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付き合う、結婚、親になるー他者との関係性に「はっきりとした」名前をつけるのが怖い人へ

4月16日に緊急事態宣言が出されて以降、はじめて本屋に行った。これまで我慢していた「本屋に行きたい欲」が解放された結果、気がつくと手に5冊も本を抱えていた。

「こんなに買ってもすぐに読めるか分からないしなあ」

そうは思うものの、「とはいえ、いつまた本屋に行きづらくなってしまうか分からないしなあ」という気持ちもある。

結局、5冊とも手に持ってレジに向かった。

買いすぎたかなと心のなかでは思うものの、実店舗で食料品以外の何かを買うのはとても久しぶりだ。自分へのご褒美ということで、よかったことにした。

本屋から帰ってきて、あまりの面白さに一気読みしてしまった本がある。

それが、この花田菜々子さんの「シングルファーザーの年下彼氏の子ども2人と格闘しまくって考えた『家族とは何なのか問題』のこと」だ。

この本では、タイトル通り著者の花田さんが年下のパートナーと付き合うことになってから、その子どもたちと関係を築く過程が、著者の日常や思考の記録と共に描かれている。

なぜ、結婚の予定もなく、同じような境遇にも置かれていない私がこの本を手にとったのか。それは、帯に書いてあるこんな言葉が目に入ったからだ。

私は「お母さん」になるべきなの?
付き合うって何?結婚する意味って?
私たち、家族になったほうがいいの?

「どうしたら子どもたちにとってよい母親になれるか」ではなく、そもそも「わたしはお母さんになるべきなのか」から問いが始まっていること。

「付き合って、結婚するにはどうしたらいいか」ではなく、「そもそも付き合う、結婚する意味って?」から問いが始まっていること。

それが花田さんの人生に対するスタンスを表しているように感じた。

私自身、10代や20代前半のときは「どうしたら幸せな結婚ができるんだろうな」などと考えて、いろんな人と付き合ったりしていたこともあった。でも、30歳という年齢に近づいている今、私の頭のなかにある問いは「あれ、そもそも私結婚して、子ども産みたいんだっけ。そもそもなんで付き合ったり、結婚したりするんだっけ…?」という問いに変わりつつある。

だからこそ「付き合うこと、結婚すること、親になることは幸せである」という前提からではなく「あれ、そもそも、それ私したいんだっけ?」という問いから始めている花田さんの思考を、少しのぞかせてもらいたくなったのだ。

2段ベッドでの出会いから、白目の対面

本を開いてみると、思った以上にパンチがあるシーンが続いた。最初のパンチは、花田さんと2人の子どもとの出会いの場面だ。

ある日、家の電気が止まってしまった花田さんは、家に帰すのは心配だというパートナーに押し切られ、2人の子どもがいるパートナーの家を訪れることになった。

そして、子どもたちが上の段に寝ている2段ベットの下で一夜を過ごすことになったのだ。

翌朝、子どもたちとの初対面。

「おはよ。今日さ、お客さんきてるんだよ」
「は?誰」
「花田さん」
「だから誰」(中略)
「あ、どうも……おはようございます」
「……?」
どういうこと?という目でトン(注:花田さんのパートナー)を見ている。
「ほら、挨拶しなさいよ」
「……?」
いや、絶句する子どもの対応のほうが正しいと思う、さすがに、と思っているともうひとりも起きて来て、「なになに?」としゃべりだした(中略)
「もうひとりの子も何がなんだかわからない、という様子で私を見たりトンを見たりしている。(中略)
無理もない。そのまま帰る準備をて身近にととのえ、リビングにいる2人にもう一度声をかけた。
「おじゃましましたー……」
(p.35,36)

2段ベッドでの衝撃的な初対面。会話から空気が伝わってきて、読んでいるわたしまでソワソワしてしまった。

そして、迎えた二度目の対面。これも予想の斜め上の展開だった。

構えて緊張しているのがしびれるほど伝わった。けれどそんなのは私だって同じ気持ちだ。(中略)マルちゃんがまたじっと凝視してくる(中略)「ん〜?なあに?どうしたのかな〜?」とか言うと距離が開いてしまう気がしたのでそのような反応をするのはためらわれた。なにか……なにかこう、面白い人でなければ。必死で考えたあげくに白目で見つめ返す(見えてないけど)ことにした。

なぜ、白目……?そう思いつつ、緊張感ただよう空気のなかで、白目が繰り出されている情景を想像して、失礼ながら爆笑してしまった。結果、2人の子どももこらえきれずに爆笑してしまったらしい。

ウケている。はあ。よかった。

こうして花田さんとパートナー、そして2人の子どもとの関係性の実験が始まった。

付き合う、結婚、子どもを産む。それらに興味はなかった

一緒にゲームをし、ファミレスに行き、麻雀をし、マインクラフトをし、スーパーに行きーー。

そんな何気ない日々の生活のなかで徐々に2人の子どもとの交流を深めていく花田さん。しかし、実はもともと「子どもはほしくないし、子どもの人生になるのだろうな(p.62)」と思っていたという。また、付き合ったり結婚したりすることに対しても「したい」という感覚がよくわからなかった、と花田さんは書いている。

「ひとりの人と特殊な関係性を築くことの面白さはわかるんだけど、それが性欲や独占欲や嫉妬とか、あと一生の約束をする、みたいな事象と当たり前にむすびついていないといけないっていう話になると、ちょっとわからなくなるんだよなあ」(p.7)
「約束」のある関係性にも興味がなかったし、将来の保証のために今を我慢すること、相手を思いやって、たった一人のパートナーとして死ぬまでいっしょにいるために、関係を維持・強化していく努力などを1ミリもしなかった。(p.22)

とても分かる。そうしたいと思う気持ちもありつつ、誰かとの関係に名前をつけて契約を結ぶことへのこわさもある。自分でも自分の気持ちがわからないので、とてもむずかしい。

花田さんも「付き合いませんか?」とパートナーに聞かれたときには戸惑ったし、子どもたちから「結婚しないの?」と聞かれたときには答えに困ったという。

そんなふうに迷いつつも、パートナーと、そして2人の子どもと共に時間を過ごした花田さんは、本書の終わりにこんな力強い言葉を残してくれている。

結婚。同居。してもしなくても「これこそがぴったりの答えだ」と思わない気がする。(中略)

みんなでそれぞれ好きに生きようよ。家族全員が同じ気持ちで心を寄せ合って、いつも足並みが揃っているのなんて目指したくはない。(中略)「一丸となってバラバラに生きろ」という本の表紙に書かれた言葉が好きで、ずっと心に残っていた。栗原康の『アナキズム』という本のサブタイトル。私にとって、誰かと生きるということの指標になってくれるような言葉かもしれない。やっちゃいけないことなんてない。何者にもしばられるな。(p,188,189)

誰かと生きるという営みは、分かりやすいカテゴライズに当てはまることばかりじゃない。正解なんてないのだから、都度自分たちで暫定解を定義していくしかない。

迷いながらも、そう力強く伝えてくれているこの花田さんの言葉に、共感しきりだった。

関係性に名前をつけない

「付き合う」「結婚」「親になる」

こうやって、誰かとの関係性に名前をつけると、「付き合ってるならこうあるべき」「結婚したこうあるべき」「親になったらこうあるべき」という様々な『べき』のなかに閉じ込められてしまう気がして、少し息苦しい。

とはいえ、関係に名前がついていなかったらいなかったで、なんか心もとない。名付けができないと、はっきりと関係性を捉えられず、ふわふわとらえどころがなくなってしまうからだ。

そんな息苦しさと所在のなさの中間地点で悩んでいる人は、実は多いんじゃないだろうか。

でも、この本を読むと、誰かと一緒に過ごす時間に無理して「名前」をつけなくてもいいんだと言ってもらっている気がする。

どこにもカテゴライズされない関係性であっても、たしかにそこに楽しくて充実した時間は流れているはずだ。そして「パートナー」「夫婦」「親子」といった名前を無理につけなくても、都度自分たちで自分たちにあった関係性を結んでいけばいいだけなんだよなあ。そんな勇気をもらえる作品だった。

加えて、情景描写や心理描写が秀逸すぎて、わたしは公園で読んでいて、なんども一人で爆笑してしまった。笑いながら読めるのに、大切なことを教えてくれるこの本、ぜひ読んでみてほしい。

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