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自分をハグする。


とってもわかりやすいサムネです。

「自分を愛する」「自分を大切にする」

これってみんなできてるの?
私は数年前に、そのとき大好きだった人から言われたことがある。

「もっと自分を大切にしなさい」

自分を大切にするってどういうこと?
私にはずっとわからなかった。


学生のとき、姉と喧嘩した。記憶に残る大げんかだった。
喧嘩の原因は忘れちゃったけど、片親だったから子供ながらに気を遣い合いながら暮らしてるような空気がある中で、滅多にしない大げんか。
そのときに言われた姉の言葉がいまでもずっとこころにある。

「〇〇ちゃんは私のことが羨ましいの?」
「自分で自分のことかわいいと思わないで誰が思ってくれるわけ?」

とかとか、そのようなことを泣きじゃくる私に16歳の姉は言い放った。

私は姉が大好きで大嫌いだ。

姉は自分を大切にすることが上手な人だ。
誰よりも自分のことを優先するから言動がいつだってシンプル。

・嫌なものはいや
・嫌いなことは嫌い
・イライラは相手にそのままぶつける
・ぶつけなくても清々しいほどの嫌味を大声で言う
(笑顔で「ごめんなさいね〜!」というニュアンスの怖さよ)

その上で、

・好きなものは好き
・悲しいことには声をあげて泣く
・おかしい時は大口を開けて大声で笑う
・子供を呼ぶ時はどこにいたって大声で呼ぶ
・感謝や喜びを伝える時は「ありがとう〜」といいながらハグだってできちゃう
・「ごねんね〜」を素直に言える


私は姉と何もかも真逆で、いつからだったかコンプレックスを抱く原因になっていた。元々持って生まれた気質のようなものは確実にあって、まったく同じ出来事を経験していたとしてもきっと、わたしはわたしで姉は姉だっただろうと自分でわかってしまったことが、悔しくて悲しかった。
そのくせ年齢が近いもんだから、いつも周りから比較され、心無い言葉を投げられることが多かった。

繊細というか、自分の基盤となる帰る場所のような、心に於ける安全地帯を築けていなかった私には、そのいちいちが小さな棘になってヤワな精神にちくちくと引っかかり奥へ奥へと埋まっていった。

その棘は今も抜けずに私の精神の奥底にずっとあって、心の機微でときどき、いや頻繁に、ザクザクと刺激してくる。


もし、タイムスリップしてこども時代の自分に会いにいけるなら、

「あなたはあなたで十分にすてきよ」
「甘えていいの。だって子供なんだから」
「寂しいときは寂しがりなさい。堪えることなんてない。ちゃんと寂しがって、そばにいる人に寄り添ってもらいなさい」
「お母さんのことを守らなきゃいけないよ。なんて、何も知らない人からの無責任な言葉を受け止めて、えらかったね」
「おばあちゃんにも、私だってこどもだよって言ってもいいんだよ」
「あなたの思いは、あなたのもの。誰のものでもないの。間違ってることなんてないんだよ」
「愛されてないなんて思わないで。わたしがあなたを愛してるよ。」


全部、全部伝えたい。伝えてそれから抱きしめてあげたい。

抱きしめるって愛に包まれること。愛を心と体、どちらでも感じられること。
心の安全地帯を築けていない私は、今も書きながら涙が止まらない。

誰かにかけて欲しかった言葉を、今の私がかけてあげられる。
それだけでも十分自分を愛せる、大切にできる材料になる。



大好きで大嫌いな姉のシンプルな感情表現は、
そのままそっくり、私の理想像だ。
姉と私は違う人間で、似ても似つかなくて、なりたくてもなれない。
だけど、そうなりたいって思える人が姉ならば、
理想に掲げるのは素敵なことのはず。


自分を大切にすることがわからないわたしが、
自分を大切にするために、
自分を大切にできるNo.1の大嫌いな姉を理想像に掲げることは、
自分を大切にすることへの最短距離なのかもしれない。


大好きな姉へ。

遅いけど、やっとだけれど、
「私も、私が一番かわいいよ!」


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