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産後の記憶。この瞬間があってよかったな、という記録。

※2018年のFacebook投稿からコピペ。
この呪いが解けた瞬間は、いまでもやく覚えているので記録的に。


娘氏(小学生)の宿題らしく、赤ちゃん時代についてインタビューされたので、生後100日くらいつけていた育児記録を引っ張り出してきたところ、懐かしい瞬間を思い出した。

産後の退院の日、それまで特にトラブルなく順調だったのだが、助産師さんらの助けが無くなることが急にリアルに感じられて、一瞬、不安に押しつぶされそうになったことを克明に覚えている。文字通り、押しつぶされそうだった。この感覚は、あまり身に覚えのないタイプの“押しつぶされ感”だったので、産後のホルモンの変化ってホントにあるんだな、、、と考えたりもした。

でも、次の瞬間、これは本当に「わたし」の不安だろうか?とも思った。

「新生児を抱える初産の母親は〝壊れそうな命〟を腕に抱いて不安にかられる」という刷り込まれたステレオタイプなんじゃないか。。これって、ある種の呪いなんじゃないか。。たしかに多少の不安はあるけれども、同時に違和感もあるぞ、、と。。

わたしは、突然押し寄せてきた不安に押しつぶされないように、自分のなかの違和感を手繰り寄せるようにして、言語化したことを覚えている。いつのまにか刷り込まれたステレオタイプではなく、自分が産後5日で実感したリアルに従おうと思った。新生児の生命力を、侮ってはいけない。壊れそうというよりは、たくましいような気がする。それが、わたしにとってのリアリティ。その実感に従おうと思った。

そのときのメモを、今日久々に読んだ。

〝未熟〟なのは、赤ちゃんじゃなくて、母親。
〝未熟〟な母親なんだから、守ろうとしなくていい。
生命力が、守ってくれるはず。
赤ちゃんの生命力を、侮ってはいけない。
赤ちゃんの生命力に、導いてもらおう。


このとき、わたしは、観察と直感が大事だと肝に命じた。
生命力が発する情報量は多い。
それを見逃さなければいい。
わたしの固定観念のほうが、邪魔だ。

未熟なのは、赤ちゃんじゃなくて、母親のほう。
だって、初めてなんだから。

産後5日で、そういうマインドセットに切り替えられたことは、その後の自分をかなり楽にしてくれた。そう感じられたのも、産後5日のあいだに、新生児の生命力の強さを実感したから。彼らは、無駄なことはしない。オトナの常識では意味がわからなくても、ちゃんと意味がある。

観察ベースのコソダテは、このときに始まったのかもしれないな、、、と思った、母親8年目の初秋。

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