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E66: おかえり、と言って母は泣いた

「源太、お前、学校1人になったからな」
「あ、そうですか」

僕は、担任の先生から受けたその報告を、不思議なくらい淡々と受け止めた。
同級生がたくさんいた僕の中学。

その中でその高校を受ける人は、僕以外に誰もいないのだという。


別に狙ってそうしたわけではなかった。
ただ、たくさんの高校を回って一番行きたかった高校を選んだだけの話だ。

知っている人が誰もいない……
それは不安ではなかったと言えば、嘘になる。

ただ、不安よりも、本当は解放感の方が大きかった。
あまり人前で言うものではないと思って黙っていたけれど…。


出願、試験、合格発表
この3つの段階において、出身中学はやたら集団行動をさせたがった。

今も昔も、群れるのは僕にとって苦痛でしかない。

普段しない学ランのホックを止めて、その日だけ隊列を組んでおとなしく歩く同級生の集団が、なんとも僕には奇妙に見えた。

とにかく1人が、とても楽だった…。


実際、私立高校の出願の日がやってきて

学校ごとに大きな塊を作って、駅のホームを占領している同級生を見たとき、自分だけ身軽に動ける、天から与えられたこの偶然を、どんなに感謝したことか。

「孤独と嬉しさ」を噛み締めながら、
僕は集団から離れ、1人電車に乗った。


そうやって、1人を楽しんでいたから、受験の日も緊張はしたけれど、相変わらず解放感の方がすごかった。

そもそも1時間目が国語だったので、とても落ち着いて取り組むことができた。

(あ、俺、受かったかも…?)

成績も並、偏差値も並、大した進学校でもないから取り立てて秀才もいないが、みんな落ち着いている。
穏やかなその私立の雰囲気は、僕の余計な緊張をほぐしてくれた。


「矢も盾(楯)もたまらず」
国語は、この表現の穴埋め問題だけができなかった。

できなかったから、
15歳の時のこの問題を、今でも覚えている。

他の教科の事はまるで何も覚えていない。
多分、それなりにはできたのだろう。
そもそも僕は、国語しかできないのだ。
でも、それでいい。
だって、受かったのだから。笑

帰り道、その高校を出ると、絵に描いたような粉雪が降っていた。

(あ、綺麗やなぁ…)

寒い日だった。
国語以外の試験のことは、すっかり忘れてしまったのに、その時見た粉雪が美しかったことは、よく覚えている。

レミオロメンのあの名曲が世に出るのは、
まだまだ後のこと。

1人で電車に乗って
1人で受けて
1人で電車に乗って
帰って来た 

鼻歌まじりに。

玄関を開けると
母がいた。

どんな顔をしていいかわからず
とりあえず僕は照れ笑いをした。

その途端
母はその場にへたり込み
僕の手を握って
泣き出した…。

(何?、何?)
目が点になる息子。

「……おかえり……1人で受けてきたん、……よう、頑張ったなぁ…」
母は、そう言って顔を覆った。



「…ねえ、それで源太くん1人で受けに行かせたん?」
「そうよ」
「あんた、そりゃ可哀想に」
「だって、1人なんやから…」
「いや、だからこそ、ついて行ってあげればいいのに」
「でも、あの子、嫌がるもん」
「いやいや、きっと心細いだろうに…」

近所のおばちゃん(今でいうママ友)たちは、
そんなことを母に言ったらしい。


ママ友たちの勢いに押された母。
だんだん不安になり、
玄関先でオロオロし始めた。
携帯も、ポケベルも、なかったあの頃…。

その頃、息子が粉雪を微笑して眺めていたとは
つゆ知らず、帰って来るまで気が気でなかったのだと言う。



もう、
いつまでも子ども扱いして!
大丈夫やから。
まだ、受けただけやから!

あの時、僕はそんなこと言ったように思う。

もちろん
4日後の合格発表で母が号泣したのは言うまでもない。


そんな、大袈裟な……あの時はそう思った。
でも
あの時の母の年齢をとうに越した今、

本当に思う。

親って、ありがたい。
親って、あたたかい。
今は素直に感謝できる。

先日のnagomiさんの記事
とてもあたたかくて、素敵な記事だった。

手汗をかきながら、まるで「父親のような」気分で読んだ。
残念ながら、子どもはいないけれど、いつの間にか
親のような気持ちで子どもたちを眺めている自分に気づく。

あのとき、母はこんな気持ちだったのだろう。
あたたかい記事を読んだら、あの時の母を思い出した。


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