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部落差別という呪いを受けた村に生まれた話

このnoteを公開するかどうかかなり悩んだ。
それは私の中での感情の着地点が見えず、これを公開することでなんの意味があるのだろうと自分でも分からなかったからだ。
だけど、もうこのタイミングではないと恐らく今後もう一生これを書くことはないだろうと思った。だから備忘録として残してみようと思う。


これは私の奥深くに居座り続ける一種のアイデンティティでもある。


◇◇◇◇

アメリカで広がっている人種差別のニュースを観て愕然とした。
アメリカ建国の父の一人であるトーマス・ジェファーソンの銅像が薙ぎ倒される映像が流れてきたからだ。

私は歴史を学ぶのが大好きで、アメリカ史の本も読んだこともあった。
その為、アメリカ史において偉大な銅像が薙ぎ倒される映像は歴史好きの人間として相当ショックだったのだ。

同様にイギリスでも人種差別を容認したとされる歴史上の人物の銅像を撤去する運動が活発になり、銅像を川に落とす映像が流れてきて目眩がした程だった。
黒人の男性がテレビのインタビューでこう答えていた。

「こんなものは無くしてしまった方がいいんだよ」

その言葉を聞いて歴史好きとして怒りを覚えたのと同時に、一歩引くと全く同じように考えている自分がいることにも気付いたのだ。気付いた瞬間に何も考えられなくなっていた。


「同和問題」「部落差別」という言葉をご存知だろうか。
簡単に言えば江戸時代の士農工商の身分制度から基づく身分差別のことであり、住む地域・地区によって差別を受ける地域差別のことだ。
「出生地ガチャ」のようなものであり、差別される地区が存在し、その地区で生まれた者は差別されるというものになる。
そしてその地区の人間を「部落出身者」「被差別部落の人間」と言われる。


私は部落出身の人間だった。


(2021/8/27追記)この記事を公開して予想を超える反響と沢山の方に読んでいただいたことに感謝しております。公開して時間が経ったこともあり、これ以上広めるのもどうかと思いまして、考えた末に有料にさせて頂きました。本当に読みたいと思える方にのみ読んで頂ければと嬉しいです。
よろしくお願い申し上げます。


「部落の人間だから、差別について学ぼうね」と言われて数年間学んだ


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