すとよく、どこの国が、どこの場所が良かったですか?と聞かれます。
私個人としては、雑多な繁華街に溶け込んで過ごすことと、自然に触れることが好きなのですが、正直色んな見方がありますし、自然、街、歴史、文化、建物、食、人々の営み等々、様々な要素があり、まずあなたが何に興味があるか知らないと何とも言えません、というのが本音です。
しかし、誰もが絶対刺さるだろうというものもあるので、ゆるりとそれらを紹介していこうと思います。
エジプトのシナイ山について
幼稚園から大学までカトリックの学校に通ったお坊ちゃんの私は、一応の仏教徒の実質無神論者、20年近くの教育も虚しくキリスト教に感化されることは全くありませんでした。
しかし、退屈な宗教の授業も受け続けると、聖書は新約聖書から旧約聖書まで目を通している、聖歌、賛美歌もだいたい歌えるという状態にはなります。
シナイ山は、クリスチャンやキリスト教関係者にはお馴染みの場所ではあるのですが、一般的にはそうではないと思うので、まずはシナイ山について。
シナイ山はエジプト領であり、アフリカ大陸北東部と中東諸国がある西アジアのアラビア半島の間、スエズ運河の東、紅海の最奥にあるシナイ半島にある山です。
このシナイ山がなぜ有名かというと、モーセが十戒を神から授かったとされる所だからです。モーセは紀元前13世紀くらいのイスラエル民族の指導者です。ここのクダリをきちんと説明すると長くなるのでざっくり説明します。
モーセが十戒を授かるまでのお話
超昔のエジプト王のファラ男がイスラエル人のヨセフをお気にで、ヨセフの地元は飢饉だったのもあって、もうみんな引っ越してきたらいいんじゃね?ってことで、イスラエル人がエジプトに引っ越してきました。
でもそこから400年くらい経つと、当時のクダリを今のファラ男も知らないし、イスラエル人が増えすぎてエジプト人の数を超えてきて、ファラ男やエジプト人的には、こいつら最近ちょずいてきてね?って話になってきました。
そんなことありませんって!というイスラエル人の主張も虚しく、ファラ男からの嫌がらせはどんどん激しくなっていき、このままじゃみんなガチでシバかれそうなイキフンになってきました。
その時のイスラエル人トップのモーセは、「これもうシーキビだわ。そういやご先祖様が東の方に「約束の地カナン」ってのがあるって言ってたから、そこ行けば良くね?」って話になり、 イスラエル人のみんな的には「そんな所あるなら、はよ言えし!」ってことで移動を始めました。
なのにファラ男的には顔もあるからOKってわけにもいかず、軍隊を差し向けました。イスラエル人のみんなが紅海の海沿いを進んでいたら、エジプト軍が押し寄せてきて後ろは海だし逃げ場もない、まさに背水の陣。
みんなオワタって思ったとき、モーセが気合いを入れたら、紅海の海がバカーンと2つに割れてそこから逃げれるようになった奇跡。
みんながダッシュでその海底にできた道から海を渡ってるけど、その道をエジプト軍も追ってくる、イスラエル人がみんな渡り終えたら、そこから割れた海が元に戻る、エジプト軍は海に飲まれて藻屑となってしまいました。
エジプト東海岸から割れた海を渡って着いた先が、シナイ半島。生き延びた、ラッキーしたと思ったのもつかの間、シナイ半島は砂漠しかないし、今度は食い物がない。
モーセもどうしようもなくなって、「ちょっと山で考えるわ。」といって登った山が、シナイ山。そこで神の啓示を受けたのが十戒です。
あくまで個人的な見解ですが、モーセ的には、こいつらワイが海割って逃げれるようにしたのに、今度は腹減ったとか文句ばっかりやん、我慢を覚えさせたろ、が十戒な気もするけど、これは私の妄想です。
· 第1戒「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」
· 第2戒「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない」
· 第3戒「あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない」
· 第4戒「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ」
· 第5戒「あなたの父と母を敬え」
· 第6戒「殺してはならない」
· 第7戒「姦淫してはならない」
· 第8戒「盗んではならない」
· 第9戒「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない」
· 第10戒「あなたの隣人の家を欲しがってはならない」
親しみやすいように書いただけなので、ガチのコメントはご容赦願います。
というわけで、今回は前情報まで、次回はシナイ山にレッツラゴーです。