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E41:あの日の橋の上

父方の祖母に会いに行く時、必ず、ある橋を渡る。
この橋を渡る時、僕は必ず40年前のとある出来事を思い出す。

そして思わず笑ってしまう。 
もちろん当時は笑い事などではなかったけれど…。

40年前、
夏の夕方、僕は小学校4年生。

その日、
僕はまだ小学校に行く前の従兄弟達と一緒に、
機嫌よくドラえもんを見ていた。
すると、風呂から上がった祖父が
いきなり僕たちの前を素通りして、
テレビのチャンネルを掴んで問答無用で野球中継に変えた。

唖然とする従兄弟たち。
その中で1番年長だった僕はムッとして、
勝手な祖父に異議を唱えた。

「じいちゃん、ボクらドラえもん観てたんやけど!勝手に変えんといてや!」

「なぁにぃ? この生意気が! 何、言いよるんか!!俺は野球見よるんじゃ!」
急に祖父にぶん殴られた僕は、部屋の隅に吹っ飛んだ。

64歳の祖父が、10歳の孫をぶっとばす。
令和の今なら完全にアウトである。
いや、昭和でもアウトだろ・笑

僕はただ楽しくドラえもんを見ていただけだ。
なぜ、急に野球中継に変えられなければいけないのか。
なぜ、急にぶっ飛ばされるのか。

理不尽さと、情けなさが、一気に押し寄せ、
僕はわーわー泣きながら家を飛び出した。
 
さあ、そこで慌てたのは祖母である。
祖父の背中を思いっきりひっぱたいた後、
自分で孫を追いかけるのは限界だと判断した祖母は、
隣の家で晩酌をしていた叔父に助けを求めた。

わーわー泣き叫びながら、橋の上まで走ってきた僕は、後ろから猛然と追いかけてきた叔父に、その橋の上で抱き止められ、僕の「プチ家出」は、幕を閉じた。

今ならわかる。

頭に血が上った小学生が、交通量の多い道路を走り回ったら、どんなに危険なことか。

何が起こるかわからない。何かあってからでは遅い。そのことを瞬時に判断した叔父は、ものすごい勢いで家から飛び出し、僕を追いかけてきた。


叔父と祖母に慰められ、僕は、ムスッとしながら祖父母の家まで連れ戻された。そしてその日、祖父は「隔離」され、僕とは会わないように周りの大人が配慮した。

この「事件」のことを後で聞いた両親は、言葉少なに、

「いくら腹が立っても、大人を心配させるような
危ない事はするな」と僕をたしなめただけだった。

いや、なぜ僕が怒られる?
なぜもっと僕を庇ってくれないのか?
当時、僕は大いに不満だった。

今ならよくわかる。
両親も祖父に対して「怒り」があった。
でもそこで、親が一緒になって
「じいちゃんは、ひどいね!」
とやってしまったら、子どもには何も残らない。
残るとしたら、後味の悪い憎悪くらいだろう。
それでは子どもの教育にならない。

後で知ったことだが、この件に関して、祖父は親戚一同から
かなり責め立てられたらしい。
当時の僕には、そのことは知らされなかった。

その後、叔父は酒が入ると、この話を懐かしそうに語り、祖父はそのたびにバツ悪そうにトイレに行き、僕は笑いを噛み殺す、というおかしな状況が続いた。

その日以来、僕が祖父母の家にやってくると、
祖父は自分が見ていたテレビを消して
「好きなものを見ろ」と僕に譲るようになった。


時は、流れ…。

それから13年後、
23歳の僕が、祖父母の家にやってくると、待ち構えた祖父は、新聞のラテ欄の上にリモコンを置いて、まるで、家来がお殿様にものを献上するような感じで、孫の僕に無言で手渡した。

「いや、爺さん、そんな気ぃ使わんでいいよ。好きなもの見たらいいからね」僕は笑いをこらえながら、そう言ったけれど、祖父は苦笑いを浮かべて首を振った。

そして、その時、僕はなぜか直感的に思った。
(あ、これが最後になるかもしれない…。)

僕のこういう直感は当たってしまう。
その年の暮れ、祖父は旅立った。

6人兄弟の末っ子がそのまま大きくなって、
子どもみたいなどうしようもない祖父だった。

最期の言葉は、迷惑をかけたとか、ごめんな、ではなく、 
「婆さん、年賀状書くけぇ、ペンとはがき持って来い」だった。
実際はドラマのようにはいかない。


爺さん、104歳まで生きられればよかったのにね。

今ではBSとかCSもあって、YouTubeもあって
本当に1日中、野球が見てられるよ。
大谷っていう、すごい子が活躍してるよ。
テレビも、勝手に全部録画してくれる。 
ケンカなんてしなくていい時代になったよ…。


豆腐職人の母方の祖父も
子供みたいな、この父方の祖父も

どちらも、情は深いはずなのに、 
表現の仕方は本当に不器用だった。

だから祖父たちには
あまりちゃんと可愛がってもらった記憶はない。
僕のnoteに「祖父たち」が出て来ないのはこういう訳である。

その分、僕は、祖母たちにとても可愛がられたので、
それでいいと思っている。

不思議なことに、あんなに喧嘩した祖父なのに、
時々思い出す。
特に、あの橋の上で。

あの時、僕を全力で止めてくれた叔父も、4年前に亡くなった。
こうして理不尽な出来事も、
40年の時を経て、
少し笑えて、少し切ない、そんな思い出に変わっていく。

父方の祖父の事は、こうして
時々懐かしく思い出す。

ただし、
母方の祖母は、数ヶ月に一度、しっかり墓参りをする。
父方の祖父は、数年に一度、適当に墓参りをする。


そういう差は、孫として、当然つけさせてもらっている。
爺さん、悪いな。許せ。笑

(場所は伏せますが、写真は実際の現場です。)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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