③12月上旬。母が余命宣告を受けました。 同時に再度休職させていただくことになりました。
耳鼻科でいただいたお薬を服用しながら、頭が痛ければ頭痛薬を飲み、動悸がすれば求心を飲み、自分に「落ち着け~」と言い聞かせながら、なんとかやっていましたが、そんななか、
11月下旬に受けた母の定期健診の結果を聞きくため、12月初旬に診察へ母と行きました。
そこで、母のがん治療は最後の段階に来たと言われました。
主治医は血液検査とCTの結果を見ながら、
「ん~。。。かなり良くないね。。。ん~。。。」とトーンを落とした小さめの声。
詳しく状況を話してくれながら、結論的には、
少し無理をして抗がん剤治療をやるか、自然に任せるか…。
今日急に判断するのは難しいと思うので、1週間、家族で考えてもらって、1週間後にもう一度きてください。と言われました。
正直、頭真っ白。になりながらも「あぁついにこの時がきたのか…」と実感していたのも事実でした。
じつは夏頃、母は重粒子線治療というものを受けさせてもらいました。
治療自体は効果があって、本人の体への負担も少なく、本当に良かったねと話していたのですが、
その頃から、母の体力はみるみる落ちていっていました。
重粒子線治療にそのような副作用はないと言われていたのですが、
発熱やだるさ、食欲減退など、母の体の中では何かが起きている様子でした。
幸いなことに、頭はしっかりしていたので、よく話すし、前向きで気持ちは元気でした。
でも、
少しづつ歩くことがしんどくなり、階段を上がることがしんどくなり、足をあげて車に乗り込むことも困難になっていました。
なので、主治医に最後の宣告を受けてるときは、ショックながら、冷静な部分もありました。
ただ、今後、抗がん剤治療をうけるのか、自然に任せるのかを、医師ではなく自分たちで判断しなくてはいけない。ということの重圧で押しつぶされそうになりました。
治療をしないということは、悪くなるのを見守っていき、死にむかっていくということ。
そのことを受け入れていく。ということ。
また、治療をするということは、つらい副作用に耐えなければいけないということ。
その頃すでに食欲も減って、体力を落ちていたのに、さらにしんどい状況に向かっていくであろうということ。
それをがんばったところで、どれだけ母の寿命が延びるのだろう。
どちらを選択することが母にとって、良いことなのだろう。
母自身は、主治医と、娘である私に任せる。という意思でした。
ですが、このことだけは、母の命の選択のことだから、母の意思が一番必要だよ。と話し、一緒に考えていくことにしました。
1週間…。
本当にキツい1週間でした。
たくさん泣きました。
主人ともたくさん話し合い、調べて、一緒に泣きながら考えました。
この頃のわたしは、
もう、つらい思いをしてほしくない。と思っていました。
もちろんいつまでもそばにいてほしい。ですが、母は長年、
入院するたびにつらい治療を耐えてきたし、
入院中は、コロナ禍ということもあって面会はできないし、
偏食の母は、病院の食事がほとんど食べられず、院内にあるコンビニに行くことだけが楽しみだったけど、コロナのせいでコンビニに行くことさえ許されないルールがあったので、つらい入院生活になるとわかっていました。
今までは、それでも回復が見込まれるから頑張れたと思うのですが、
今回はそこが何とも言えない状況でしたので、
無理をして頑張ることが母にとっていいことなのか、
正直疑問でした。
こんな大変な状況のなか、
信じられないことを父がやってくれました…
サポートありがとうございます😭😭😭