「大和魂」を説明できる?

ちょっと唐突なタイトルになってしまいましたが、この「大和魂」という言葉、おそらく日本に住むほとんどの方が、一度は耳にしたことがあるかと思います。

その語感から、なんとなく勇ましいようなイメージはあるけれど、具体的に何かと聞かれると、、、

実際よく分からないし、正直そんなこと考えたこともないよ! という方がほとんどかと思います。

例にもれず、私もそうでした。



以前書いた、宮崎市の平和の塔について、もう一つ、どうしても記事にしたいと思っていたことがありました。

それが、この「大和魂」についてです。



平和台公園にある平和の塔には、それを囲んで、高さ4.5mの信楽焼の4体の像(四魂像)が置かれています。

漁人の姿をした奇魂(くしみたま)像、

武人の姿をした荒魂(あらみたま)像、

商工人の姿をした和魂(にぎみたま)像、

そして、農耕人の姿をした幸魂(さちみたま)像。


平和の塔を中心に、4体の御魂像がある。

実はこれが、「大和魂」を表しているようなのです。



・・・???

ですよね^^;


ちょいと説明させてください<(_ _)>


「大和魂」と聞くと、何か一つの考え方のようなものがあるのかな?と思ってしまうのですが、考え方というよりは、一つの"しくみ"と表現した方が、近いかもしれません。

しくみ・・・

ますます ? ですね。


「親子」で例えてみたいと思います。

1人のお母さん(もしくはお父さん)の周りに、個性の違う4人の子ども達がいるとします。

お母さんは、それぞれの子どもの個性を認めつつ、伸ばしつつ、各々の力を発揮できるような環境を、日々整えています。

でももし、子ども達の元気があり余って、危険なことになりそうになったら、それを止めようとします。


この例えでお母さんとしたのは、「大和魂」の直霊(なおい)と言われるもので、この世のすべての神様の根源から与えられた、分け御霊(わけみたま)なのだそうです。

そして子ども達は、平和の塔の四魂像が表す、四つの魂。


それぞれにこんな個性があります。

奇魂(くしみたま):観察や分析、統合といった知力

荒魂(あらみたま):前に進み、切り開いていく力

和魂(にぎみたま):平和、調和を望み親しみ交わる力

幸魂(さちみたま):思いやりや相互理解を望み、愛し育てる力

どれも素晴らしいですね。


しかし、もしその個性が行き過ぎてしまったとしたら。こんなことが起きそうです。

奇魂が行き過ぎたら、、、数字やデータのみを重要視し、人の心を顧みない判断、行動をする。

荒魂が行き過ぎたら、、、勝ち負けにばかりにこだわり、物事の本質が見えなくなる。

和魂が行き過ぎたら、、、人の意見ばかり優先して、自分の意見を言えなくなる。

幸魂が行き過ぎたら、、、愛する気持ちが一人よがりになり執着に変わる。


そこで、この四つの魂を、一つ高い視点に立って調整するのが、お母さんのような役割を持つ、直霊(なおい)というわけです。

なのでもし、この直霊に問題がおきてしまうと大変で、直霊(なおい)が、曲霊(まがい)になってしまいます。

「まがう」という言葉は、区別がつかない、間違う、といった意味で使いますよね。


ちなみに、私が子ども時代にはまだ言われていた、「お天道様がみてるよ」といった呼びかけ(今も言われていますかね?)は、

もともと、直霊、つまり客観的に自分を省みる力を、育てる為の教育だったのだそうです。


ちょっと遠回りの説明となりましたが、大和魂が持つこのしくみのことを、「一霊四魂」と言います。

平和の塔は、塔を直霊として、その周りに四魂を象徴した像を置くことで、大和魂を表していると言えるのです。


一人ひとりの中にある一霊四魂を、直霊を中心として正しく機能させることが、「大和魂」なのですね。



10年ほど前、数か月を海外で過ごしたのですが、それは私にとって、「日本人である自分」に向き合わされた時間でした。

当時私は、日本の文化も、歴史もほとんど知らず(自分が知らないということも、知らなかった…)、知っていたのは自分の身の回りにあった狭い世界のことだけ。

日本について質問されても、うまく答えられない。その苦い経験から、日本について「知っていること」が、とても重要なことのように考えていました。

帰国してからは、日本に関する本を読んでみたりと、知識的なことは以前より意識するようにはなったものの、何かもっと深いところで、大切なことがあるんじゃないだろうかと、漠然と感じるようになりました。


そんな中で、大和魂の本来の意味を知ったとき、やっと、自分が在りたかった日本人の姿を見つけたように思います。

大和魂は、知っていたり理解しているだけでは機能しない、実践して初めて活きるもの。

これは私の勝手な想像ですが、きっとそういった在り方が、過去に、日本人独特のバランス感覚として世界でも評価されていたのではないかな〜と感じています。


知っていてもできないということは、本当にたくさんあります。三日坊主ということわざもあるくらいですから^^;

でも難しい分、価値があるのではないでしょうか。



良くも悪くも、これからどのような世界になっていくか、本当に分からない世の中になりました。

でも、自分の在り方だけは、どこにいても、どんな状況の中でも、自分で決めることができます。


そして、どのような世界になるかは、結局は一人ひとりの在り方によって、形作られるものだと思います。

在りたい自分でいることが、在りたい世界につながると信じています。



追伸:今回はたまたま大和魂を記事にして、私個人としては、それを日々実践していきたいなと思っていますが、日本人の方であっても、何か違うな〜と思う方もいらっしゃるでしょうし、逆に外国の方で共感される方もいらっしゃるかもしれません。あくまで私個人の経験からくる価値観で書いていますので、日本人ならこう、という気持ちは全くなく、それぞれが、それぞれの在りたい姿で居られることが一番だなと思っています。豆知識的に捉えて頂けましたら幸いです^ - ^

最後まで読んで頂き、ありがとうございました!


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