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名を望月の今宵とて
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日付は前後しますが、先日の中秋の名月。展覧会の内覧のお手伝いをしていた都合で、京都を代表する近代建築のひとつ、京都市京セラ美術館で名月を眺めることに。それは清かに美しい幻想的なお月さまで。
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で、ふと思ったのが、中秋の名月が出てくるお能では、十五夜ってどんなふうに書かれているのだっけと。ぱっと浮かんだのは「三井寺」と「小督」。
とりあえず三井寺の詞章を調べてみると、まずは「八月十五夜名月」とある。ふむふむ。それから「名を望月の今宵とて」と。(類まれなる名を持つ中秋の名月の今夜だから、[月の出る夕べを心待ちにするのが人心だよ])。望月って満月のイメージだけど、主に中秋の名月を指すのか(忘れてた)。
それから、「桂は実のる三五の暮」とも。
三×五で十五夜とは、今はなくなってしまった(であろう?)表現で、いいなと思った。もちろん、その前の”桂の実る”という表現もなんだか洒落ている。いわゆる「月の桂」、古代中国の伝説にある月の中に生えているという不老長寿の桂だけれど、十五夜の日に桂(の実)が実る、という発想もなんだか素敵。
話は続いて、狂言からもひとつ、ずっとみてみたいと思っている「月見座頭」の話を。といっても詞章もわからないので、あらすじを。
中秋名月の夜、座頭と通りがかりの男とが虫の音を聞き酒をくみかわし楽しんで別れる。ところが急に男に残酷な心が生じ、ひき返して別人を装い、座頭を突き倒して去る。
狂言らしい喜劇ではない、人間の本性を描く作品。できれば秋の時期に見てみたいし、中秋の名月をなんと表現するのかも聞いてみたい。
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