第111話「深読み MY LITTLE TOWN(サイモン&ガーファンクル)後篇」
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2019年9月19日
スナックふかよみ
土地を手に入れるため、銃撃し、よごれた血が流れる…
なんてこった…
エルサレム旧市街地の歴史じゃないですか…
『ライ麦畑でつかまえて/キャッチャー・イン・ザ・ライ』のホールデン君や、『日の名残り』の執事スティーブンスも顔負けの「信頼できない語り手」ぶりだよね。
さて、ポール・サイモンの「故郷の歌」は、まだまだ続くよ…
「洗濯」の次に歌われる描写も怪しいわ。
And after it rains, there's a rainbow
And all of the colors are black
「黒だけしか色がない虹」って何よ? そんな虹ってある?
しかもポール・サイモンは「想像力の問題」って言ってる…
「僕の小さな街では昔から何も変わっていない」とも…
どういう意味なの?
It's not that the colors aren't there
It's just imagination they lack
Everything's the same
Back in my little town
簡単なことだよ。
頭に思い浮かべてごらん、「黒だけしか色のない虹」を…
えーと…
虹の7色が全部「黒」なら、こんな感じかな…
うーん…
何が言いたいの、ポール・サイモンは?
あっ!
どうしたのよ、急に大きな声を出して…
これですよ、これ!
「黒しか色のない虹」とは、ユダヤ教徒の正装のことです!
『バル・ミツワー』オスカー・レックス
あ…
そういえばさ。
「阪神タイガースの帽子」も「白黒の縞々」じゃない?
あ、そうですね…
ポール・サイモンも13歳の時に経験した成人式「Bar Mitzvah(バル・ミツワー)」とは「戒律の子」という意味…
白黒の縞々模様の付いた正装をして、ラビの前で「TANAKH(タナハ)」を朗誦する…
つまり「白黒の縞々にTANAKH」…
そしてそれは…
『ライフ・オブ・パイ』の「ラビ」と「シマウマ」の元ネタ…
そういうこと。
さて、次はこの歌のサビだ。
短いけれどインパクトのあるフレーズが何度も繰り返される…
Nothing but the dead and dying
Back in my little town
死んだ人と死にそうな人しか
僕の小さな街にはいなかった
インパクトありまくりでしょ…
こんなサビの歌って、他に無いと思うわ…
長い歴史の中で、エルサレム旧市街地は、幾度も戦火にまみえた…
第二次世界大戦後も、イスラエルとアラブ諸国の間で激しい争奪戦が繰り広げられ、旧市街地では多くの血が流された…
イスラエルが旧市街地を奪還したのは、1967年の第三次中東戦争でのこと…
それ以降も旧市街地周辺では、小規模な戦闘やテロが相次いだ…
だからポール・サイモンは、こんな歌詞を書いたわけだ…
なるほど…
ポール・サイモンがこの歌を「nasty song(悪戯心や毒気のある歌)」と呼んでいたのも納得です…
それに対してアート・ガーファンクルが「興味深い」と言ったのも…
あのやりとりは、そういうことだったのね…
だけど本当に興味深いのは、間奏の後に歌われる最後のパートだ。
こんなふうに始まる…
In my litle town
I never meant nothin
I was just my father's son
僕の小さな街では
僕は決して何者でもなかった
僕は「父の息子」に過ぎなかった
わかるわ。
田舎ってさ、「〇〇のせがれ」って呼ぶのよ。知らないおじちゃんとかが。
お願いだから父の名を出さないで!って、いっつも思ってた…
この言い回し、怪しいですよね…
「I was just my father's son」の「father」って…
本当は大文字で始まる「Father」なのでは…
大文字で始まるファーザー?
その通り。ここでの「father」は大文字で始まる「Father」…
「God the Father」つまり「父なる神」のことだ。
その息子ということは…
イエス・キリスト?
だね。少年時代にポール・サイモンが憧れていた存在「イエス・キリスト」だ。
だから、こんなふうに歌詞が続く。
どれもイエスとエルサレムにまつわるもの…
Saving my money
Dreaming of glory
Twitching like a finger
On the trigger of a gun
「Saving my money」は…
エルサレム神殿での「お金」問答…
『カエサルのものはカエサルに』
ピーテル・パウル・ルーベンス
「Dreaming of glory」は…
これだね。
イエスは最後の晩餐の席で、これから体現することになる「神の栄光」について、弟子たちに語った…
『最後の晩餐』
レオナルド・ダ・ヴィンチ
それじゃあ最後の「Twitching like a finger on the trigger of a gun」は?
「銃の引き金を引く時みたいに震えた」って?
最後の晩餐の後の出来事…
オリーブ山のゲッセマネの園で、イエスが死の運命に苦悩し、父なる神に祈ったときのこと…
『ゲッセマネの苦悩』
なんてこと…
本当にイエスが銃を構えて震えてるみたいに見える…
これって、ポール・サイモンからアート・ガーファンクルへの「挑戦状」かもしれないわよね…
アートは美術史の学位を持っていたから…
「この歌詞の元ネタ、君にわかるかな?」って(笑)
ポール・サイモンなら、やりかねません。そういうジョークやいたずらが大好きですから。
この歌が録音される前の二人のやりとりの意味が、完璧に腑に落ちました…
というわけで、これがS&Gの『MY LITTLE TOWN』の謎解きの答え…
ポール・サイモンは、二人の故郷「ニューヨーク市クイーンズ地区」の話をしているふりをして、魂の故郷「エルサレム旧市街地」の話をしていたというわけ…
『ライフ・オブ・パイ』の主人公パイのように…
自身のルーツ… そして憧れの存在…
そのどちらもが落とし込まれた歌だったのね…
そしてポール・サイモンは…
『MY LITTLE TOWN』で歌った「魂の故郷」の地へ向かった…
え?
ポール・サイモンは、『MY LITTLE TOWN』が収録されたソロ・アルバム『Still Crazy After All These Years(邦題:時の流れに)』のワールド・ツアーを、1976年から1977年にかけて行った…
そして、ひと段落ついた1978年…
ついにポール・サイモンはイスラエルの地を訪れ、初コンサートを行う…
エルサレムで?
いや。まだエルサレムでは外国人アーティストが大規模コンサートを開ける状態ではなかった…
コンサートは「海辺のカイサリア」で行われたんだ…
海辺のカフカ?
カフカじゃなくて、海辺のカイサリア。
イスラエルの経済の中心地テルアビブ・ヤッフォの北部にある、ローマ帝国時代の都市遺跡「カイサリア・マリティマ(海辺のカイサリア)」の「コロシアム跡」で、ポール・サイモンのコンサートは行われた。
Caesarea Maritima(カエサリア・マリティマ)
下に映ってる丸いところが闘技場跡?
そう。
あのコロシアムは、今では野外コンサート場として、とても有名なんだ。
ディープ・パープルやピンク・フロイドなど、名だたるミュージシャンが、あそこでコンサートを行っている。
おそらく、その先駆けとなったのが、ポール・サイモンの1978年コンサートだろう…
その時の映像は残ってないのですか?
残念ながら残っていない…
ただ、その翌年1979年に行われたジョーン・バエズのコンサート映像はある。
ちなみに…
「海辺のカイサリア」でのコンサートで、ポール・サイモンが一番最初に歌った曲は、何かわかる?
そんなのわかるわけないでしょ!
そうかしら?
ヒントは「カイサリア」…
それはコンサート会場でしょ? だから何なのよ!?
「海辺のカイサリア」ことカイサリア・マリティマとは…
ユダヤのヘロデ大王が、初代ローマ皇帝アウグストゥスこと「ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス」に捧げた街…
どうでもいいけど、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌスって名前、長過ぎない?
あっ! わかりました!
ポール・サイモンが「海辺のカイサリア」コンサートで一番最初に歌った曲は…
『僕とフリオと校庭で』ですね!
は?
ふふふ。正解(笑)
何でよ? わけわかめだっつーの!
だって「Julio(フリオ)」の原型は「Julius(ユリウス)」…
つまり「ローマ皇帝」という意味だったじゃないですか!
その通り。
ユダヤ人がローマ皇帝に捧げた都市カイサリアのコロシアムで行われたコンサートだから、ポール・サイモンは一番最初に『Me and Julio Down by the Schoolyard』を歌った…
ちなみにその次の曲は、S&G時代のヒット曲『Homeward Bound』…
『僕とフリオと校庭で』から『Homeward Bound』の流れって、ちょー意味深…
なんで?
邦題が『早く家に帰りたい』の「Homeward Bound」は「家路につく・故郷に帰る」って意味!
あとは察してよね!
あ、そっか…
さて…
念願だった「魂の故郷」を訪れたポール・サイモンは、「次なる夢」を実現するために行動に出る…
次なる夢?
子供の頃から憧れていた存在…
「イエス・キリスト」を演じることね…
パイみたいに…
ええっ!?
つづく
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