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釜石でのワーケーションを体験したオカムラ社員が伝えたい、“働くってこと”

皆さん、こんにちは!
オカムラ歴7年目の 岸 杏奈(きし あんな)と申します。普段はオカムラのオフィス環境事業部門で、製品の販促企画やWEBプロモーションに関する仕事をしています。

オカムラ社員(7年目)の岸杏奈です!

この度、釜石でワーケーションを体験する機会がありましたので、この『部室note』をお借りして体験レポートをお届けしたいと思います!

濃密な3日間を文章にしたのでかなりのボリュームになってしまいましたが、写真もたくさんお見せしながら書いていきますので、お時間あるときにゆっくりお読みいただけたら嬉しいです。

旅立ちの前に

「働く」の価値観

「・・・ん? ちょっとまって、ワーケーションってなに?」

と思われた方のために、少しだけ「ワーケーションとは?」を解説しますね。

■ ワーケーションとは
「ワーク(労働)」と「バケーション(休暇)」を組み合わせた造語です。
オフィスや自宅ではなく、テレワークをうまく活用して観光地やリゾート地などで働きながら休暇もとっちゃおう、という考え方で、ニューノーマルな働き方としても注目を浴びています。
バケーション中心の「休暇型」や、研修や地域創生を目的とした「業務型」など、定義や種類もさまざま。まだ本格的な制度化に至っていない企業も多く、各自治体や企業がその可能性を模索しています。

正直、「やっとテレワークが普及してきたくらいなのに、いきなりワーケーションはハードル高すぎ!」という方がまだまだ多いと思います。実際に私もワーケーションに参加するまでは、言葉は知っていても実際にはどんな感じなのか、想像がつきませんでした。

でも、実際に行ってみるとぼんやりとしていたものがかなり鮮明になりました。それだけじゃなく、「働く」ことに関する価値観もだいぶ変わったと思います。

これ、大事なことなので2回言います。
「働く」ことに関する価値観、だいぶ変わりました。

なにがどう変わったかは最後にお話しするとして・・・。まずは、実際にワーケーションに行く前に私が抱いていたイメージをまとめておきます。

【ワーケーションに参加するまでの私のイメージ】

  • 日中はホテルや施設でワークして、定時を過ぎたら街に繰り出してバケーション?

  • 比率は、ワーク:バケーション=7:3くらいかなぁ

  • やっぱり観光地やリゾート地に行きたい!

  • でも結局仕事しちゃうかも・・・

  • だったらわざわざ平日にバケーションする必要もないのでは・・・?

これはあくまで私のイメージです。
人によって、元々ワーケーションに抱いている印象は異なると思います。

私は「楽しそうだけど、実際のところは難しいんじゃないか」という意見でした。そして、ワークとバケーションは水と油のような、ある程度相反するものだと認識していました。

さて、このようなイメージが3日間のワーケーションを終えたとき、どのように変わったのか、どうぞ最後まで楽しんで読んでいただければと思います。

釜石市ってどんな街?

まずは今回の舞台、釜石市についてご紹介しましょう。

釜石市は岩手県南東部に位置する、「鉄と魚とラグビーの街」です。近代製鉄業発祥の地で、最盛期は9万人を超える人口でした。岩手県の中では比較的温暖な気候で、リアス式海岸で有名な三陸漁場で獲れる新鮮な海産物が有名です。

また、地元出身の叩き上げの選手を中心とした新日鐵釜石ラグビー部による日本選手権7連覇(1978-1984)の偉業から、2019年のラグビーワールドカップでは東北唯一の開催都市に指定され、日本全土を熱狂させました。

ちなみに、オカムラもこの地に(株)エヌエスオカムラという生産拠点を構えていて、おもに中軽量ラック(物品棚)やさまざまな製品の部材を生産しています。

なぜ、釜石でのワーケーションなの?

実はオカムラ、釜石市・株式会社かまいしDMC・日鉄興和不動産株式会社との4社共同プロジェクトで、釜石にワーケーション施設をつくっちゃいました!(わ~パチパチ)

その名も、、、「Nemaru Port(ねまるポート)」

「ねまる」とは、釜石地方の方言で『ゆっくりしていく、家に寄っていく』という意味があります。現地の人は「ねまってけ」=「ちょっとお茶でも飲んでいって」というように使うそうですよ。

オカムラは、施設デザインとオフィス家具の設計を担当。日鉄興和不動産のオフィス開発におけるノウハウを生かし、最新のオフィスとしての環境整備を行い、かまいしDMCの管理によって運営されています。

参考:岩手県釜石市における新たなワーケーション施設「Nemaru Port(ねまるポート)」10月28日開業~オカムラの包括連携協定参画による新たなワーケーションスタイルを提案~

今回のワーケーションプログラムの目的

今後「Nemaru Port」をどのように活用していくか、社内外においてワーケーションの可能性をどのように提案していくかを検討するために、まずは自分たちで実際に体験してみよう!ということで、事務局メンバーを中心にワーケーションを行うことにしました。

参加メンバーの所属部署や目的もさまざま。自治体に対し地方創生推進をサポートする部門や、未来の働き方を考えるコンサルティングチーム、SDGsや環境対策に取り組むサステナビリティ推進部門や、ワーケーションの人事制度化を検討する人事部門、顧客提案への可能性を検討する営業部門、そして現地エヌエスオカムラからも中堅社員が参加しました。

これだけでも、ワーケーションにはいろんな活用方法や目的意識があることが分かりますよね。

メインのプログラムは3日間。「Nemaru Port」を基地に、エヌエスオカムラやかまいしDMCさんの全力協力のもと、濃密なプログラムを体験してきました!


1日目:移動 ~ Nemaru Port へ

東京から釜石へ

初日は東京→釜石へ各自で移動です。まずは新幹線で新花巻まで約2時間30分、ここで釜石線へ乗り継ぎ、さらに約1時間30分ほどかけて釜石へ向かいます。

新花巻駅、到着!

さ、、、さむい!!

東京よりも5℃くらいは気温が低いようで、新幹線から降り立った瞬間にヒヤッとして目が覚めました。

JR新花巻駅の駅舎を出て、トンネルのような地下道をくぐると・・・
釜石線・新花巻駅のホーム

ローカル線!単線!いいですね~!都会ではなかなか見られない風景です。

釜石線・車内の様子

車内もレトロで素敵です。

お昼は新花巻駅で調達したお弁当をいただきました。米沢名物牛丼弁当『牛肉どまん中』!甘辛く味付けされた牛肉と牛そぼろがぎっしり詰まっていて、お腹いっぱいになりました。

米沢名物 牛丼弁当『牛肉どまん中』!

窓の外には田園風景が続いています。

釜石線からの眺め

新幹線ではPCを開いて仕事をしていた私も、のどかな風景を見ながら電車に揺られていると、作業をする気持ちにはならず、脳内が自然と集中思考モードに移行していきます。

日頃は忙しくてついつい後回しにしていた新しい企画のこと、改善すべき課題の解決策、たくさんのアイデアが浮かんできて、そのひとつひとつがつながっていきます。

1時間も経つ頃には考えがすっきり整理されていて、頭の中で1つの企画書が出来上がっていました。

「東京に帰ったら早くこの企画を実行に移したい!」

そう思った一方で、今のこの時間は果たして「ワーク」だったのか「バケーション」だったのか、よくわからなくなりました。

オフィスにいると、分刻みのスケジュールをこなしたり、他の社員から話しかけられたりと、なかなか一人でじっくり考える時間は取れません。それも大事な「ワーク」ですが、こんな風に、普段見ない風景や接しない人と関わることでインプットされる気づきが必ずあります。

これも、もちろん「ワーク」です。

「働くことって、オフィスでPCとにらめっこすることだけじゃないんだな」

まだまだワーケーションは始まったばかりですが、こんなに序盤から思わぬ発見がありました。

そうこうしている間に、着きました!釜石駅です!

JR釜石駅

駅を降りるとすぐ目の前には日本製鉄(株)の釜石製鉄所があります。エヌエスオカムラの工場も同じ敷地内にありますが、それは明日のお楽しみ。

日本製鉄(株)の釜石製鉄所

まずは「Nemaru Port」へと歩いて向かいます。

「Nemaru Port」へ到着!

到着しました「Nemaru Port」!

「Nemaru Port」外観

釜石駅から徒歩15分ほどの場所にあります。外観は少しレトロな一軒家。お団子屋さんの店舗だった建物をリノベーションしています。

「Nemaru Port」ロゴ

2011年の東日本大震災では多くの住宅や店舗が津波の被害を受けましたが、もともと店主の高齢化や後継者不足に陥っていた店舗も多く、震災を機にそのまま廃業してしまったお店も多いそうです。こちらは震災後に場所を変えて再建した、貴重な建物です。

「Nemaru Port」内のワークスペース-1

室内では早速ワーケーション参加メンバーが個人ワークをしていました!

テラスを見ながら働けるソファ席や、少し籠り感のあるワークブース席、複数でミーティングも可能なセッションスペースなど、限られた空間ながら業務に合わせて場所を選択することができます。

木や石など、自然由来の内装材もたくさん使用されているので、いつものオフィスよりリラックスできる気がしますね!

「Nemaru Port」内のワークスペース-2
「Nemaru Port」内のワークスペース-3

フルクローズ型のワークブース『TELECUBE by OKAMURA』もあります。私も到着早々WEB会議の予定が入っていたので、こちらのテレキューブを使用しました。

フルクローズワークブース『テレキューブ by オカムラ』

コーヒーや紅茶は無料で飲み放題!アプリをインストールして購入する無人コンビニでお菓子や軽食も購入できます。

近所にこんな施設があったら居座ってしまいそう・・・

飲み物は無料です!
無人コンビニも設置されています

ガラス窓には周辺の施設や飲食店情報が書かれた地図のイラストが描かれていました。美味しそうなお店や楽しそうな施設がいっぱいで、これから始まる旅が一層楽しみになりました。

窓には周辺地図のイラストが

数時間の個人ワークのあと、今回のプログラムのオリエンテーションで1日目は終了。

翌日から充実のコンテンツがたくさん予定されていますが、ここまででも普段の日常と比べて非常に刺激的な一日になりました!

明日からどうなっちゃうんだろう!? 期待で胸がいっぱいです!!!

参加メンバーの皆さん、真剣に個人作業中

2日目:NSO研修・震災の記憶研修

Nemaru Port から始まる朝

今日はプログラムがもりだくさんなので、個人ワークは朝の1時間で集中して一気に片づけます!

(ところで、私はふだん販促やプロモーションの仕事をしているので、ここでは少しだけ「Nemaru Port」で使われているオカムラ商品の宣伝を兼ねたレポートにさせてください!)

「Nemaru Port」外のテラス席

昨日はあいにくのお天気で使えませんでしたが、今日は天気が良いので外のテラス席を使ってみました。少し寒いですが、おかげで頭がしゃきっとして目が覚めます。

電源がなくてもポータブルバッテリー『OC』で仕事ができます

野外なので建物からの電源供給はできません。こういうときには、オカムラのポータブルバッテリー『OC』が活躍してくれます。

『OC』はフル充電でノートパソコン約3.5回分の給電が可能。野外や古民家のような、電源供給や配線に制限がある場所でも、1日の仕事に必要な電力を十分に確保できます。

「Work x D」アプリでドアの施開錠ができます

さらに、この施設はオカムラのクラウドソリューションサービス『Work x D』で管理されているので、出入口はアプリを使ってラクラク施開錠できます。設定しだいで開錠権の委譲もできるので、利用者間でわざわざ鍵の受け渡しをする必要もありません。

利用者は一つのID、ひとつのアプリで、入室管理や会議室や座席の予約、ロッカーの施開錠などを一括で行えます。同じスマートフォンで普段出社するオフィスでも、サテライトオフィスやワーケーション施設などの他拠点も利用可能です。

ほんとに便利な世の中ですよね~
(以上、宣伝タイムでした!笑)

さて、朝の個人ワークも終了し、いよいよ今日のプログラムがスタート。
まずはエヌエスオカムラへ向かいます。

エヌエスオカムラ 復興の歩み

株式会社エヌエスオカムラ(以下NSO)は、1991年に日本製鉄株式会社と株式会社関西オカムラの共同出資により設立されました。国内事業所の中でも首都圏からは遠方にある事業所なので、オカムラ社員でもなかなか訪れる機会が少ない事業所のひとつです。

主に中軽量ラックやデスク部材を生産していますが、一昨年開催されたラグビーワールドカップで会場の一つとなった「釜石鵜住居復興スタジアム」のスタジアムベンチも、現地の木材とスチール脚を用いてエヌエスオカムラで生産されたものです。

設立以来この釜石で事業を行っていますが、東日本大震災の大津波で以前の建物は一階部分がほぼ全壊し、1年後に日本製鉄の倉庫だった建物を借りて再建しました。会議室には当時の被害記録や再建への歩みが分かる写真がたくさん飾られています。

震災直後のNSO旧社屋
震災当時とその後のようすを記録した写真

私たちは、実際に震災を体験したNSO製造部長から、当時の写真とともに震災後のNSOの歩みをお話いただきました。

震災後なんとか工場の再建ができた理由の一つは、生産現場の財産ともいえる金型の多くが流されずに残っていたからです。半年ほどかけて瓦礫の中から金型を搬出し、さらに時間と費用をかけ錆を取りました。

それでも長年少しずつ微調整を重ねていた部分はすべてリセットされ、震災前の経験値は瓦礫とともに流されてしまいました。

従業員は全員無事だったものの、すぐにNSOでの雇用を復活させることはできず、つくばや追浜、富士などのオカムラの各事業所へ出向してもらいました。新しい職場になじめない人や、「もう海を見たくない」とそのまま出向先に残る人もいて、当時の従業員たちは複雑な想いをかかえていただろうと思います。

そんな従業員の想いを背負いながら、2012年5月22日(東京スカイツリー開業と同じ日でした)、NSOは操業再開を果たすことができました。

NSO操業再開時の記念式典

省エネ活動への取り組み

NSOのもう一つ特徴的な取り組みは、CO2排出量削減のための省エネ活動です。ちょうど訪問の数日前に岩手県からCO2排出量削減の取り組みに対する表彰を受けたとのことで、賞状を見せていただきました。

令和3年度 岩手県環境保全活動知事表彰 受賞

NSOでは改善努力により年間CO2排出量を約334トン削減に成功。光熱費約5,000万円分もの削減を実現しています。実はこの省エネへの取り組みも被災経験と深いつながりがありました。

震災が起きたのは、ちょうど旧社屋債務にめどが立った頃でした。なんとか再建は果たしたものの、設備新設などで再び多額の債務を負ってのスタート。再建直後は従業員の入れ替わりもあり、すぐに順調な成果が出せる状況ではありませんでした。そこで、生産にかかるコストを少しでも削減しようと着目したのが、塗装ライン工程です。

NSOが取り組んだ塗装ライン工程の変革

当時の塗装工程は、前処理工程、水切り乾燥工程、焼き付け乾燥工程と加熱を繰り返す必要があったため、実は工場内の熱エネルギーのほとんどを塗装ラインで使用していました。

NSOでは塗装ラインの改良を重ね、エネルギー消費だけでなく、材料費や産業廃棄物の削減も実現。この改革により「平成28年度 省エネ大賞」の省エネ事例部門 経済産業大臣賞を、環境省による「循環型社会形成推進功労者等環境大臣表彰」において平成28年度の環境大臣賞を受賞しています。

現在、地球環境保全に注目が集まり、各方面でCO2排出量の削減に取り組んでいますが、NSOがここまで早く省エネ活動に力を入れていた背景には、震災後、なんとか工場を軌道に乗せようとしたNSOメンバーの物語があったのです。

釜石から鵜住居へ

2日目の午後は鵜住居へ移動して、かまいしDMCさんの研修プログラムを受けに行きました。

三陸鉄道リアス線

全国の鉄分多めの皆さま、お待たせしました!
鵜住居への移動はまたも趣のあるローカル線、三陸鉄道リアス線です!

しばし、エモい写真たちをお楽しみください。笑

ホームへの通路
車内の様子-1
車内の様子-2

釜石からは2駅で鵜住居に到着します。

三陸鉄道・鵜住居駅

こちらは2019年開催されたラグビーワールドカップで会場となった「釜石鵜住居復興スタジアム」がある場所です。納入されたスタジアムベンチは、現地の木材とスチール脚を用いてNSOで生産されたものです。駅の待合室には釜石鵜住居復興スタジアムと同じベンチがありました!なんだか嬉しいですね。

鵜住居駅のベンチはスタジアムと同じもの!
釜石鵜住居復興スタジアム

震災の記憶研修~自律型人材の育成~

鵜住居地区は街の主要部分ほとんどが水没してしまった、津波被害の大きな地区です。しかし、沿岸部近くにあった釜石東中学校の生徒たちは、震災発生後ただちに高台へ避難し、隣接する小学校の生徒も誘導して自発的に行動した結果、市内の小中学生の99.8%が生還しました。この出来事は「釜石の奇跡」と呼ばれています。

一方で、「釜石の悲劇」と呼ばれる悲しい出来事もありました。鵜住居地区防災センターは指定避難場所ではなかったものの、当時防災訓練が行われていたことや、その名称によるイメージから、地域住人200人余りが避難し、そのうち160人余りが津波で命を落としました。

かまいしDMCでは、この二つの出来事を単なる“美談”や“悲劇”で終わらせないためにも、研修という形で「釜石での出来事」を伝承しています。まずは、当時の状況を理解したうえで、「自分が小中学校の職員だったら、生徒たちにどのような指示をだすか」をグループで考えます。

震災の記憶研修~自律型人材の育成~

その後、釜石東中学校の生徒たちがどの経路で、どこまで避難したかを、実際に歩いて見学します。案内人は当時実際に釜石東中学校の生徒だった、かまいしDMCの川崎さん。

川崎さんの当時の記憶と解説を聞きながら、実際に歩いたこの道が、生まれ育った町が波にのまれていくシーンを想像すると、言葉が見つからず、ただひたすらに歩くことしかできませんでした。

実際の避難経路を歩く

見学ルートの周辺は、綺麗で見た目の揃った新しい家々が並んでいます。それが意味することを考えると、余計に心に響くものがありました。

新しい家が立ち並ぶ鵜住居地区 新しい家が立ち並ぶ鵜住居地区

鵜住居駅のすぐ近くには「釜石祈りのパーク」という広場があります。この場所がまさに、鵜住居地区防災センターがあった場所です。すり鉢状に成形した丘の中央に東日本大震災犠牲者の慰霊碑が、そして丘の頂上に東日本大震災津波高が記録された碑があります。

芳名板がところどころ抜けているのは、まだご遺族の意向が確認できていない方々です。東日本大震災は決して過去の出来事ではない。そんなことを、身をもって実感しました。

釜石祈りのパーク

あらためて「釜石の奇跡」と呼ばれる出来事は、奇跡なんかではなく、日頃の防災教育の賜物であったことを学びました。そしてその過程は、組織における自律的な人材教育に通じます。私たち一人ひとりも、自らの状況をあらためて棚卸しして、明日からの行動指針を“自分ごと化”することで研修プログラムは終了しました。

2日目はNSOの経験と、鵜住居地区での経験がひとつなぎにつながる、非常に立体感のある研修プログラムとなりました。

心から、生きているうちにこの場を訪れることができてよかった。すべてを理解することなんて到底できないけれど、それでも、この経験をしているかどうかは、人生を左右する大きな出来事だと思いました。


3日目:SDGs自分ごと化研修・森林保全研修

釜石の海でウミガメを見る意味

3日目の最終日、午前中は再びNSOから始まりました。

サステナビリティ推進部メンバーのリードのもと、NSO従業員の皆さんもワークショップに参加してもらい、今回のテーマであるSDGsについて自分ごと化していきます。

NSOのみなさんとともにWS参加

個人的に印象に残ったのは、釣りが趣味というNSO社員の方から聞いた「釜石の海でウミガメを4度も見たことがある」という話です。

温暖な海洋を好むウミガメは、本来釜石の冷たい海では見られないはずだそうです。それだけ釜石も海水温度の上昇が進んできているということ、環境保全問題が間近に迫っていることを実感しました。

議論は非常に盛り上がり、すぐに実現したいものから長期的な目標など、バラエティ豊かなアイデアがたくさん上がりました。それぞれの立場や経験から多様な発想がうまれる、それも一つのSDGsですよね。

オカムラとNSOが釜石で一緒にできることを考えます

こすもす公園

2日間お世話になったNSOを後にし、午後のプログラムのため甲子町へと移動します。お昼ご飯は、レストラン「こすもす」にて。隣接する公園は、震災後に遊ぶ場所を失ってしまった子供たちのために、自然の木や石で遊具をつくって自由に遊べるよう解放したのだそうです。

こすもす公園の手作り遊具

メニューはレストランのオーナー藤井さんがつくる、素材を活かした創作料理。どれも優しい味付けでと~~~っても美味しかったです!!!(写真で伝わりますでしょうか?)食後には、熟れが早いため市場に出回らないという、まるでゼリーのような食感の「甲子柿」もいただきました!

甲子町の甲子柿

林業体験プログラム

お腹がいっぱいになったあとは、体を動かします!!ナビゲーターは岩手県に移住し、森林整備事業や食や遊びを軸に人と森をつなげる活動を推進中の森林インストラクター、石塚さん。

普段何気なく入っていける森は、人の手できちんと整備してあげないと倒木や雑草で入ることができない状態になってしまうそうです。森や木について熱く語る石塚さんからは、森林に対する愛情が溢れ出ていました。

(ちなみに一緒に手伝ってくださった奥様とは移住者同士でこの釜石で出会ったそうです。素敵…!)

林業体験研修へ
森林整備のお手伝い

われわれも森林整備のお手伝い!ということで、森の歩道づくりと薪割りに挑戦します。二班に分かれて、まずは薪割りから。

斧って重いんですね・・・!なかなか真ん中にあたりません・・・。数回ヒットしてやっと真っぷたつに割れてくれました。薪1本を4等分するだけで、もうだいぶヘトヘトです。

薪割りに挑戦

班を入れ替えて歩道づくり。こちらも道になる場所の土を耕して平らにするという地道な作業ですが、かなり体力がいります。途中から上着を脱ぐ人が続出しました。普段歩いている山道も、こんなふうに誰かが整備してくれていたんですね。

最終的にちょっとした階段をつくったりと、かなり道らしい道が出来上がりました!達成感!!がんばったかいもあって薪もたくさんできました。皆で協力すれば大きな成果になりますね!

歩道づくりの作業
道らしい道ができあがりました
薪割りの成果

体を動かした後は、焚火を囲んでメープルシロップの抽出を行います。かえでの木からいただいた樹液を煮詰めていくと、最初は透明でサラサラだった液体が、どんどん茶色くとろとろになっていきます。同時に量もどんどん少なくなっていく・・・。

本場カナダでは糖度66度というのが出荷の基準になっているそうですが、同じ糖度に達する頃にはスプーン一杯程度の量になっていました。時間をかけてもこれだけしかつくれないなんて、メープルシロップってとても繊細で貴重なものだったんですね~!

味は・・・甘い!!おいしい!!!しっかりメープルシロップでした!過程を知って食べるとなおさら、おいしさが染みわたります。

透明の樹液を煮詰めます
茶色くとろみが出てきました
メープルシロップ完成!

そんなこんなで、あっという間に3日間のワーケーションプログラムは終了しました。


終わりに:釜石でのワーケーションを終えて

さて、私はこのレポートの最初に壮大な前振りをしていました。「『働く』ことに関する価値観もだいぶ変わりました」と。一体どのように変わったのか?あらためて、プログラム参加前の私の価値観を振り返ってみます。

【ワーケーションに参加するまでの私のイメージ】
・日中はホテルや施設でワーク、定時を過ぎたら街に繰り出してバケーション?
・ワーク:バケーション=7:3くらいかなぁ
・やっぱり観光地やリゾート地に行きたい!
・でも結局仕事しちゃうかも…
・だったらわざわざ平日にバケーションする必要もないのでは…?

さて、ワーケーションを終えた今の私の価値観は、以下のようになりました。

「ワーク」と「バケーション」の境界線?

これは行きの道中から始まっていましたが、各プログラムを通して、楽しんでいるうちに「あれ、これ仕事でも使えるな」というポイントがたくさんありました。そして、この場所に来たからこそ生まれた発想、知り得た情報もたくさんありました。

これって「ワーク」なの?「バケーション」なの?
・・・いや、そもそも明確に区別する必要なんてないんじゃないか。それが私の結論です。

日本人はまじめなので、何か手を動かしていなければならない、成果を報告しないといけない、など常に誰かの視線を気にしているところがあると思います。それも勤勉でとても素晴らしい特性ですが、もう少し自分を解放して、自分が楽しむことから生まれる「ワーク」もあるのでは?と、いま私は思っています。

同じく、「バケーション」=「遊び」という考え方も別の捉え方ができるはずです。今、世の中にある仕事の中には、もともとは遊びから始まったものだってあるかもしれません。

もちろん、実際にワーケーションができるかどうかは、ご自身の職種や所属する組織によるところも大きいと思います。しかし、ワーケーションがもう少し普及し、さまざまな学びがあるという理解が広く得られれば、「バケーションだって立派なワークだ!」と堂々と言える日がやってくるかもしれません。

ゆかりのある土地でワーケーションを

今回の舞台は釜石、決してバケーションと聞いてすぐに連想する場所ではありません。魅力的なものはたくさんありますが、北海道や沖縄といった観光地としてのイメージが強い場所と比べるとどうしても印象は薄いですよね。しかし、なぜ今私がこんなにも充足感に満ち溢れているかというと、それはオカムラで働く私にとってゆかりのある場所だったからです。

すべての物語、体験が自分ごととして浸透していく感覚。それはやはり「釜石」だったからだと、心の底から思います。誰もが憧れる観光地も素敵ですが、こんな風に自分の会社のルーツを探る、日本人として忘れてはならない出来事を振り返る、そんなテーマのワーケーションもとっても素敵だと、胸を張って言えます。

ワーケーション先を検討するときには、「自分自身や自分の仕事に何かゆかりのある土地」をぜひ候補に入れてみてください。

わたしの知らない、仕事や暮らし

このプログラムで、たくさんの人たちと交流し、たくさんの仕事を見てきました。プログラムに直接協力いただいた方々だけでなく、地元路線の車掌さんや居酒屋のお母さん、ホテルの従業員さんや売店の店員さんなど、皆さんこの場所でその仕事を必要としている人々のために働いています。

都会の慌ただしい環境の中では、どうしても自分中心で物事を考えてしまいがちです。つい視野が狭くなってしまったり、今の環境に適応できずに、息苦しさや罪悪感を感じたりしている人もいるかもしれません。

少しだけ、今の環境と距離を置いてみると見えてくるものがあります。自分だからできること、できないこと。今やるべきこと、そうでないこと。大事にしたいこと、そうでないこと。あらためて考えてみるよいきっかけになるかもしれません。

ワーケーションは、単なる仕事とリフレッシュの融合だけではなく、個人の価値観を変えるパワーを持っています。

“働くことは生きること” そして “生きることは働くこと”

まさに、Work in Life を実感した3日間でした。

皆さんもぜひワーケーションを体験してみてください!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!

人生で初めてのワーケーションを終えて
(株)オカムラ 岸 杏奈


釜石でのワーケーションにご興味を持たれた方は、ぜひこちらをご覧ください!


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