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人生を振り返る勇気。〜自分のことのつれづれ〜2回目     

私の実家は土木建築業、父はブルーカラーと言われる職業だ。
父は中卒で.鳶職だった祖父の仕事を始めた。
祖父は、遠山の金さんばりに身体に桜の刺青を彫り、作業着に地下足袋、酒タバコはやめられず、肝硬変で53歳にして亡くなった。
あの頃、私はまだ4歳だったが鮮明に記憶があり、今の私と同じ位とは思えないほど、老けていた。

その頃の土木業は、儲かっていたと思う。
車はすぐ買い替えていたし、旅行も年に2、3回行っていた。
ただ、家族旅行ではなく親戚一同で、だ。

そんなに羽振りもいいのに、住む場所は県営住宅の長屋。
四畳半二間に、母の嫁入り道具の家具がひしめき、革のソファーが置いてある。テレビは無駄に大きく、ろくに聞く事もない最新型のコンポまであった。
寝る場所は、ものがない2畳ほどのうなぎの寝所。
小学校に上がるまで、電話もなかった。

母は、東北から集団就職で上京して、定時制の高校に行きながら、看護師学校に行っていた。
看護師になったものの、学生時代に知り合った父と結婚し、すぐ専業主婦になった。

父は6人きょうだいの長男。
まだ、1番下の弟は中学生だったと聞いている。
祖母は、趣味のように老舗の割烹屋で働いており、父の実家も自分の家庭と2つの家の家事を全て受け持っていた。

私は祖父母の初孫だった。
目立つ事が好きだった祖父は、幼稚園で必要な物もみんなと同じ物を購入せず、わざわざ違う物を購入してきたりした。
母は、忙しく家にいてもあまりかまってもらった記憶はない。
父は仕事しかできない人だったので、帰宅すると酒を飲んで早々に寝るだけだった。
父が私のしつけや面倒を見てくれた記憶もほとんどない。

*本日もお読み頂きありがとうございます☆

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