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西村賢太に憧れて

 2022年2月5日、土曜日の午後に、西村賢太の訃報をネットで見た。

 それから翌日日曜日の夜まで、呆然と過ごした。

 その間、私は、苦しく悔しく、嫌な思いを抱えていた時期に、西村賢太の私小説や随筆に何度も励まされてきたことを思い出した。

 そしてその「苦しく悔しく、嫌な思い」を、西村賢太の作法に倣って、自分で私小説として書いてみたい、書けるようになりたい、と思いつづけてきたことについて考えていた。
 
悲しくてならなかった。

 私は西村賢太の作品が好きだ。
 芥川賞受賞時の「風俗発言」に度肝を抜かれ『苦役列車』を読み、そこから『小銭をかぞえる』『どうで死ぬ身の一踊り』『暗渠の宿』……と、自室に本が増えていった。「したてに居丈高」の連載が始まったときには、毎週アサ芸を読んだ。

 私には難しいことはわからない。文学もわからない。本は読むが、ただ、気に入った、ごく少数の限られた作品を何度も何度も読み返しているだけのことである。とくに現代の純文学は苦手で、だから、いわゆる読書家や文学愛好者の方々の話もほとんど理解できないし、ついていけない。

 そんな私にとって、西村賢太作品の最初の印象は「純文学なのにおもしろい、すごい小説」だった。

 起承転結がはっきりしていたし、登場人物──主人公の「北町貫多」や、そのかつての同棲相手「秋恵」、貫多と長い付き合いの古書店主「新川」、貫多が毎月訪れる寺の人々など、みな、もれなくキャラが立ちまくっている。また、難読漢字や古めかしい言葉遣いが用いられ、そのため一見とっつきにくそうなのに、読んでみるとじつにテンポがよく、かつユーモラスな文体にはたちまち病みつきになった。文体の独自性の高さに魅了されたのは、町田康を初めて読んだとき以来のことだった。

 ところが私はけっこう長いこと、偏った読み方で西村賢太の私小説に接していた。

 数々の作品を、もっぱら貫多の暴力や暴言を待ち構えながら読み始めては、該当する場面にたどり着くたび大喜びする。「根が○○にできてる」「コネクレージー」「冷凍のイカやタコの固まりを抱っこする作業」「芋ブス」「ライトブス」等々のフレーズにバカみたいに笑う。そんなことをただ繰り返していたのだった。私小説とあわせて、対談や随筆も読んでいたはずなのに。

 その「ひたすら大喜び」な読み方がはっきり変化したのは「芝公園六角堂跡」を読んだときだ。

 北町貫多が、ミュージシャン「J・Iさん」のライブへ赴くところから始まるこの短編は、暴力も暴言もなく、ユーモアはありつつも、私小説への思い、師・藤澤清造への思いが、抑えた筆致ながら情熱的に綴られたものだった。

 西村賢太はこの作品についてこのように述べている。


「暴力と罵詈雑言のシーンばかりを無意味に喜ぶ、くだらない“自称”読者にはうんざりしています」

(中略)

「あえて夜郎自大に言いますが、これが合わず、何も汲むところがなければ、もう僕の作は読まなくていい。縁なき衆生です」

(文春図書館 著者は語る 『芝公園六角堂跡』西村賢太)

(西村賢太『芝公園六角堂跡 狂える藤澤清造の残影』文春文庫170頁より)

 これには軽い自己嫌悪に陥ったし、おおいに反省した。ただ、ここでこのような感情がわいてきたのは、西村賢太の言葉に触れたからだけではなくて、年齢を重ね自分の内面が変化してきたこともあるし、最初に書いた「苦しく悔しく、嫌な思い」について考える回数が増え、それを私小説にしようと何度か試みたがうまくいかず、よけいに落ち込んでいたことも理由として大きかったと思う。

 そう、私は私小説を舐めていた。自分でもたやすく書けるのではないか。と思っていたのだった。
 なぜ気づかずにいたのか不思議だが、西村賢太の本には「私小説は簡単なものではない」と書かれている箇所がいくつもある。

「僕の場合、同人雑誌上がりということもあって、いろんな同人誌が送られてきます。それを見るとね、プロになっていない文芸愛好家の方々が、やたらと詩か私小説、いずれかを書くわけです。簡単だと思っているんですよ。その両方ともが。でもね、酷いんです。思いつきをただ並べただけのような。」
(朝吹真理子×西村賢太『西村賢太対話集』155頁より)
 思い上がりを承知で云うが、私小説とは読むのも、そして書くのも数ある小説ジャンルの中できわめて容易ながら、しかしそれでいて、これは読むのも書くのも或る種の特異な資質を要するものなのだ。
(西村賢太『下手に居丈高』徳間文庫204頁より)
 云うまでもなく、私小説とはノンフィクションと同義語ではない。
 私小説と云えど、確と“小説”なる語が付くとおり、これはあくまでも小説フィクションである。当然、小説中の事実が、すべて現実の経験とイコールするものでもない。
(中略)
 書かなかった部分にこそ、本来、作者が語りたかった痛みの部分もかなりある。
(西村賢太『随筆集 一私小説書きの独語』角川文庫12〜13頁より)

 私小説とは、ただ主観でもって書けばいいのだと思っていた。主観的なことがらを思いつくままに並べ、すべてが自分にやさしく、自分のなぐさめになるように仕上がればいいのだと思っていた。私小説は「小説」なのに、都合のいいところで「ノンフィクション」の理屈を持ち込み、一貫性のないグラグラした書き方をしていた。「誰かが読むためのものを書く」という発想が欠けていた。そんなありさまだったから、私小説を書いた、書きあがった、と思っても、それは小説でもなければノンフィクションでもない、我が身かわいさのみが全面に出た痛々しい変な文章にしかなっていなかった。書き直しを試みてもやはり変な文章のままだったし、痛々しさも抜けないままだった。当然である。つまり私小説を読むときも書くときも、私はそこで要求される「資質」について、理解しようとしていなかった。まったく念頭に置いていなかったのだ。それで、西村賢太のような私小説が書けるわけがない。
 事実(現実での体験)と虚構を混ぜ合わせ、他人の鑑賞に堪えうる「小説」に仕上げる。さまざまな制約や困難がともなうこの作業を続け、自らを「私小説書き」と称してきた西村賢太の誇りと藤澤清造への敬意をいま思うと、畏怖に近いものが心のなかにジワリとわいてくるのを感じる。

 私はまだ、自分の私小説を書けていない。

 最後に。
 
これまで、家族や友人など、身近な人の死に接することが何度かあった。そのダメージがいくらか薄れるころ、「あの世」はあってほしい。といつも思ってきた。「この世」とはまた異なる豊かな時間が、故人のためにあってほしい。と思ってきた。
 直接の関わりがなかった人に対してそう思うことは、おそらく、今回が最初で最後だろうという気がする。
 
 私は西村賢太の作品が好きだ。
 そして、西村賢太の作法に倣って、自分も私小説を書いてみたい、書けるようになりたい、と思いつづけている。


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