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E24: 31回目の「ありがとう」

(みなさまへ)
 僕としては異例の、長い文章になりました。
 どうか、お時間のある、お疲れではないときに、
 長くて大変恐縮ですが、もしよろしければ
 読んでいただけるとうれしいです。 げんた

よく考えれば、会話の8割がバカな話だった。
高校時代の会話なんてそんなものかもしれない。
一つのしょうもないことで10分ぐらいゲラゲラ笑い、
静かになってジュースを飲み始めたと思ったら、
思い出して2人同時に吹き出してしまう…。

部活もそれなりに一生懸命頑張ったけれど、
思い出すことは、部活前後の他愛もない
バカバカしいやりとりばかり…。

一つ違いの僕らは気が合って、
先輩後輩と言うよりは、
友達のような感じで、放課後を過ごした。

その男、「タカ」を入部させたのは僕だった。
高校の1年後輩。
いつの頃からか、毎回僕らの部室にやって来ては、
バカなことを言って、周りを笑わせて
気が済んだらさっさと帰っていく。
コイツがいれば、部は明るくなるのにな、と思えた。

部室にやってくるだけやって来て、
一向に入部の意思を示さないタカ。
しびれを切らした僕はとうとうタカに詰め寄った。

「やるんか。やらへんのか、どっちやねん?」
「いや、べつに僕は…」
「じゃあ一緒にやろうや、な? ほな決まりな!」
「あ。はい…」

結構強引な誘い方だったけれど、
後で本人に聞けば、
入部を言い出すタイミングを計りかねて
困っていたらしい。
普段はバカ話をしているからわかりにくいけれど、
よくよく考えてみれば、かなり繊細な男でもあった。
そういえば思い出した!
確かに「あの日」も、
かなり人に気を遣っていたっけ…。

ある日の帰り道
「オレはのんびり歩いてるけど、お前は電車の時間、
 大丈夫なん?」
ふと気になって、僕は聞いた。
タカの地元路線は交通の便が悪かった。
バツ悪そうにタカが応じる。
「あ、えっとぉ、……実はあと3分です」
「アホか、お前は! 何で言わへんねん。急げやー」
「いや…先輩話してるし、なんか悪いかなと思て〜」
「おい!ダッシュせい!まだ間に合うから。バイバイ!」
「は〜い。お疲れっす!」
颯爽と駅に向かって走って行った…。

あの時言い出さなければ、
きっとタカの帰宅は1時間以上遅れたはずだ。
妙なところで気を遣う。そういうヤツだった…。


タカといると基本的には楽しかったけれど、
たまに困ることもあった。
コイツ、とりあえず1日1回ふざけないと気が済まない。

ある日、タカがいないなと思って、
探していたら、部室の隣にある小部屋にいた。
「こらあ、何、サボって……え? 何してんのお前? 」

マイケル・ジャクソンのマネ(?)
かっこよくポーズを決めている。
ただし、学ランの下はブリーフ1枚…。

ふと見ると、端の方に
学生ズボンがちゃんと畳んで置いてある。

タカにとってはブリーフ姿に注目してほしいのだろう。
でも僕はそれ以前に、
ズボンがしっかり畳んであることがツボだった。
僕が来る前、コイツは一体どんな顔して
ブリーフ一枚になり
どんな顔してズボンを畳んでいたのだろう…。

この日に限らず、とにかく、タカは
よくブリーフ1枚になり、
様々なバリエーションで僕らを笑わせた…。
ただし、ここは神聖なるnoteである。
詳細については割愛させていただく…。
ご容赦を。


その時はわからなくても、
タカの行動を、後から一つ一つ答え合わせしていくと、
いろんなことが見えてくる。

部活の雰囲気が悪くなったり、
行き詰まっていたりすると、
タカはきまってこういうことをして、 
周りを笑わそうとした。

男子高校生が考えることなので
その表現方法は、
ある意味下品なのだけれど……。
それでも、みんなが笑顔になった。

ふざけているばかりと思いきや
内面はそれなりに純粋。
タカはそんな男だった。


「センパーイ、キスってどんな感触なんですかねー?」
「それをオレに聞くかねぇ…」
「いつか、俺もしてみたいんですよね」
「でも冬はやらん方がいいらしいで」
「え? なんでですかぁ?」
「唇が乾燥するから」
「…うっ、確かに。彼氏も彼女も唇ガッサガサて! 
 うん、そんなムードのないキスは嫌やなぁ」
「唇ガサガサ音立ててな、悲しいな、ハハハ!」
「ハハハ!」

……アホな2人である。

「8割がバカ話」で「1日1回ふざけている」
とはいえ、それでずいぶん助けられた気もするのだ。  
たとえば僕自身が元気のない時も、タカは何かにつけ
笑わせてくれた。
「バカ話」の裏にあるタカの優しさとか、
相手の気持ちを察知してさりげなく思いやる様子は、
さすがに鈍感な僕でも気づいていた。
タカは本当に、人をよく見ていた。

8割のバカ話……
でも2割はちゃんと真面目なことも話していた。
これからの部活をどうするかとか、 
どうやったらもっと部員が入ってくれるかとか…。
タカは話し始めたらとことん、いろんなアイディアを出してくれた。

でも何より、一番こちらがドキッとするのは、
タカが遠い目をして、何気なくつぶやく時だった。
いつもの陽気な弟キャラはとこへやら、
急に真面目な顔をして「語り」始める。
彼が「語った」内容で、いまでも憶えているものがある。


「みんな毎日こうしてネクタイ締めて、
 電車に乗って頑張ってるんですね。
 俺も何年か後に、ネクタイ締めて毎日電車に揺られて
 ……いったいどこに向かってるんでしょうね…」

「芸人のAさんて、人気ですけど、
なんでみんな、Aさんのことばかり言うんですかね。
相方の、Bさんの陰のチカラがあってのことなのに…」



今でこそインターネットがあって、みんな
それぞれ意見を書き込むし、
深いことを述べる高校生もたくさんいる。
しかし、当時、高校生同士の何気ない会話から、
生の声で聞くそういう一言一言は、
何となくのほほんと生きていた僕に
強烈なインパクトを残した。
タカは時々深く考え込んでいた。
その姿を見ると、僕は先輩なのに、
自分がずいぶん薄っぺらく感じた…。



バカ話とおふざけてんこ盛りの青春の時間は、
瞬く間に過ぎていった。

卒業する時、タカの代が「追い出し会」を開いて
僕たちの代を盛大に見送ってくれた。

追い出される僕たちも、追い出してくれるタカたちも、
ワイワイ楽しく騒いで、その日は終わった。
部員全体には何度もお礼を言ったけれど、
たくさん写真を撮ってくれたタカには
なんだか照れ臭くて、素直にお礼が言えなかった。
そのかわり、照れ隠しに
「今日の写真、絶対送ってくれよ〜!」
と、おどけて頼んだ。
卒業する最後まで、僕はダメな先輩だった。

「学校は卒業やけど、またちょくちょく顔出すよ。
 そのうち、落ち着いたら遊ぼうな」
「じゃあ、また 来て下さいね!」
確かそう言って、僕とタカは別れた。
この、何気ないやりとりが、
後に重要な意味を持つことを、
この時の僕は、まだ知る由もなかった…。


写真を頼んだ時は、
「はい分りました~そのうちねー。」なんて
テキトーに返事をしていたタカだったのに、

1ヶ月後、タカから分厚い封筒が届いた。
そこには、みんながずっとゲラゲラ笑っている
あの「追い出し会」の写真がたくさんあった。

(そうそう、この日もまた脱いでたよな…)
僕は思わず吹き出した。
ブリーフ姿で満面の笑みのタカが、そこにいた…。
とことん、人を笑わせたい!
そんな思いに溢れた写真だった。

あれ? まだ何かある。
封筒は写真だけではなかった。
便箋に細かい字で丁寧に書かれた、
タカ直筆の手紙も添えられていた。

タカの手紙…。
(ま〜た、バカなことでも書いてるのかな…。)

でも、僕の予想は見事に外れた。
いつものノリを予想した自分が、
急に恥ずかしくなった。

タカは、あの日、僕が照れ臭くて言えなかった
数え切れないほどの感謝を、おふざけ一切なしで、
まっすぐ僕に向けて綴ってくれていた…。
僕はまだ何も、タカにしてあげられていないのに…。


(恥ずかしがってないで、そろそろ
 ちゃんと「ありがとう」て言わなきゃな…。)

その日、布団に入りながら、僕は猛省した。

なんでもない時は、とんでもなくふざけている。
でも、いざという大事なときには、
照れることなく、ふざけることなく、
まっすぐ人に感謝を伝えられる。
そんな姿をこちらにちゃんと見せてくれる17歳。
手紙を読み返せば読み返すほど、その誠実な人柄を
実感した。 
なんて素敵なヤツ、いや、立派な人なんだろう…。
後輩ながら、コイツにはかなわないなと思った。

(こちらこそ、本当にありがとう…)
心の中にじわりと、あたたかいものが広がるのを感じた、
それは幸せな夜だった。

もちろん僕も手紙の返事を書いた。
でも、結局恥ずかしくて出さなかった。
大事なことは直接言いたくて、
いろんな言葉を頭の中で用意した。


絶対、直接言いたかったから……。


勘の鋭い方なら、もう薄々
何かに気付いてくださったことだろう。
ここは、書くのが、つらい……。
でも、書かなきゃならない。





「分厚い封筒」から、たった1ヵ月後、





タカは、不慮の事故で、突然この世を去った…。 







幼い子どもたちに教える
「道路を渡るときは、はい、右見て、左見て、
 もう一度右見て!」
これさえやっていれば、防げた事故だったと思う。
きっと、時間がなくて急いでいたのだろう…。


思えば、
「あの5月」は少し不思議だった。

僕は卒業してすぐ実家を離れた。
ところが連休が明けた途端、大きく体調を崩した。

最初は「まあ、わかりやすい五月病だね」なんて笑っていた周囲の人たちも、食事が喉を通らなくなり、嘔吐と下痢を繰り返すようになると、さすがに本気で心配し始め、とうとう実家に戻った。
熱を測れば毎日38度台。病院に行っても原因はわからず、困り果てて、僕は一日中実家で布団をかぶって寝ていた。

タカの訃報は、そんな生活が始まって3日後に届いた。
頭の中が混乱して、今どこで誰と、どんな話をしているのか、
これは現実なのか、悪い冗談なのか、
それとも悪夢にうなされた状態なのか…。
何もかもわからなくなってしまった。
そして当然、僕の体調はさらに悪化した。
(ごめん、タカ、これじゃぁ、お別れには行けないよな…)

ところが、
告別式の日、びっくりするほどすっきり目が覚めた。
試しに熱を計ると36度3分。「嘘ぉ…」

(あ、先輩。びっくりしました?  熱、下げときましたからね、最期くらいちゃんと来てくださいよぉ~)
そんなタカの声が、どこからか聞こえた気がした。

2ヶ月前、ワイワイと騒いだあの部室に、
今度は喪服を着て、僕たちは集まった。

葬儀にはたくさんの人が集まって、涙に暮れていた。
でも僕は、不思議と涙が出なかった。
何の実感もなく、現実味もなく、
僕の目の前を通り過ぎる霊柩車を、
ただ茫然と見送ったのを覚えている…。

家に帰って熱を計ると、
なぜか、また38度台に戻っていた。

たまたま体調不良で実家に戻っていたわけだから、
あの時体調不良でなければ葬儀には参列していない。
でも、
当日36度台になっていなければ、参列していない。
療養中、なぜかあの日「だけ」平熱だった。
おいタカ、…お別れを言いたくて、呼んだのか?


そこから1ヵ月ほど、僕はほとんど記憶が抜け落ちている。その間に、僕はみるみる痩せこけて、周りにずいぶん心配をかけた。
あれほど大事に持っていたタカの手紙を紛失してしまったのも、その時期だ。

まったく、なんてことを…。

今ならば、それなりに対処もできるだろう。
でもその時、僕もまだ十代。
あまりにも身近な人を亡くし、
それも、ある日突然目の前からいなくなってしまった。
それをどのように自分の中で処理していいのか、
正直まったくわからなくなった。

僕の中でいろんなものが壊れてしまった気がした。
それはわかったが、結局どうしていいかわからなかった。心のケアなんて、
まだ今ほど重要視される時代ではなかったから。


(この話、今度タカにしてやろうっと!)
(…あ、そうか、タカはもういないのか…。)
あれから何日も経ってから、
突然、夜中にびっくりするほど涙が出た。

涙は人を癒やす、と後に聞いたことがある。
そこから、少しずつ僕の体調が回復していった。


少し、自分の状況に向き合えるようになってから、
僕は奇妙な感覚に襲われた。
何か、とても言いようのない「怒りに似た感情」が、
ずっと自分の中でぐるぐる回っていた。

最初は、それが、タカに向けられたものかと思った。
突然いなくなってしまったことを怒っているのか?

でも、よく考えるとそうではなかった。

心が落ち着きを取り戻すと、
僕は湧き上がる自分の感情を、
一つ一つ丁寧に分析した。
このモヤモヤした感情は一体何なのか、
ゆっくり整理していった。

結局僕は、自分の思う以上に、
タカに支えてもらっていたのだと思う。

身近にいるときは、そのことに気づいていなかった。
一緒にバカな話をしている時間が、当たり前すぎて、
その一瞬一瞬がどれだけ大切な時間だったか、
その時はよくわかっていなかった。
後になって本当によくわかった。
そして…。わかったときには、
もうタカは、そこにいなかった…。

タカの笑った顔を見て、
大きい声で「ありがとう」を直接言いたかった。
タカが手紙でそうしてくれたように、
僕も照れることなく、本人に伝えたかった。
僕は「ありがとう」を言うタイミングを完全に逸した。
自分が情けなくて、情けなくて、悔しかった。

ありがとうを言いたいのに、その相手がもういない。
その現実を自分で受け入れて、
苦しみや寂しさを言語化するまでに、時間がかかった。
そんな自分がもどかしくて、
不甲斐ない自分に、腹を立てていた。
それが「モヤモヤ」の正体…。



モヤモヤした感情を自分で理解したあと、
前を向くために
僕は決めたことがある。


タカの命日には、必ず空を見よう。
そして心の中で話しかけよう。
あの日言えなかった「ありがとう」を
この日はたくさん伝えよう。
これからタカの命日は、そういう日にしよう。

タカの命日を「ただの悲しい日」にしては
いけない、今はそう思う。


もうすぐタカの命日が、またやってくる。
僕はどんどんおじさんになっていくけれど、
タカはずっと17歳のままだ。

よく、「●●の分まで頑張って生きるよ」
なんて表現があるけれど、
僕には、タカの分まで生きるなんてことはできない。

あんなに頭の回転が早くて、
明るくて、優しくて、立派な人は、そういない。
そんなタカの分まで生きるなんて、
畏れ多くて、口が裂けても僕は言えない。
たった一歳だったタカとの年齢差が開けば開くほど
今、タカの凄さが僕には分かる。

もうすぐやってくる
31回目の「ありがとうを言う日」
僕はこれからも、ずっと大事にしていこうと思う。

「タカ、ありがとう!! 今どこにいるの?
 オレはおじさんになっちゃったけど、
 こうして今も元気でやってるよ!」

↑ 時代はまったく違うのに、あの日々を思い出すと
この曲が脳内で再生されるのです。


【2022年7月追記】文中にありますように、
返事を書こうと思っただけで、実際は出していないと思っていました。
出せばよかった…、とずっと後悔しっぱなしだったのですが、これを書いた後、日記が出てきて、どうも返事は本人に書いて出していたみたいです。古い話で、かつ混乱した時期でもあり、ここのあたりの記憶が飛んでおり、申し訳ありません。でも、少しホッとしました。
会えないことに変わりはありませんが、当時の日記が後から出てくるなんて、不思議ですね。詳しくはこちらに書いてみました。


これはnoteを始めた当初から、ずっと書きたい事でした。
何度も何度も書き直して、やっと完成しました。
長い文章を最後まで読んでくださった皆様に、
心から感謝いたします。 
本当にありがとうございました。 げんた






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部活の思い出

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