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成長スローな息子に学んだ、魔法の言葉
うちの子は、ほんっと~に成長がゆっくり。
同級生が遊びにくると、受け答えの的確さ、語彙の豊かさにおどろいてしまいます。
息子よ、大丈夫!?
親として心がゆれてしまうとき、いつも唱える言葉があって。
お守りのようなその言葉と出会った経緯を、今日は書きます。
トイレトレーニングが終わらない
「いい加減にしてよ」
気がつくと大きな声で、3歳の息子につめよっていた。
一体いつまで?
ウンチのついたパンツを洗う。涙が滲んだ。
ちいさな息子に罪はないのに、こわい顔で怒ってしまった。
自己嫌悪。ちっとも大人でない自分。
窓からは、涼しい秋風が入ってくる。
幼稚園の年少さんも、あと半年で終わってしまう。
園から帰った息子には、オムツをパンツにはき替えさせる。子どもが気持ち悪さを感じないと、オムツ離れによくないと聞いたから。
これ以上何をすればいいの?
せめて、ウンチだけでも卒業してよ。
公園で、子育て広場で、穏やかでやさしいママだと言ってもらうことが何度かあった。やさしいかは別として、穏やかなタイプだとは自分でも思う。
けれども今――3つの子どもを相手に、激しい感情を抑えられない。決壊はこわれてしまった。
暴力だけはふるわなかった。けれど、ドスドスとやつあたるように歩き、バシャバシャと音をたててパンツを洗った。怒りながらも、手を止めないのは、誰もやってはくれないから。
心の中はぐちゃぐちゃだった。
こんなママにはなりたくなかった。
もういいや
永遠に終わらない気がしたトイレトレーニングは、
「もういいや。どうにでもなれ」
と悟りの境地にいたったときに、あっさりと終わった。
4歳4カ月。息子は年中さんになっていた。かなりゆっくりだったけれど、それでも終わった。
怖い顔でつめよったとき、息子はどんな表情をしていたのか。
記憶がない。
どんだけ余裕がなかったんだ?
必死だった自分を、今はすこし愛しく思う。
息子3歳、話せた言葉は2つだけ
わたしが勝手に追いつめられていたのには、もうひとつ理由があった。
息子は、発語もおそかったのだ。
笑顔は最高にかわいく、聞き分けもいい。こちらの話すことが伝わっているのは、確かに感じる。そう、この子は賢い。にもかかわらず、言葉は出てこなかった。
かなり長いこと、息子は「て」の一語とジェスチャーだけで会話していた。
”あっちに行きたい”は、指さしながら「て」。
”おしっこ出ちゃった”は、洋服を引っぱって「て」。
それでもコミュニケーションが成り立つのだから、ある意味すごい。
ちなみに、”ママ”を示す言葉は「たーたん」だった。
そして、”パパ”も「たーたん」だった……。
3歳の息子が話した言葉らしきものは、「て」と「たーたん」だけ。
まわりの子は皆、言葉を習得しつつあった。幼児ならではの言い間違えや、おませな話し方。みんな可愛かった。あんな風に息子と会話ができたら……。心の隅にはいつも、うらやましさと寂しさがあった。
これまた、長い道のりで。
幼稚園に入ってすこしずつ言葉が増えたものの、息子が文章で話すことはなかった。やっと二語文を使い始めたのが、4歳だったと記憶している。
それでも5歳になった頃、「このまま話さないのでは」という心配はすっかり消えた。
魔法の言葉
うちの子は、他の子よりも2年(ヘタすると3年?)余計にかかるんだ。
トイレと言葉の習得をとおして、わたしは気づいた。
マイペースが過ぎません?
だが、結局できるようになるのなら、ヨシとしようではないか。
「2年待て 」
この言葉は、わたしのお守りになった。
先日も、「ちょう能力」を「ひょう能力」、「えらい」を「へらい」と書いてある小学4年生のノートを見つけた。
「2年待てば、書けている」
お守りの呪文をそっと唱える毎日だ。