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問答無用の株式市場 ー 「高値波乱」?

 9/3、米株式市場が突然急落した。古い言葉で言えば「高値波乱」か。まあナスダック指数の竹槍のようなチャート(標題添付)を見ると▼5%近い下落とはいえ、仕方が無いところ。

 一昔前なら経済ニュースや株式ストラジストのコメント等で大騒ぎだったはずだが、時代の変化だろう。株の解説記事はほとんどダンマリだし、投資家も特段慌てた様子もない。「機械相場」には感情はない、ということか。これを売り相場の転換と見る向きはほとんどなく、相場の下押しは買いの好機と捉える向きも多い(どこまで押すかが問題だが...)。

主要株価 03 Sep 20

 このラリーの主役の1人、「テスラ」 ↓ 。たった@45ドルだった株価が1年で10倍になっており、10万円が100万円!夢のある話とも言えるが、反面恐ろしくもある

テスラ株価(1年)

 これを見て思い出すのが、「ITバブル」と言われた1999~2000年でこの日本で熱狂した「光通信」株 ↓ 

光通信

 「30万円まで行くかなぁ。それとも50万円?(ワクワク)」

 この「光通信」株@2万円辺りで買った為替トレーダーがいて、うれしさを堪えきれないようだった。株価が@20万円を超えて投資金が10倍以上になったのだから無理もない。しかし、この「緩み」が後の「悲劇」を生む

 この「ITバブル」は、2000年3月頃からそれらしい前兆も材料もなく突然終わりを迎える「光通信」の株価は@241,000を高値に崩れ始め、2000年3月31日~4月27日には「20日連続ストップ安」という「伝説」を作る。その間の株価は@78,800円→@13,800円までフリーフォールとなり、「損切り」さえままならなった

 その後の底値が@3,700円。件の為替トレーダーはすっかり株の話をしなくなり、結局損をしたらしい。10倍になったはずの資産が半分以下になってしまったわけで、動揺は察するに余り有る。仮にも為替相場のプロが、である。”トレーダーあるある” なのだが、自分の「お金」になると途端にトレードが下手になる(含.筆者)。やはり「欲」が目を曇らせるのだろう。

 もう一つ株の話。筆者が新入行員で入社した当時の日本の銀行では「自社株買入」の仕組みが一般的で、当時で上限3,000万円までローン付

 「株、目一杯買っておいた方がいいよ」

 先輩行員がことある毎に勧めてきた。彼らにしてみれば、入行当時@50円で買った自社株@2,000円まで上がっていたので何と資産が40倍!「借金 × 株+不動産購入」の「鉄壁の昭和スキーム」で一財産築いていたので無理もない。実際その後株価は@3,000円台まで上昇したが、これがその後の「新人行員」達の命運を分ける結果となった。

 「損切丸」は「新人類」の代表格でかなり「変わり者」だったので、当時常識だった出入りの "おばちゃん" の保険契約も拒否。自社株も最小単位の@300万円に留めていたが、これが後の筆者の命運を分けた

 1994年に転職する際にこの自社株を売る羽目になったが、@3,000円で買った株が@2,000円ぐらいになっていて▼100万円の損失「何だよ!」と思ったが貯金もあったので転職に支障はなかった。だがあとで同僚に聞いたら、彼は借金して3,000万円目一杯買っており、その後株価が@300円近辺まで下落して▼2,700万円の損失転職したくても辞めるに辞められなかったバフェット氏ではないが、やはり借金して投資するのは恐ろしい

 「過剰流動性」の規模も違うし、今の株式市場と「昭和バブル」を単純に比較するつもりはない。ただ教訓として残るのは「過去」「常識」に囚われるのは危険、ということ。実際デフレで敗れた人達はインフレをベースにした「株・土地神話」を捨てきれず悲惨な目に遭った

 やはり投資は一筋縄ではいかない。目先の利益もいいが、十年単位の長期スパンで俯瞰することが肝要。思えば「アメリカ一筋」のバフェット氏が日本の商社株を買ったのは、それだけ米国株が高くなっている事の裏返しとも読める。筆者自身も今回が売り相場への転換点とは思っていないが、「光通信」の例もある。気を抜かずに検証をしていく必要はあるだろう。

 やはりトレード、投資は「臆病なぐらいが丁度いい」

 「自分が浮かれているな」と気付いたら、少し思い直してみることをお勧めする。よく娘にアドバイスするのが「山道運転の例え」。曲がりくねった山道を運転していると気持ち悪くなったりするものだが、そういう時は曲がる時にかかる ”G" と逆方向に体を傾け、常に自分を「真ん中」にコントロールする事。そうすれば気持ち悪くなるのを防げる。相場も同じだと思う。

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