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孤独な中年になってみて

自分は人付き合いに向いていない。
人と関わっても、いつもうまくいかない。
長い間努力もしてみたけど、ダメだった。
無理して人の輪に入っても、どこか疎外感があって辛いだけだった。
もう一人の方が楽だ。
ずっと一人でいよう。
強制的に一人になる環境に身を置いてみよう。

そうして誰も知り合いのいない土地に引越して、誰とも会わない生活を続けてもうすぐ2年。




(´・ω・`)ギブ。




・・・という程でもないんだけど、今までに感じたことのない寂しさが胸のあたりにモヤついている。
かと言って、今さら友人や彼女や家族が欲しいか、と言ったらそれはそれでなんか違う気がして。

引っ越す前の地元にいる時点でも、既に人とは仕事以外ほとんど関わっていなかった。
でも、いざとなったら会える人が身近にいる、という心の甘えのようなものがある自分が嫌だった。
どうせ一生独りなのだから、そういう甘えは早いうちに無くしたほうが良い、と。

この時は、俺なら一人でも問題無くやっていけると思っていた。
「お一人様」に慣れているし、一生独りでいる覚悟をしているから大丈夫だろうと。

でも現実は大丈夫じゃなかった。
人と関わらない生活って、寂しくて虚しい。

あれ。
俺ってこんなに軟弱なメンタルだったっけな。
お一人様のエキスパートじゃなかったっけ。

何より驚くのが、仕事で人に会う平日より、誰にも会わない休日の方がなんとなく憂鬱な気分になっていることだ。
こんなこと今まででは考えられない。

少し話は変わるけど、前回の記事で「最近は休日は出掛けまくってる」のようなことを書いた。
実はこれ、休日に自宅で時間を持て余すのに耐えられないから、というのも理由の一つだったりする。

ちなみに昨日今日の連休もずっと釣りに行ってた。
おかげでこんがり松崎しげるだ。
まあそれはいい。
その連休は珍しくボコスカ釣れて嬉しいはずなのに、やはり心はどこか晴れていない。

この手の寂しさ虚しさは、どうやら一人で趣味を楽しんだくらいでは、もう拭い去ることは出来ないようだ。

繰り返すけど、俺は一人で大丈夫だと思っていた。
強がって意地になっている部分もあるのは認めるけど、それでも「孤独でみじめな中年」にはならず、「孤独でも充実している中年」になれると思っていた。

だが現実はそうはなれなかった。
ネットなんかでよく揶揄されている、典型的な「孤独でみじめな中年」になってしまった。

残念ながら俺は孤独への耐性は持ち合わせていないようだ。
人付き合いスキル0なんだから、代わりにそれくらいの特性を持たせてくれたっていいのに。

人間ってやつは、本能に対して矛盾した不具合が多い生き物だと思う。
俺は特にそんな不具合だらけ。嫌になっちゃうね。

じゃあこの現状をどうすりゃいいか、理屈じゃなんとなくわかっちゃいる。
あれこれ調べりゃ色々な解決策も見つかる。

でも、それが出来ないから我々のような人間は孤独になるんよね。
自分の社会性の無さなんて、とうの昔に気づいている。

だから悩みぬいたし、なんとか克服しようと努力もした。
それでも結果に繋がらなかった。
この歳になるとね、努力したところで人間社会に適応できない人種はいる、という残酷な現実が見えてくるんだよね。
そして自分はそっち側の人間だということもわかってくる。

それでも今の俺は、不安を抱えてはいるが自由でもあるので、見る人から見たら贅沢な悩みだと捉える人もいるだろう。
例えば親族とかの縛りで息苦しく生きている人にしてみれば、孤独であっても自由ならばそれは最高の贅沢なんだろうなと。

まあ悩みは十人十色だし当人にしかわからないものだから、そこは比べようがないけれど。

なんにしても孤独を変えることが出来ないのであれば、あとはこのままどう生きるかを考えなければいけない。

少なくともこのまま陰鬱な気分で過ごすのは嫌なので、自分のためにも何か出来ることを見つける必要がある。
もはや生きる理由も目的もないけど、当面はそれが目的になるのかな。



どうにかできる気がしねぇ

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