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#1 私が考えるライフワークバランス

前回の自己紹介で「追い追い」としていた事柄が2つありました。ひとつは現在「無職」であること、もうひとつはnoteをはじめたきっかけとして「ライフワークバランスを考える出来事があった」ことです。よろしければ前回の記事もお読みいただけると幸いです。

どうして無職になったのか、自分なりの「ライフワークバランス」の考え方は何かを書いてみようと思います。これにて自己紹介「完結」です。

2021年夏、無職になる

パニック障害になり仕事を続けることができず退職しました。休職制度は存在しましたが、それを行使することは難しい環境で、有給休暇を使いながら様子をみて、復帰までの期限が見通せないなら退職するしかなかったのです。小規模企業は就業規則に定めていてもそれを活用することができない環境なのが現状です。そういった環境下の職場にお勤めの人は多いのではないでしょうか。

同じ時期に母が週5日勤務生活に幕を下ろします。母は年金を貰いながら週5日のパートを続けていました。外で働いていたいからと。しかし時の流れとともに考え方も変わったようで、そろそろゆっくりしたいと退職をします。我が家で「無職」は母ひとりの予定が急にふたりになり、働き手は年金生活をしながら時々頼まれ仕事をして収入を得る父だけという事態となってしまいました。

働き方を変える計画中の退職だった

結果としてパニック障害になり療養を余儀なくされ、軌道修正が必要になってしまいましたが、母から退職してゆっくりすると告げられた時から、時間に余裕ができる両親と過ごす時間をもっと多く持ちたいという思いが強くなりました。どんな働き方にシフトしていけば実現するだろうかと考え、両親や私自身の年齢を考えると、2~3年、長くても5年で完全シフトを目標にする必要がありました。具体的なスケジュールや、どんな働き方をするのかといったことは考えている最中だったのです。

自分の手術と『週休3日宣言』との出会い

中国で新しい流行り病が出たらしい、日本は大丈夫なのだろうか?と世の中が騒ぎ始めたころ、私は手術を受けるため入院をします。手術そのものはごく簡単なものでしたが、10日ほど入院したのち2週間ほど自宅療養をしました。

手術することを告げられたのは、更に半年ほど遡ります。主治医から「この段階まできたら手術をする」という目安の説明はそれ以前に受けていたのですが、実際に手術をする段階にきたということは病気が進行していることを意味するわけで、簡単な手術とはいえ心的ダメージは大きかったです。少し大げさかもしれませんが、残りの人生についても考えることが多くなりました。

時間は有限ですから

その流行り病は世の中が騒ぎ始めたころにはすでに日本にも上陸していて、その後、緊急事態宣言も発令される状況になりました。前職はリモートワークができない業界だったのと、私自身は事務職でデスクワークだったので、世の中は騒がしいのだけど、いたって通常運転。なかなか実感が沸きません。

そんな日々を過ごすこと半年、『週休3日宣言』という本を手に入れます。私は(個人的には)地方のローカル番組の最高峰といっても言っても過言ではない「水曜どうでしょう」の大ファンで、番組ディレクターの藤村さんと嬉野さんの共著が出版されたわけです。おふたりの著書はほぼ拝読していますが、特に嬉野さんの言葉の紡ぎかたは、私にはとても心地が良く、常に考えることを止めさせません。そしてふと読み返したくなることが多いのです。

水曜どうでしょうの話は今後何度も登場しますのでこの辺にしておきましょう。この『週休3日宣言』と出会ったことで、当時ぼんやりとして形もなかった「働きかたを変える」ということに、輪郭をつけ始めてくれたような気がします。

時間が有限ならば、残された人生を豊かなものにしたいし、大切な家族と過ごす時間は多いほうがいい。働き方を変えなくても工夫すれば実現できるかもしれないけど、それって私にはとても窮屈なものになるのではないかと。働き方を変えることで、新しいことに挑戦して、これまで見当もつかなかった新しい世界が待っているかもしれない。読みながらそんなことに思いを馳せていたのであります。

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