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動物看護師と愛犬の命

私には大好きな愛犬がいました。
この仕事を目指したのもこの子がいたから。
でもいつかは来る別れの時。
その日私は動物看護師として働いていました。
私が動物看護師として働いていた事を1番後悔した日の事を書きたいと思います。

病気の愛犬

愛犬は4歳の時から重い癲癇発作に苦しんでいました。
4歳までは後ろ脚が弱く股関節に問題ありましたが、それ以外は元気で大きな病気や怪我もない普通のワンコでした。
元気で頭が良くて可愛くて。美人で少しワガママな女の子。
我が子ながら自慢ですが…。あまりの可愛さにあるワンコの雑誌に写真が掲載され、絵葉書やカレンダーの表紙にその写真が使われました。


どこに連れて行っても可愛いといわれ、それが嬉しくて色んな所に連れて行きました。

我が家のお姫様。自慢の愛犬。

そんなお姫様に異変が起きました。


4歳の夏。初めての発作。

朝ガタガタという音に目が覚め、いつもベットの下で寝ていた愛犬が泡を吹き痙攣発作を起こしていました。
時間は1〜2分。でもすごく長く感じました。どうすることも出来ず体をぶつけないよう抱き上げることしかできませんでした。
癲癇とは脳の異常な興奮で発作を起こし、全身痙攣を起こしひどい時はそのまま発作が止まらず亡くなることもあります。
日に日に増す発作の回数に苦しめられ、一般の動物病院でできる検査では異常が見つからず、大学病院でMRIやいろんな検査をしましたが結局原因がわかりませんでした。
解ったのは脳には大きな異常はなく難治の癲癇との診断。
飲ます薬の量は日に日に増えていきました。
一晩中続く発作で眠れない日が月に数回。
薬を増やしても変えても発作の回数は増すばかり。
発作が起きると尿失禁や脱糞。すごい力で起こる痙攣発作。大量のヨダレを流し必死で頑張る愛犬のその体を抱きながら発作が落ち着くのを待つ。
その状態が1〜2分続き、そして発作が治まった後は何が起きたかわからず一時的に目が見えなくなるのか不安と興奮状態で吠え部屋中徘徊する。
それが治るまで10分ほどかかります。
それが一晩中何度も続く事もありました。
目も離せない状態だったので、私は夜勤をして夜間救急の動物病院の看護師として勤務しました。
日中は私で夜は旦那さんが様子を見る生活。
正直どうしていいかわからず私は疲れ切っていました。
慣れない夜勤。
昼夜逆転生活。
そしてその時旦那さんの仕事関係で慣れない土地での生活。
頼る人も近くにいない。
私が頑張らないと!と変な責任感から勝手に自分を追い詰め、イライラしていました。
発作のたびに飛び散った汚れを拭き発作の後の徘徊で夜中に吠え、近所に迷惑になると思い必死でとめる。でも愛犬は興奮して吠え続ける。
情けない話何もわからない愛犬に怒り、その自分に自己嫌悪。情緒不安定にもなりあの頃の私は最悪でした。
夫婦喧嘩もたくさんしました。そんな姿を悲しそうにみていた愛犬。今思い出しても申し訳ない気持ちしかありません。

最後の3ヶ月のプレゼント

発作が起きたのは4歳になったばかり。それから4年を過ぎ、癲癇で闘病してる月日の方が長くなりました。
それでも愛犬は頑張ってくれていて。でもきっと体はボロボロだったんじゃないかなって思います。
でも亡くなる3ヶ月前から発作はまったく起こらず、もしかして治ったんじゃないかって思うくらい元気で久しぶりに穏やかな毎日が続きました。
大好きなサッカーボールで休みのたびに遊び、軽井沢まで旅行に行ったり鎌倉への日帰り旅に行ったり。
たくさん楽しい思い出を作りました。
いつも愛犬だけの写真ばかりなのに、何故かその時行った軽井沢の旅行で初めてちゃんと家族写真を撮りました。
みんな楽しくて幸せな顔。
あれはもしかしたらあの子からの最後のプレゼントだったのかと今になって思います。

明日も続くと信じて。

その日の朝、今まで嘘のように3ヶ月なかった発作が何度も続きました。
連続勤務で夜勤明けだった私は久しぶりの発作に「何で!」という気持ちとまたあの日々が続くのかって思うとうんざりしてしまいました。
夢のような3ヶ月は本当に夢だったんだって思うぐらい。
でも夜勤に向かう前、発作と薬でグッタリと寝ている愛犬にスプーンで食事を与えました。
しっかりと食べて頑張る愛犬に「偉いね。また明日もスプーンでご飯食べようね。」と話し、これからこんな介護が続いたとしてもこの生きようとする姿を見たら明日も頑張れると思い家を出ました。

明日も続くと信じていました。

その日の夜勤は朝方立ち上がれないゴールデンがやってきて、かかりつけの病院が開くまでお預かりする事になり終わったのは朝の8時過ぎ。
夜勤を終え携帯をみたら朝旦那さんから何度も着信がありました。

グッタリとしていつもと様子が違う。早く帰ってきて!

尋常ではない声に急いで帰るとグッタリと横たわる愛犬がいました。

最後の日

旦那さんの話だと夜に何度も発作起こし発作止めの薬を投薬し、落ち着いていたのでそのまま眠ったそうです。そして朝起きるとそばでぐったりしている愛犬。すぐに私に連絡したとのこと。
私が勤めていた病院は夜間診療のみで病院はもう閉まっていたので、かかりつけの病院にすぐに連絡をとりそのまま入院となりました。
ショック状態で意識もほとんどない愛犬。どうしてこんな状況になったのかは不明。動物看護師をしていてこの状態を見た私は覚悟しました。


でも今まで頑張ってきた子だからきっと大丈夫。


そう自分に言い聞かせ、その時は入院させることしかできず家に戻りました。でも家にいても落ち着かず、夜勤で疲れていたのに眠ることさえできず回復を祈ることしか私に出来ることはありません。
夜までその状態が続き、入院中に一度嘔吐して危ない状態になったそうです。でも頑張り屋さんの愛犬は生きる事を諦めなかった。
私に会うまでは…。
かかりつけの先生からかなり危険な状況にあることの説明を受け、このまま入院していても難しいと言われました。もうこの子を独りにさせたくなくて、勤めていた夜間の病院に頼み一緒に仕事場まで連れていきました。
私の目の前で苦しんでいるのに何もできない私。
すぐにICUに入れ点滴を繋ぎ、それでも状態が変わらず意識のないまま。
でも頑張って生きようとしてくれていました。
でもここは私の仕事場。
夜間救急。
愛犬と同じような症状の子がやってきました。

12歳の雑種。痙攣発作が治らない。
愛犬のことか気になってはいましたが、私は目の前にいる犬の処置にあたりました。
あの時の私は飼い主ではなく動物看護師で、目の前にある命を助ける為に必死でした。
ある程度の処置が終わり運ばれてきた犬の発作も落ち着き、ふと我に返り愛犬を見ました。

愛犬の呼吸はとまっていました。

すぐに先生が気管挿管をして人工呼吸を行いました。私は気管に管を入れるため愛犬の口を大きくあけ挿管したら、次に心電図をつけました。
心臓はかろうじて動いている状態だけど、心臓マッサージをしないと止まってしまう。
先生が全身の力を込めて心臓マッサージをしてくれました。
夜間ではよく見る光景です。
ただ目の前にいるのは大好きで心から愛している愛犬。
私は解っていました。

この状態から助かった子はほとんどいないこと。

先生は一生懸命マッサージを続けてくれている。
心臓を動かす為の注射。
でも変わらない。
20分以上先生は汗だくになりそれでもマッサージを続けてくれました。
どんどん消えていく心電図の波形。
小さな体から命が消えていく。
私は先生に頼みました。

もう心臓マッサージとめて下さい。
もう楽にしてあげてほしい。
これ以上頑張らせたくないから…。

マッサージを止めると心電図の波形は無くなりピーという悲しい音が響きました。
身体につけて電極を外し最後に気管の管を抜きました。
そのとき私は耳元で

「ずっとありがとう。いつまでも大好きだよ。よく頑張ったね…。」

とささやきました。
まだ体は暖かくて聞こえていなくてもそれを伝えたくて。
体をふき愛犬の口とお尻に綿を詰めました。
そしてすぐ仕事中の旦那さんに電話しました。
「ごめん。助けられなかった…。」
すぐに来た旦那さんに愛犬を預け、その日は最後まで夜間の仕事を続けました。
夜勤を終え、旦那さんの横で眠っている愛犬を抱いて声が枯れるぐらい2人で泣きました。
眠っている愛犬はとても綺麗で、やっぱり最後まで我が家のお姫様。美人薄命という言葉がピッタリの8歳8ヶ月という短い生涯でした。

あの時どうして仕事を優先したのか。

私はあの日、愛犬の最後に立ち会えてよかったのかもしれません。
最後の1秒まで一緒にいれたから。
病院で亡くなり立ち会えない飼い主さんも多い中、私は最後までその姿を見ていたから。
ただすごく辛かったです。
死んでいく愛犬の姿を見続けることは、今思い出しても苦しい。今もあの光景が張り付いて忘れることは出来ません。
それに最後に愛犬がみた私の姿は他の犬の処置している姿。
意識はなかったけどきっと
『苦しいよ。助けて。お母さん。』
と言っていたのに私は仕事を優先しました。
仕事へのプライドと使命感から、愛犬の事を後回しにしてしまった。
本当はずっと側でみていてあげたかった。
何も出来なかったとしても最後まで私がついていてあげたかった…。
後悔しない日はないです。何年たっても。

愛犬が亡くなった後、動物看護師を続けるのが辛く少しこの仕事を離れました。
どうしてもあの時の光景が蘇り、動物の死に耐えられなくなったからです。
色んな仕事に挑戦しましたがやっぱりダメでした。
やっぱりこの動物看護師という仕事が好きで、結局今もまだこの仕事を続けています。
今も亡くなったワンちゃんの最後に立ち会うのは辛いです。飼い主さんの気持ちが痛いぐらいわかるから。
それに亡くなった子が愛犬の姿と重なり、飼い主さんの後悔と懺悔の気持ちに押し潰れそうになります。
でもだから私にできることがないかいつも考えます。病気と闘うペットをもつ飼い主さん。ペットを亡くした飼い主さん。その力になれたらと。
まだまだ勉強不足で力になれていることは少ないです。
でも時々
看取ってもらってよかった。
と言われることが私の力になります。
そしてまた新しい命を連れて病院に来てくれる。
それが動物看護師をしていて1番嬉しい事です。

愛犬はあの時のこと今でも怒ってるかもしれません。
でも今の私の姿を、怒っていても恨んでいてもいいから見ていてほしいなって思います。
あの子の最後の時、愛犬の命よりも助かる命を優先したこの仕事を誇れるように。
あの子に恥ずかしくない生き方をする為に。
私の仕事は動物看護師です。

12年前の今日私の愛犬ヒメは亡くなりました。
心から愛し、私に犬を飼うことの素晴らしさ。楽しさ。大変さ。自分の未熟さ。命の重み。全ての事を教えてくれました。
この子以上に素晴らしい犬はいないと思います。
この記事は亡くなったヒメへの気持ちを忘れないために書きました。

長文を最後まで読んでいただきありがとうございました。

この子はいつまでも私のお姫様。自慢の愛犬です。

最後まで読んで頂きありがとうございました! 動物看護師として、これからもペットと飼い主さんの絆が深まる記事を書いていくつもりです。 どうぞ宜しくお願いします