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グローカルに生きる③‐険しいけれど心が躍る

○心が躍る感覚があるかどうか


 そんな多忙を極めるある晩、分かち合いを通して視野が狭くなっていた自分に気づいた。
 ふと次の朝起きると、一つのビジョンが区切りとなり、次のビジョンが大きく動き出していてそれを迎え入れて行く感覚に戻った。
 この時期、次年度にむけおかげさまでさまざまな分野から機会を頂く。そこへフットワーク軽く関わることを大切にしつつ、身体は一つ、できることも限られている。
 その時に大切にする感覚(特に新たな選択をするときに)はそこに必然が動いている感覚や心が躍る感覚があるかどうか。それはローカルに地に足がついた動き、広く波及していく動きともに。
 ちょうど、数日前に新たな分野の朗報をいただき、次のビジョンの一つである研究にむけ大きな力をもらえた。

○次の方向性の一つとなる夢


 そして、同時に研究としてまず優先的に取り組んでいくべき道を夢として見せられた。
「ある地区の隣保館にインタビューに訪れている。そこにはこの道の大先輩とその息子さんがいる。その大先輩はこれまで見た感じと違って病気になり弱っていてご飯を食べるのもやっとの状態になっている。
 その大先輩は“悪いけど、こんな状態やから話せへんねや”とおっしゃる。それを自分は聞き、号泣しながら“それでもあなた方が運動を通して実践してこられたこと、そこで描こうとしたものをどうしても聞きたいんです。”と懇願している。そして、長い年月を通して培ってきたものの普遍的なものを見出すことをどうしてもしたいこと、それをお聞きするにはその世代が高齢化する中で急がないといけないと痛感している。」そんな夢だった。その夢は以前に見たビジョンとも重なっていた。
 
 自分自身はアメリカ先住民の地に20年以上身を置くことによって夢を数多く見るようになった。そして、それは生き方の方向性を決める示唆をいつもくれている。
 
 その次の週、浅香地区で大阪府人権協会主催の隣保事業座談会があった。
 そこで、早速2つの地区のメンバーにインタビューの依頼をした。そして、昼休みを利用して大阪大学博士後期の入学手続きをした。その日は3年間の休眠預金事業の報告書が完成しビジョンの一区切りがついた翌日という意味深い日でもあった。
 
 次のビジョンも、「実践研究者」として実践を行いながら、研究をする往還の生き方。ただ、修論(修士課程)という山よりも格段に険しい博士論文(博士課程)を書いていくという道のり。ただ、そこには志とゆるぎない信念がある。

 いつも、道は険しいけれど深い部分で心が躍っている、その感覚を大切にしたい。
 


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