担任がアル中

「月曜は手が震えるんだよ、酒で」

いい意味で人間のアクを煮詰めたような人だった。いや、いい意味ではないかも。本当に煮詰まっていたから。衝撃の冒頭は、彼が給食(懐古文化)の時間にこぼした教師としてギリアウトな発言の1つである。見るだけでも手が震えているとわかる程度には振幅が大きい、並の人体で起こせる震度ではないそれに、アル中の本気を見た気がする。汁物が出た時なんかはいつその頼りない器が貴方の震えを受け止めきれなくなるか、私は心穏やかでなかった。

彼は国語の先生だった。彼の授業の板書はものすごく字が小さい。手首を黒板につけて固定して書かないと字が震えてしまうから。黒板に寄りかかって授業をするから、ハードオフで購入したくたびれた背広に板書が写る。他のクラスの授業の後は「あの範囲の授業したんだ…」と、彼の背中から学ぶ。これは、比喩じゃなくてね。

「俺はこの人生がドッキリだと思ってる」

まあたイカれたことを、と思うだろう。彼は死後、 地球が2つに開き、家族、友人、昔の恋人、海外に行き行方をくらました弟、亡くなった知人が集まってきては愉快な音楽と共に「ドッキリ大成功」と言い、人生の全てが仕組みであったと全て理解してから死ぬのだと本気で思っていると言った。だとしたら私は仕掛け人からハブられているわけだが、彼のこの説は真偽確かではない。そもそも彼が死ぬかどうかも、死んでみないと分からない。

毎日エッセイみたいな学級日誌を配っていた。彼は話が本当に上手かった。酔ってヤフオクで壺を買うくらいにはどうしようもなかったけれど。壺に侵食されて寝床すら圧迫された部屋で書いたであろう日誌が大好きだった。好きすぎて冊子にしてもらった上に、DVDにしてもらった。ちなみにDVDは見てないので、スタウォーズの冒頭みたいに流れるんじゃないかとまだワクワクしている。

彼は私が話すと「君の話はいつもオチがあっていいね」だとか「君ほどユニークな生徒もあまり見ない」と褒めてくれた。先生、私、年々オチまで話せなくなってるよ。接客しすぎて、接客用語ばかりスラスラ話せるようになっちゃったよ。いらっしゃいませ、ご注文お決まりになりましたらお声掛けください。なんて言って、たまたま知り合いだということもしばしばある。店員としての建前と、顔見知りとしての対応のせめぎ合いが起こりがち。こんな時、どんな顔をすればいいんだろう。

笑えばいいと思うよ。

そういえば先生、先生が面白いんだって言ってくれた本、面白く思えなかったら先生のこと裏切っちゃう気がしてまだ読めてないよ。


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