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この書を手に”何かを問い続ける冒険”に出る

なんで私は今この本を手にしたのだろう?


3ヶ月前のある日「マグナとふしぎの少女」というAI英語アプリの原作者でもある
ミントフラッグ株式会社代表取締役の片山さんからプレゼント企画が届いた。
その企画はマグナの共同原作者である孫泰蔵さんの新本「冒険の書」をプレゼントします。という内容だった。

何にピンと来たのかも今となっては覚えていないのです。
海外転居前、ワンオペ期間、様々な形でこれまでの生活に戸締りをしている中で、いつの間にか応募し、ありがたいことにこの本をいただいていた。
しかも、片山代表の手書きのメッセージ入りで。

発売直後に贈っていただいたにも関わらず、受け取ってすぐにこの本を開くことはできなかったのだが、なぜか引越しの荷物に入れず、なぜか手荷物でインドネシアまで持ってきて、なぜかインドネシアで読み始めた。

読み終わった今、この本に出会えたご縁に心から感謝しています。
私のここ数年潜り込もうとしていた場所が間違っていなかったこと、そして、これからも何かを問い続けるという冒険に出る勇気をいただける本でした。


違和感の種はやはり過去にあったのか

ここ数年、いま前に進むのではなく過去を探究したいと思っていた。
おそらく前に進むのに躊躇ったのは、社会的情勢が影響していたことももちろんあったのだと思う。ただ、なんかこのまま前に進んでも進みきれない気がした。
もっと土台を整えたかった。

そんな、私の嗅覚は間違いじゃなかったそう思わせもらった。

この本の前半には、
「学校ってなんだ?」
「なんで学校にいくんだっけ?」
「なぜ大人は勉強しろっていうの?」
というような、
子どもの頃、誰もが一度は疑問に思ったことがあり、
親になったら、我が子に一度は投げかけられてきたような問いをもとに物語が展開される。

著者の孫さん自身が自らに問い探究した道筋を、ロールプレイングゲームの主人公になったような形で共に探究させてもらえるストーリー展開。

過去に何かある気がすると思いながらも、私が自分だけではここまで過去に戻れなかっただろう。そんなところまで一緒に連れて行ってもらえた感覚だった。

自分自身の過去だけでなく、この世界の過去に。
積み重ねてきたものがあるから過去がある。
私の中で過去というものが、自分の生きている数十年から人類の歴史の数千年に広がった。

孫さんは私が過去に大学スタッフとして関わらせてもらってきた研究者と同じ匂いを感じる。

そうか、研究者はそもそもこの視点を持っているのか。研究者から感じる深みはここからか。歴史学者はもちろん、粒子や原子、宇宙みたいなものを対象としている研究者も、もっともっと長く深く広い視野でみているものがあるのだろう。そして、その思考の深みに私自身が惹かれているのか。そんな気づきもあった。

この書の構成自体が”機能環”を回している

この書の中盤には、エストニア生まれの生物学者で哲学者であるヤーコプ・ユクスキュル博士の『動物の環境と内的世界』(1909)という本を切り口に、つくるとわかるについて孫さんは次のように書いている。

私たち人間は、「こんなものがあればいいのになあ」と考えたものを、「つくる」ことによって形にできます、そうして「内的な知覚世界」と「外的な作用世界」とのギャップを埋めて両者を一致させることができた時に初めて、そこに新たな「環世界」が生まれます。
この環世界が新たに生まれたことを「わかる」というのではないかと僕は思うのです。つまり、「つくる」ことが「わかる」につながる、ということです。
・・・中略・・・
つまり、それぞれの情報環世界に分断されている私たちを結びつけてくれるものは、「つくる」という行為と「わかる」という状態のループ、つまり機能環にあるのではないか、と。

『冒険の書』孫泰蔵 p254-255より

私は、この書の構成自体が、機能環だと思った。
書の前半では、違和感の種を探るために過去に戻り、知覚世界を通じてインプットし、ここから先の後半は著者自身がどんな世界を作りたいのか。というアウトプットのボリュームが増えていく構成になっている。

そして、この構成の書を読みながら、私自身に足りないもの、私のネクストステップにも「つくる」という行為、そしてそこから生まれる「わかる」や「余計にわからなくなる」という状態のループであることも認識することができた。

今書いているこの書評も、私の中での「つくる」行為の一つ。まずは一歩から。

”後世への最大遺物”のために私は何ができるのか

最終章、孫さんが引用したのは、日本の教育者で文学者のカンゾウ・ウチムラ(内村鑑三)の「後世への最大遺物」(1894)

ここでは、後世への最大遺物をお金でも、事業でも思想でもなく、「勇ましく高尚なる生涯」であると書かれているということ。そのメッセージを受けて、教育と手繰り寄せて次のように書いています。

あらためて、教育とはなにか。それは、大きな問いに立ち向かっていく姿を後に続くものに見せることではないか。時代と合わなくなってしまったもの、変な方向へ行ってしまったものを変え、「人々を救うためにどうすればいいか?」「この地球をよくしていくためには何をすればいいか?」を生涯をかけて探究し続けることなのではないか。それこそが「勇ましい高尚なる生涯」であり、それそのものを私たちは後に続くものたちに残していけばいいのではないか。
そう僕は思うのです

『冒険の書』孫泰蔵 p334−335より

ここまで読んだときに、ふとページをめくる手が止まった。
しばし本を置いて考えていた。

教育とは探究し続ける姿、その生涯を見せることなのか、それが後世に残っていくのか、、、
もしそうであれば、私がこれまでやってきた、人の思いやこれまでのキャリアを聴き、文章で残す「ビジョンインタビュー」は、一人一人の後世への最大遺物をアーカイブし続けれるものになるのでは・・・?

この書が伝えてくれていることと、私自身の「つくりたいもの」が重なった瞬間でもあった。

自己矛盾を感じる中でも考え続ける大切さ

この書を読んで、著者の孫泰蔵さんがどんな方なのかもっと知りたくなった私は、孫さんがグロービス経営大学院のセミナーに登壇されることを知り、参加させていただきました。

このセミナーは、一度は読んだ「冒険の書」の内容やこの書から深まった思考を再確認するいい機会になったのと同時に、何かどうしようもない怒りや共感、そして迷いや矛盾に向き合い、問い続けていくことを怖がらずにやってもいいんだよ。と背中を押してもらえる時間になりました。

セミナーの中で孫さんが言われた印象に残った言葉はこちら↓
『こんな本を書いた僕だって自分の子供に「学校行け!」って思うことはある。
そんな自己矛盾感じる中でも、やっぱり考え続けるって大事なんじゃないかな。』


長くなりましたが、この本を読んで考えたこと、印象に残ったことを残しておきます。きっとこの本は読むたびにまた新しい気づきと思考が深まるのでしょう。

私にこの本と出会う機会をくださったミントフラッグ代表の片山様、ありがとうございました。
※AI英語アプリ「マグナとふしぎの少女」http://magna.mintflag.com

また、この本との対話を深める機会をくださったグロービス経営大学院様主催のセミナーに感謝をいたします。
※グロービス経営大学院セミナー情報 https://mba.globis.ac.jp/seminar/

そして何より、この本の著者である、過去への探究の道筋と思考を深める機会をくださった孫泰蔵様、本当にありがとうございます。