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都会生まれに対してすんごいコンプレックスを感じている

都会で生まれた人間にはわからないであろうモヤモヤ。誰が悪いわけでもなく、たまたま生まれたのが地方だった。そんなどこにもぶつけがたい気持ちを抱えたことが、地方出身者なら一度はあるのではないだろうか?

地方に生まれる/都会に生まれるの差って?

私が生まれ育ったのは長崎である。九州の外で「長崎出身です〜」と言うと高確率で「いいですね!長崎行ってみたいけど行ったことないんです!」と返ってくる。きっと彼ら彼女らが長崎へ行くことはないだろう。なんせ遠いのだから。

そう、遠いのだ。まず交通手段が思い浮かばないことだろう。新幹線がそのうち開通するらしいけど、まだ博多から直通ではない?みたいな噂を聞いたので、飛行機で行くことをおすすめします。

さて、この「遠い」という物理的な制約からは、「ヒト・モノ・情報」が集まりにくいという問題が生じている。(カネはわからん)
今や中高生がスマホを持つようになり、ネット上にさまざまなコンテンツが溢れかえっているので「もはや情報格差はない!」と主張する人もいるかもしれないが、地方を侮ってはいけない。なんせ、情報はあってもそれを扱う「ヒト」がアップデートされていない。

以前勤めていた会社で、全国各地に新進気鋭ピッカピカサービスの営業を行なっていたのだが、断り文句は決まって「そういうのはわかんないからいいや」だった。もちろん、これは一概に”地方だから”というわけではなく、ターゲット層である法人決裁者がそういうのに疎い世代だからかもしれないし、シンプルにサービスがアレだったからかもしれない。

地方の価値観、都会の価値観(個人的な観測)

だが、”地方に生まれた”という実体験を元にお伝えすると、地方に住む人々は概して「そういうのはわかんないからいいや」の価値観の中に生きている。これは間違いないのである。※そうじゃない人もいるよ

これに対し、都会は「どんどん変えていこうぜ」の価値観の中に生きている。都会で生まれ育ったことがないので半分以上偏見もあるかもしれないが、なんか都会の高校の方が校則とか自由だし、親世代も普通に電車の中でワイヤレスイヤホンをしてタブレットを眺めたり、コンビニでスマホ決済を使いこなしたりしている。そういう人たちは都会の生活に満足しているので、地方には住もうと思わない。「いいですね!長崎、行ってみたいけど行ったことないんです!」と言いながらも絶対に行かないのだから当然だ。

この違いは小さいようでとても大きい。それはそうだ。行動の根っこにあるのは価値観なのだから。そして、一度形成された価値観はそう簡単には変わらない。進学するにせよ就職するにせよ、何をするにもその価値観がついて回る。自分で振り払う努力でもしない限り。

”価値観の停滞”を打破したい

ここまで一方的に地方への怨恨みたいになってしまったので、一旦謝りたい。別に地方を憎んでいるわけではないんです。大人になってみて気づいたけど、長崎ってめっちゃ素敵な街なんですわ。「”エキゾチック”の意味はわからんけど、多分これがそうなんだろうなあ」って気持ちになれる街。行ったことないけど、他の地方もどうせ食べ物とか美味しくて空気は綺麗で、人が温かくて最高なんでしょ?知ってるよ!

ここで問題にしたいのは”価値観の停滞”なのである。ある程度生き方に安定した大人が地方で暮らすぶんにはいいけど、これからの社会を作る若者にはもっと新鮮な価値観が必要だと思いませんか?価値観というのが分かりづらければ「新しい”良いかもしれないもの”は一旦試してみようよ!」という”ノリ”でもいい。

「よくわからんから」
「都会は都会、地方は地方」

みたいなよくわからんノリがなくなれば、今よりも地方に移住する若者を後押しする仕組みが整うかもしれない。本当の意味で地方と都会の格差が是正されるかもしれない。そのためには「ヒト・モノ・カネ・情報」に加え、”価値観”の流通が必要だ。

都会でのびのびと過ごす高校生を見るにつけ、そんなことを思っている。

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