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先生という存在。

私が1番苦手なことは絵を描くこと。
だから絵の上手い人をみると、心から尊敬するし羨ましく思います。
でも絵をかくことが嫌いなわけじゃない。
でも人にみてもらうのが怖い。
子供の頃の経験を思い出し描く事が出来なくなる。

私の子供の頃出会った学校の先生の話。

空想や何か作るのが好きな子供時代

私は子供の頃から何かを作ったり考えたり空想する事が好きな人見知りの内向的な子供でした。

その頃はお絵かきが大好き。
その時思いつくものを何でも書いてそれに色を塗った。
自分で考えた色を重ね、他の子が真似できない配色で奇抜な色の花や服を描いては自分の作品を眺め満足していた。

どちらかというと人見知りで友達もいない私は、家で1人遊びする事が好きな子供でした。
体が大きい割には声も小さく気も小さい。
誰かを誘って遊びたいけど、それを言う勇気もない。

だから1人で遊ぶ事が好き。
その小さな世界が私の全てだった気がする。

小学校入学で感じたズレ

そんな私も小学生になった。

1年生は大きな新品のランドセルを小さな体で背負っている姿が健気でかわいいが、でも私の場合他の子よりも背が高く、1年生なのにランドセルがしっくりきていたと母はよく笑っていた。
そのせいか他の子よりも悪いことをすると目立ち、よく昔から私だけ注意されたり怒られる事がよくあった。

はじめての学校。初めて出会う先生。初めて会う友達。全てがキラキラしてワクワクが止まらなかった。
机に向かって勉強する事が少し大人に近づいたようなくすぐったい感覚を持ちながら。

でも学校に慣れた頃、学校が怖くなり授業を受けることが怖くて仕方なかった。

担任だった女の先生がすごく怖かった。

何をやらせても不器用で気の小さい私は、先生からしたら自分の授業の邪魔をする疎ましい存在だった。

例えば

国語の本読み。
順番が回ってくると顔が真っ赤になり声も小さくうまく読むことが出来ない。

はい!もっと元気に読まないとみんなに聞こえないよ。ちゃんと本読みの宿題したの?なんで読めないの?

みんなの前で怒られた。
家であんなに練習したのに。
ますます小さくなる声。
怒った先生は途中で辞めさせ別の子に続きを読ませた。

算数

時計の模型を使って時間の勉強。私達には勉強用の小さな時計のおもちゃが配られた。

今から3時間後は何時ですか?模型を使って答えて下さい。

みんな模型を使って3時間後の針を動かす。
私は分針を回すと時針が動く動きが面白くて、その動きはどうしたら出来るのだろうと時計を回しながら中を覗いたり回す音を聞いたりしていた。

はい!何遊んでるの?今授業中でしょ!
それはおもちゃじゃない。真剣に考えなさい。

体育

みんなで前まわりしてみましょう!

家で練習した時に失敗。怖くてなかなか出来ない。

はい!早くしなさい。次の人ができないでしょ!
大きいのに何を怖がっているの?

そして1番私の中に残っている思い出。

近くの神社で絵を描く課外授業。
何を描いてもいい。
絵を描くことが好きだった私は優しそうなお地蔵様を描いた。
子供ながらうまく描けていたと思う。

でも1つ気になることが…。
秋の終わり少し肌寒い頃。
わたしにはお地蔵様が寒そうに見えた。

私は描いた絵に暖かそうな帽子と髪の毛を描いた。

もうこれで寒くないでしょ。と。

それが先生には許せなかった。

絵を提出する時にみんなの前で

何を描いてるの!真面目にやりなさい。
ちゃんとみたの?帽子も髪の毛もないでしょ!
これじゃダメ。
帽子も髪の毛も全部消してから提出しなさい。

そしてみんなの前で頭を叩かれた。

それから絵を描くことが怖くて仕方なかった。
自由に描いたら怒られた記憶。
あの時こう思ったからと言えたら違ったかもしれないけど、小さな私はそんな事言えなかった。

怖くなった学校

それから私は学校には行くけど授業に出るのが怖くなってしまった。
ちゃんと学校には行くけど、教室についてすぐに保健室に行き頭が痛いとかお腹が痛いと理由をつけほとんど授業に出れなくなっていた。
そんな私を見捨てたのか先生は保健室に迎えにきた記憶がない。見捨てられたと子供心に感じていた。
代わりに心配した保健室の先生が4つ上の姉を呼んでくれて姉が迎えに来てくれることもあった。

私の記憶ではどれぐらいの期間保健室にいたのかはわからない。

けど1・2年生の時の記憶はそれぐらいしかなくて、学年が3年生になってからの記憶に変わる。

もしかしたら1度ぐらいは褒められていたかもしれないが、私はこの先生が怒った顔はハッキリ覚えているのに私に笑いかけている顔は全く思い出せない。

母親にその頃の事を聞くとその当時の先生に保護者面談で強く非難されたらしい。

保健室に嘘をついて授業に出ない。
宿題もやってこないし、忘れ物も多く落ち着きがない。家でもっと勉強するようにちゃんと教育して下さい。

両親共働きで子供の面倒をちゃんとみてあげられないと思っていた母は私にあの頃は申し訳ないと今でも話す。

学校が怖い。先生が怖い。授業が怖い。そんな記憶しかその頃の私には残っていない。

優しい先生との出会いと飼育係

3年生になり担任の先生が変わった。
新しい先生はとても明るくて優しくてお母さんみたいな先生だった。
クラスでいじめがあったとしたら全力で解決しようとしてくれたし、ホームルームで泣きながら自分の話をしてくれた。自分の子供を事故で亡くした経験を。

命が大事に。みんな同じじゃなくていい。

いつもそう話してくれた。
私が書いた話をすごく褒めてくれてホームルームの時にみんなの前で読ませてくれた。
緊張してうまく読めなかったけど、

すごくよかったよ。ありがとう。みんなの前で勇気も出して読んでくれて。みんなで拍手!

そう言ってくれた。嬉しかった。
うまく出来なくてもいいところを伸ばしてくれた。

引っ込み思案で人見知りな私もその時初めて友達が出来た。
きっかけは飼育係。同じ飼育係の子といつも3人で遊ぶようになった。

学校で飼っていた鯉や金魚のお世話。
鶏や小鳥のお世話。

もともと動物が好きな私を飼育係に選んでくれた。
本当に楽しかった。
暑い夏休みも飼育係は当番で学校に行ってお世話した。暑い中ありがとうと先生はジュースを用意してくれた。
小鳥が死んだ時、校庭の裏にお墓を作って埋めてあげた。
先生はその時こういってくれた。

しっかりお世話してもらって小鳥さんも幸せだったよ。
天国でありがとうっていってくれてる。

嬉しかった。認められた気がして。それから私の動物好きは止まらなくなり今に続いていると思う。

もしあの時あの先生に出会ってなかったらどうなってたんだろう。動物看護師になんてなってなかったんだろうな。

大人になって先生と再会

私は大人になり動物看護師として地元の動物病院で働きはじめた。
仕事に慣れた頃、あの優しかった先生が犬を連れて診察に訪れた。
すぐに私に気がついてくれて話してくれた。
もう先生は辞めたらしく、今は家の事をしていると話してくれた。

あの頃から動物好きだったからこの仕事は天職ね!
頑張ってね。

やっぱり先生はあの頃の先生のまま。
優しい笑顔に優しい言葉。
先生のところの犬も大人しくとても人懐っこくいい子だった。
先生は私が退職するまで病院に来て診察を受け、会うとあの当時の話をよく話してくれた。

嬉しい再会もあれば望まない再会もあった。

あの怖かった先生が犬を連れてやってきた。
受付でけたたましく吠え、それに対して注意もせず抱っこしたまま待合室で座っていた。

私は名前をみてすぐにわかった。

診察室に案内し、犬の保定しようと思うとすぐに威嚇して吠え噛みつこうとした。

この子噛むから私もどうすることもできないのよ。

自分の犬なのに犬をコントロール出来ず、ワガママに育てた結果犬は飼い主を見下し触ることも出来なくなっていた。

皮膚のただれで診察にきていたので、無理に触らず薬で様子をみてもらうことになり診察は終わった。

最後まで私が生徒だったことに気がつかないまま。

私の苗字は地元では珍しく同じ町内に同じ苗字はない。顔は覚えてなくても、名札みたら覚えていれば気がついたはず。
でも全く気がつかず薬を出して診察は終わった。
次1週間後再診に来て下さいと伝えたが来なかった。
そんな人だった。

先生という存在

先生という職業は本当に素晴らしいし大変な仕事だと思う。だからこの職業を選んだ人を尊敬します。

でも私の記憶はこの歳になると曖昧になるけど、嫌だった記憶は今でも鮮明に蘇る。

きっとあの頃の怖い女の先生はそんな記憶なんてなく、教師として当たり前のことをしただけ。
何も間違っていない。他の子に迷惑なる。
そんな想いだったのかもしれない。

でもされた方はいつまでもこの歳になっても時々思い出す。自由に絵を描いたら怒られて叩かれた記憶。
だから今でも絵を描く事、それを見せることが怖い。否定されるかもと思うと余計に。

でも大人になって会った怖い先生は、飼い犬にしつけも出来ずみんなの迷惑も考えず吠えさせたままにする正直迷惑な飼い主さんだった。
私は自由に絵を描くことが出来なくなり、そんな思いさせていたことに気がつく事もなく、私のことさえ忘れていた。

私はこんなにハッキリ覚えているのに。

でも私は次に優しい先生に出会い私の運命は変わった。この先生に会うために怖い先生がいたんだと思えば自然と気持ちも落ち着いてくる。

あの時学校が怖かった。先生が怖かった。授業や勉強が怖かった。

私がこんな気持ちでいたことなんて怖い先生は知らないし、まして私のことなんて覚えてもいなかった。

そんな人の為にいつまでも悩むのがバカらしくなる。

いじめもそう。される側とする側。
された側は覚えてるけどされた側は覚えていない。
したことさえも忘れ、その人のことさえも記憶の中から消えいつもの生活を送る。

子供のいじめで心を病んだり命を絶つ子供が後を絶たない。

私の経験は少し違うのかもしれないけど、私は怖くて保健室に逃げそしてその時を静かに待ち、新しい先生に出会い救われた。

子供の頃の私に伝えたい。

大人になって会った怖い先生は、同じ大人として尊敬できる人間ではなくこんな人だったんだよ。
気にしないで。思う通りに絵を描いていいんだよ。

子供は出会う大人によって心に傷を負ったり勇気や希望を持ったりする。

その行動1つでその子の人生が決まることもある。

私はもうそちら側の人間。

あの優しい先生のように導くような事は出来ないけど、動物病院に来る子供達に動物の素晴らしさや命について教えてあげたいと思う。

それに動物も同じ。
一度人に怖いおもいをさせられたら忘れない。

どうしても動物病院は動物にとって怖いところ。
人間が怖い。病院が怖い。
そうならないよう私は犬を保定する時安心するよう優しく声かけをするようにしている。

頑張ってね。よく出来たね。えらかったね。

伝わっているかわからないけど、治療の痛みが少しでも和らいて安心できるよう話しかけるようにしている。

あの看護師さんがもつと大人しい。優しく声かけてくれるから。

そう言ってもらえる事が凄く励みになるし嬉しい。

私はまだ絵を自由に描く事が怖いけど、自分を表現出来る仕事に出会えた。それが今の自分の誇り。

誰でもいつか必ずそんな人に出会えると私は思う。

いつか必ず私みたいに導いたくれる大人がいるはず。

そんな大人に私はなりたい。先生みたいに。

私の長い昔話にお付き合い頂きありがとうございました。




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最後まで読んで頂きありがとうございました! 動物看護師として、これからもペットと飼い主さんの絆が深まる記事を書いていくつもりです。 どうぞ宜しくお願いします