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ワールドトリガーの違和感についてちょっと語らせてくれないか

「遅効性SF」というフレーズを聞いたことがあるだろうか。

即効性の反対、つまり後からジワジワ効いてくるという意味合いなのですが、詳しくは私も知りません。まぁ、要は『噛めば噛むほど味がするスルメのようなもの』と思って頂ければ間違いないでしょう。
そんなスルメのような後からジワジワ効いてくる作品、「ワールドトリガー」についてちょっと語らせてくれないか。


他作品には見ない、何かが違うこの違和感


私はこの記事で「ワールドトリガー(以下ワールドトリガーを「ワートリ」と呼びます)が面白いよ」なんて陳腐なことを言おうとは思っていません。そんなもの私がイチイチ言わなくてもワートリは面白いからだ!!

そうではなく、この記事では私がワートリを読んでいて他の作品にはあまり感じなかった『違和感』について紐解いていきたいと思います。

というのも先日、突然宇宙と交信出来たかのように「あれ、ワートリって、もしかしてこうじゃない...?」と自分の中で発見したことがあり、それをTwitterでつぶやいたら思いの外反響があったので、じゃあ折角だから記事としてまとめるかと本記事を書いております。

※当方のオタクアカウントです、お仕事で繋がっている人はどうか私をそっとしておいてください。

ワートリ初見時にどことなく感じていた『この作品は他の作品と違うぞ、でもなんだ、何が違うんだ?』と魚の骨が喉に引っかかっていたような違和感。そして「あ、これはこういうことかもしれない」と自身の中で腹に落ちてきたある種の喜び。

この違和感、もしかしたらあなたも感じていたのかもしれない。そしてもしかしたらこの違和感がワールドトリガーを作り出しているのかもしれない。よければ私と一緒にこの違和感の沼の奥を覗いてみませんか。

※この記事では本編ネタバレを含んでいます。原作未読の方は十分にご注意ください。※


そもそもワールドトリガーてなんや


本題に入る前に、ワートリを全く知らない人の為に簡単に作品の説明を入れておきましょう。原作未読でこの記事を読もうとしている猛者がいたら君はもうワートリの沼に浸かっているぞ、ようこそ。

ワールドトリガーとは月刊漫画雑誌「ジャンプSQ.」にて絶賛連載中の葦原大介先生による少年漫画です。

異次元からの侵略者「近界民(ネイバー)」の脅威にさらされている三門市(みかどし)。そこに住む少し正義感の強い中学生・三雲修は、謎の転校生・空閑遊真と出会う。遊真の行動に振り回される修の運命は!? 最新型SFアクション始動!!

コミックス一巻紹介文より

原作の内容を知って改めて一巻の紹介文を読むと思わず笑ってしまうのもワートリの魅力です。「あ、うん」てなりますね。振り回される、あ、うん。

すごくザックリ申しますと、近界民(ネイバー)という異世界人が攻めてくるから三門市にボーダーという防衛組織を編成し、トリガーという特殊な力を使って三門市ないし地球を守ろう!とする人々の物語です。

本当は公式の絵を載せたいのですが、それはちょっとアレなので代わりに自分の絵で…。ちなみにタイトルの「ワールドトリガー」というロゴも自作した。ウケる。みんな原作を読んでくれ頼む。


紹介文だけを読むと漂うSF臭、特撮感が出るのですが、本作は想像以上にかなり緻密な作品設定と「そういやこれSFというカテゴリーだったっけ」と思える程不思議なリアリティーを味わえる作品です。ここではそんなワートリの世界観を堪能しつつ、他の作品ではあまり感じられないワートリならではの『違和感』について掘り下げていきたいと思います。

私の中ではかなり新鮮で、刺激を受ける良い違和感です。

私がワートリを読んで感じた良い意味での『違和感』は下記3点になります。

  1. 作品舞台

  2. 時間軸

  3. 作者の立ち位置


それではいきましょう、トリガーオン!


作品舞台に関しての違和感


まず①作品舞台についてです。

基本的にワートリの舞台は「三門市(みかどし)」です。というか三門市から離れられません。これは緊急脱出(ベイルアウト)という画期的なシステムがあるが故の地理的制約を受けているからだと推測されますが、この『三門市から舞台が離れない』のがまず異常なのです。

「緊急脱出(ベイルアウト)」システム。別名:推しが死なないオタク救済システム


何故か?
私は何か物語に動きがあったり、心機一転を醸し出す為に一番簡単なのが「舞台を変えること」だと思っています。これは経営コンサルタントの大前研一さんが「人間が変わる方法は三つのことしかない」という論から取っている考えなのですが、大前さんによれば人間が変わるには以下三つになります。

①時間配分を変える
②住む場所を変える
③付き合う人を変える

大前 研一「時間とムダの科学」より

私は個人的にこの説は物語でも応用できると考えていて、漫画で言えば下記の変化になります。

①時間軸を変える(現在編から過去編に突入する)
②舞台を変える(主人公たちに旅をさせたり、活動拠点を変える)
③キャラクターを変える(新キャラを登場させたり、過去のキャラを再登場させる)

この三つの中でも②の舞台、つまり活動舞台を変えることが比較的簡単に、且つダイナミックに物語に動きをつけられると感じています。
例えば主人公たちが修行しに違う土地に出掛けたり、新しい敵を倒しに別の拠点に行くなどです。もうそれだけで読者は『あぁ〜新章だな〜』とワクワクするもんなんです。

ワートリはね、それがねぇ!!!

これは....え、なんで、凄くない?と感じたわけです。
一巻からずっと三門市。ずーっと三門市!もっと言えば主人公たちの拠点となる玉狛支部とボーダー本部と修君たちの学校くらいです。二四巻も出てるのにず──っと三門市!学園モノのように京都に修学旅行に行って抹茶のソフトクリームを食べたり、海水浴で水着回といった小さなイベント回さえありません。Always 三門市。

なんだこれ、普通なら読者に飽きがくるよ?これでよく物語描けるな!?と驚愕します。しかしそれが飽きないのです。何故ならボーダー本部の仮想空間、ないしランク戦(組織内での模擬試合)で設定される戦闘の舞台が毎回違って、それを見ることで舞台が変わったように『見えるから』です。読者は飽きに気付きません。

同じジャンプ作品の「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」もかなり面白い作品ですが、両作品はそれぞれキャラクター達がいろんな土地に出掛けたり、新しい舞台で活躍していきます。
一方でワートリはず────っと三門市!


玄界(ミデン)での描写に拘っている、意図的か?


そして驚くべき点は作者はそれを意図的にしているのかとさえ思える点です。「玄界(ミデン)」での描写に拘っているのかもしれないのです。

玄界とはワートリの中で地球のことを指します。地球以外の星や国々を「近界(ネイバーフッド)」と呼んでいますが、そこに住む近界民(ネイバー)達は地球のことを「玄界」と呼んでいます(理由は不明)

異世界と地球(三門市)の話が主軸であるにも関わらず、ワートリの中ではこの異世界である近界の描写が恐ろしく少ないのです。

玄界とは別の星、近界の一つであるアフトクラトルから来たヒュース君とエネドラに注目してみます。
ヒュース君はとある理由から自分の部隊から玄界に置き去りにされ、母国に帰ることを願っているキャラクターです。エネドラは部隊から見放されて昔の仲間に復讐などを目的に主人公たち玄界に味方するキャラクターです。

ワートリのマスコットキャラクター(左)と帰国したいのに帰りのチケットが取れなくて余儀なくハートフル玄界ライフを強いられた甘えんボーイ(右)


さて、このアフトクラトルに属するこの両者のキャラクターですが、母国に帰還することを切望してヒュース君がどれだけ「アフトクラトルに帰りたい」と願っても、昔の仲間に復讐を誓うエネドラがどれだけアフトクラトルについての情報を主人公達に教えても、本編ではアフトクラトルが舞台になったシーンを出しません。

普通ならこの辺りで『一方アフトクラトルでは』という風に、ヒュース君とエネドラを見捨てた元隊長であるハイレインの行動が分かるちょっとしたシーンや、ヒュース君が帰還を望む大きな理由となっているヒュース君の主君の登場があっても良いのにそれもやりません。
これだけ「特定の異世界」がクローズアップされた中でもその異世界を出さない。
ここまで舞台が変わらない作品を私は知りません。これは意図的でしょうか。


敵サイドを描くときも玄界に侵入してくる時のみ


ワートリは基本的に主人公サイド(ボーダーサイド)のキャラクターの視点で描かれます。登場人物がほとんどボーダーサイドというのもありますが、敵サイドの視点で描かれるのも敵が玄界に侵入する時のみです。

玄界に既に潜入しているか、もしくは限りなく近いところにまで来ないと敵サイドを描かない。
既に二四巻も発刊されているのに本当の意味での敵が二組しか出てこないというのも異常さを際立たせています。

二四巻も出てて、少年漫画なのに敵が二組しか出ていないんですよ。しかもその内の一組は舎弟みたいな存在で、既に玄界に攻めた兄貴分(ハイレイン)に「お前、ちょっと玄界行ってこいよ」と命令されて嫌々来たようなもんです。なんだこれ???(褒めてる)

ワートリのバトルシーンはボーダー内でのランク戦という模擬試合が殆どで、いざ本物の敵が来ると「え、敵...?あ、これが本物の敵か?うわー!敵だー!」と何故か変な驚きがあります。今まで敵だと思ってた人がよく考えたら味方の仲間で、敵が来ると共闘するのもまた胸熱な展開です。

「ワールドトリガー」とタイトルにワールドと入っているのにも関わらず作品の中では相反するかのように三門市から舞台を変えない。もしかしたらこの『ワールド』は沢山の世界というよりも『トリガーで作られた一つの世界(国)』を指しているのだろうかとすら考えさせられます。

こうしたことを考えると今後三門市からやっと舞台が変わる近界遠征編が、ある意味とてもワクワクして、そして恐くもあります。遂に舞台が変わる、何が起きるのでしょうか。


時間軸の違和感


次に②時間軸についてです。

この違和感を一番最初に感じました。「あぁ?」てなった。なんだろう、ワートリって凄く『いまの時間軸に焦点を当ててる作品』だなと感じます。言語化むずい。

一番分かりやすかったのが11巻にあるラウンド二で穂刈先輩が笹森君に感じた「こんな落ち着いたやつだったか?こいつ」という台詞です。
何気ないこの台詞ですが、よくよく考えてみると読者は笹森君のことをまだよく知りません。先の大規模侵攻で風間さんに怒られてた子かな?くらいの感覚なはずです。

で、あるにも関わらず。

「こんな落ち着いたやつだったか?」の台詞で読者は『あぁ〜昔は突っ走るタイプだったのね〜確かに前に風間さんに怒られてたもんね〜、それで意識変わっていまの笹森君になったのね〜了解〜!』と瞬時に理解することになりますよね。

コレよ!!!!!
いや、落ち着きなかった頃の話とか事前にもっと入れて読者向けの下準備とかこの台詞に対しての理解度とか上げさせる助走シーンは無いのか!!

そうではなく、今のこの現在という時間軸の中のキャラの掛け合いで『感じ取ってね』スタイル。これが本当に憎い演出というか、ズルいです。

この時の風間さんの言動も後々「あの態度は珍しかったよね…?あぁ、なるほどね…!」と感じられるのもワートリの遅効性の魅力のひとつです。


読者はこの台詞だけで笹森君の過去の性質と成長している今をほぼ理解出来たと言ってもいいでしょう。
この台詞をアニメで一番最初に聞いた時「え、でも私この笹森君のことよく知らんよ...?そうなの?」と戸惑いました。記憶力の無い人間なので最早『誰だっけ?』とも思ってた(笹森君ごめん)。そして大規模侵攻編を観返してやっと納得した。なるほどね!憎いね!

他にもワートリは過去編などをやりません。キャラクター自身が自ら回想するシーンはあります。だけどそれ以外ではほぼやらない。これも凄い。

過去編として作品の何か大事な謎を解き明かすといったことがありません。二四巻進んでるのに未だに四年前の大規模侵攻の謎も分からない、旧ボーダーについても分からない。もっと言えば三巻で風間さん達遠征部隊が回収した四つのトリガーの性能なども未だ分かっていない。

そして大きな謎を明かす時は現在軸のキャラに喋らせる。今のここに!フォーカス!

「これらのことは自ずとキャラクター自身が辿り着いて解明していくものだと思います」と言っているかのように現在の時間軸にフォーカスして、『いま、この時点でのキャラクターを描いてる』。
作者が作品の時間軸を変えて語らせるのではなくあくまでもキャラクター自身の目線で、その時間軸で語らせる。この姿勢が凄いのです。


作者の立ち位置の違和感


最後に③作者の立ち位置の違和感です。

これはファンからの質問に答える先生の言葉使いからなのですが、「〜なんだと思います」「〜のようです」と作者である葦原先生が決めてるというよりは、芸能事務所のマネージャーのように「本人がそう言ってました」と教えてくれるような話しぶりです。

あたかもキャラクターが実在しているかのように丁寧に扱ってくれるのが新鮮過ぎました。よく「自分が作ったキャラクターはみんな息子や娘」というフレーズを聞きますが、葦原先生の場合は「友人や仲間」など対等の立場のように感じます。そして一人ひとに敬意をもって接しているかのよう。諏訪さんの立方体イジリも愛があって好き。

ワンピースの尾田先生にも同じ感覚を覚えることがありますが、この立ち位置というかスタンスが好き過ぎます。あなたは作品の絶対的な神ではあるけれど、そういう神ではないんですね。SUKI。

ワートリの良さによく言われる「チーム制の白兵戦」については、ヒュース君が以前「こんな原始的な戦いに何を言うことがある?」と言っていたので、もしかしたらトリオン兵以外にも何か兵器が出てくるのかなと少しワクワクもしています。


絵描きから見たワートリ、引き算のキャラクターデザイン


これはワートリ絵を趣味で描いてて常々思うことなのですが、ワートリキャラってとても描きにくいのです。他の作品では「このキャラクター描きやすいな」と思える割合がそれなりにあるのですが、ワートリは何故かみんなが描きにくい。この差は何故なんだろうと考えていました。

そして気が付いたのです。
「あぁ、キャラデザが引き算なんだ」

キャラを引き立たせる為に大体どの作品も過度な特徴、足し算のキャラデザになることが多い中で、ワートリはあまりそれが無い、もしくは少ないと気付きました。

例えば作品の中でも「イケメン」という設定があればその定義は何か、目の大きさ、吊り目、髪の艶、髪型、服の装飾などが色々考えたりするのですが、足し算のキャラデザだとその足し算部分が絵の目印になって描きやすくなります。

しかしワートリはそれがすごく少ない、というかみんな平均的なのでその中での差異を見つけるのにとても苦労します。語弊なしに言ってしまうと「普通」なのです。

だから細かな特徴を掴んで描かないとすぐに「誰おま?」になります。初見ではこのワートリのキャラデザを地味と感じるかもしれません。けれど私はこの「普通」のキャラデザでここまでキャラの魅力を引き出すストーリーと緻密なキャラ設計に感嘆しました。

これは個人的な好みの話にもなるのですが、私はどちらかと言うと奇抜すぎるキャラデザには少し引いてしまう傾向があって、漫画やアニメなどフィクションの中でもどこか現実を感じさせるようなデザインが好きです。「特徴があるキャラデザだけどどこかリアルに感じる」「不自然すぎない、現実に居そう」と思えるビジュアルが好きだったりします。

ワートリのキャラクター達はその普通さを備えているキャラデザだと感じます。メインとなるのが中学生、高校生などの年齢の子達なので、「あ、確かにどこか居そうな顔だな」と思える。過度なイケメンすぎないし、不細工すぎない。この普通さが良くて、そしてそういうキャラにもすごく話をフォーカスさせたりもする。

ビジュアルでキャラを選別しない、みんな平等に愛して、みんな活躍させている。この配慮が素晴らしいと思えるのです。東さんとか初見完璧モブキャラだと思ってたのに、今では完璧『東さん』なんですもの。もはや東教祖ですよ。凄い。モブ顔言うてほんまごめん。

メイン主人公の修君は一見地味めなキャラデザですよね。まぁ、それが俺らの三雲修なんですけど。やめろ、ペンチは持つな。

シンプルだからこそ、そのキャラが持つ小さな特徴を掴んで描く難しさ、そしてその中でキャラクターを輝かせる緻密なキャラ設計、とても勉強になります。


読者は描かれているシーンしか知らされていない


ワートリは読者の為に作品を描いてると言うよりも、読者は『描かれているシーンしか知らされていない』と強く感じます。

ワートリは連載モノなのにその感じがあまりしないのです。

普通は「作者が現在進行形で物語を作ってます」という、料理で言えばシェフの調理過程がある程度作品から滲み出ると思われるのですが、ワートリにはそれが感じられません。
完成されたフルコースを時間通りに出されてる感覚です。そういう隙が見えないからこの作品は恐ろしいのです。

個人的意見ですが、普通は「いま作ってます」「こう考えてます」という作者の思考とか動いてる図が何となく作品から滲み出てくると思うんです。
だから読者も「作者はこう考えてるのかな?」と一緒になって考えていくような感覚が芽生えるんですけど、ワートリは最早歴史が完成されてて読者はただそれを浴びるしかない、という唖然や呆然に近い感情があります。

もはや取り憑く隙もなく、ただただ浴びるだけ。勝てねぇ。そういう恐ろしさがこの作品にはあると思うのです。

歴史がもう既にあるんだな、感がすごい。なんとなく完成された歴史を浴びるという意味合いでは『銀河英雄伝説』を観ていたときに似ています。ぎ、銀河の歴史がまた1ページ.......。いや、ワートリにはベイルアウトがあるから、大丈夫、大丈夫.....。(トラウマ)

最新話を知った後に初期の話を見ても「連載ものの初期の違和感」が感じられないことにも軽く衝撃を受けます。

大体初期はキャラの口調にブレがあったり、まだキャラとして確立出来てない頃の違和感があるはずなのですが、ワートリはそれがほとんどありません。
東さんばかり引き合いに出して恐縮ですが、東さんは最初からいまの東さんの強さだった。大規模侵攻編で「このモブの人強くない?」とド失礼な感想を抱いていた自分を殴りたい。すみませんでした。

唯一「変わったなぁ〜」と思えるのがヒュース君の毛並みくらいでしょうか。ツンツンからトゥルトゥルになった。まぁ、あれは野良猫から家猫へと変貌したから仕方ない。リビングで一人でおやつを食べられるくらいに成長したしな。

ワートリは単純な物語の面白さもあるのですが、私はそれ以上に「創作者としての葦原先生の作品作り」に感銘を受けます。

どうやって、何を考えて、どこまでキャラクター設計をしてお話を作り出しているのだろう。何故まだ登場していない顔も分からないチーム全員のフルネームとプロフィールを作れるのだろう。しかもそれを明記したオフィシャルブックを先に発売しやがった。思わずファンは「...誰?」と頭を抱えたよ。

なんなんだ、本当に何なのだろう。

この感動に近い感情を誰かに共有したくて、そしてこの記事を読んだ方がもう一度コミックス読み返したり、アニメを観て面白さを反芻して楽しんだり。またはワートリをまだ知らない、原作未読の方がコミックスを手に取って頂けるかもしれないと思ってこの記事を書きました。

正直まだまだ語りたいことは沢山ありますが、私のトリオンも残り少ないのでこのくらいにしようと思います。

少しでもワートリの魅力をお伝えできたなら本望です。
ワールドトリガーはやっぱり面白いね!

ありがとうございました。


<戦闘体活動限界 ベイルアウト>


▼まさかの第二弾ができました(2023.03.05 追記)


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